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ELKのティータイム

子育ても終わり、のんびり普通に過ごす私のつぶやき…
だったはずなのに!
乳がんと闘っています。

悪性胸膜中皮腫 その8

2016-03-21 16:03:31 | 悪性胸膜中皮腫



叔父の闘病記録です。



日赤病院での担当医師とのごたごたもあり、父が物事を解釈するのが微妙な感じで、いつも不安がいっぱいだった。
この頃には、その不安はなくなっていた。
それは、病気の情報がある程度分かったことや、往診の医師や看護師たちが細かいことまでホローしてくれたおかげだと思う。




≪2016年 2月27日≫
A病院へ入院する。
自分の力で立つことも歩くことも困難。

レントゲンとCTを撮って、一般病棟へ。
ぐったりした様子で、反応も少ない。
既に、左肺は機能していない。

この段階で、家族に今後の治療について確認があった。
看取りの為の入院であること。
延命治療について・・・
人工呼吸器・心臓マッサージは行わない。
補液のみ・・・



≪2016年 2月28日≫
点滴を受け体が楽になったのか、昨日よりも元気そう。



≪2016年 3月初旬≫
食事が出される。ゼリー食。
それでも、飲み込みが悪い。誤嚥の心配がある。
投薬は中止。
大好きなテレビにも関心はない。
足も手も浮腫んで、パンパン。



≪2016年 3月中旬≫
一般病棟から療養病棟へ。
食事は、ほとんど食べられていない。
体力が、一気に落ちる。
それでも、テレビをつけて覚醒させようと努力してくれている。
声は出るが、言葉にならない。



≪2016年 3月22日≫
酸素マスクをして、体中で呼吸をしている。
眼には膜がはっていたけれど、開かないぐらいひどくなっている。
モニターが繋がっている。
数値は、大きく乱れている感じはしない。
いつもより、血圧が高めかも・・・
意識はあり声も出るが、言葉にはならない。
段々と直視するのが、つらくなる。



先週から、2日に1回ぐらい顔を出すようにしている。
A病院は、今までにお世話になった病院で一番近くにあるので、短時間でもちょっこと行くことができる。
今までは、過去の事を思い出しながらアップしていたけれど、ここからはリアルタイムに書くことができる。


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悪性胸膜中皮腫 その7

2016-03-19 10:33:32 | 悪性胸膜中皮腫



叔父の闘病の記録です。



≪2016年 2月初旬≫
週1回の訪問看護が始まる。
体温・血圧・酸素等のチェックの他、体の様子をよく見てくれるので、父は関心していた。

昼夜逆転している感じで、深夜に動き回る。
その物音で、睡眠の妨害をされる父の愚痴が多くなる。

食事がすすまない叔父が、「ハンバーガー」と言う。
70歳を過ぎてから、ハンバーガーの味を知ったのですが好きみたいですね。
試しに食べさせてあげたところ、「最高」ってペロリと食べた。

デイサービス先で、区分4のドロドロの食事と、区分2の形のある食事を出したところ、形のある食事を喜んだそうだ。
少し食がすすみホッとしたが、まだまだ量は少ない。
誤嚥の心配もある。




≪2016年 2月中旬≫
痛みや苦しみは特にない。
ただ、食事の量が少ないので、体力が落ちている。
自分の力でトイレに行くのも難しくなってきた。
デイサービス先の職員も「もう少し食べてくれたら・・・」と。

往診・訪問看護も特に問題なし。

ただ、父が自宅で看取ることは難しい。
看取りのための入院は希望している。
そのタイミング・・・
自分の足で歩いて、デイサービスの車に乗れなくなった時。
そういう風に父と話し合った。




≪2016年 2月下旬≫
往診の日の朝、急激に体力が落ちている。
前日、ショートステイから戻って、ず~っと動かずに寝ている。
食事も水分も欲しないみたいだ。

往診時、特に診察に大きな変化はなかった。
入院の準備は、いつでも大丈夫なように手配はできているとのこと。
1日様子をみて、入院の決断をすることになる。


翌日になっても改善はなし。
入院させることにする。
夕方には、予定外での往診も訪問看護も来てくださった。
父にとっては、何よりも安心できたと思う。



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悪性胸膜中皮腫 その6

2016-03-19 10:06:22 | 悪性胸膜中皮腫



叔父の闘病記録です。



≪2016年 1月初旬≫
やはり、食事の量は増えてきません。
気が向くと、プリンを食べたりもするのですが、食事には見向きもしないようです。




≪2016年 1月 6日≫
特に治療もないので、本人の意思を尊重し退院する。
ふらつく事はあるけれど、自分の足で歩く。

今後の治療については、老人医療に力を入れている市内のA病院に掛かることなる。
往診診療が可能とのことなので、往診と訪問看護を依頼する。


問題は、叔父を介護している父の体調不良。
年末から、腸閉塞とめまいに・・・
中々回復せず、我が家で療養中。

叔父は、不本意ながらショートステイに行くことになる。




≪2016年 1月中旬≫
初めての往診を受ける。
相変わらず、食事がすすまない。でも、好物のサイダーは飲む。
栄養状態はよくないけれど、他は大きく問題はない。
投薬については、発病前から飲んでいる前立腺と胆管結石に関するものだけ。

本人は、息苦しさも痛みも訴えない。

父が本調子でないため、ショートステイ先に舞い戻る・・・
本人は不本意で文句があるようだ。



≪2016年 1月下旬≫
父の体調も戻り、叔父の生活もデイサービスとショートステイを利用して、普段通りに戻る。
隔週の往診も、大きな問題もない。
ただ、食事がすすまない。
抗がん剤の影響も3~4週間って言うけれど、そろそろ食欲が戻ってきてもいいんじゃないかな~。

自分の好きなテレビやDVDを見て、自分なりの時間を過ごしているようだ。


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悪性胸膜中皮腫 その5

2016-03-06 21:46:01 | 悪性胸膜中皮腫



これは、叔父の闘病の記録です。
悪性胸膜中皮腫 その1
悪性胸膜中皮腫 その2
悪性胸膜中皮腫 その3
悪性胸膜中皮腫 その4
に続きます。



≪2015年 12月21日≫
年内に退院との話も出始め、退院に向けてのカンファレンスが設定されました。
化学療法を行わない・・
その方向で、看護師も院内の相談員もケアマネージャーも動き始めました。

しかし、医師は今後も化学療法を続ける気のようです。
私に対する話も、曖昧な感じでもにょもにょと・・・

立ち会っていた看護師に「先生は治療する気でいます。はっきりと拒否の意思を示さないと、化学療法を続けられますよ。」と。



≪2015年 12月27日≫
医師と面談。
「毎週のように面談なんって、普通はできない。」こんな言葉で始まった。
治療を始めたばかりで、結果も出ていないのになんでやめるんだ。
たまに来て、様子を見ただけで何がわかる。
暴言に近い形で、捲し立てられる。

でも、「今後、化学療法はしない。」この一点張りで話をした。

退院後は、この病院では診察はしない。
救急搬送もしないように、責任を持て!
とまで、言われてしまった。

化学療法で、腫瘍に変化が見られたのかもしれない。
病気を治してあげたいという気持ちからなのかもしれない。
でも、この医師は病気をみてくれているけれど、患者を診てくれてはいない。
そして、看護師は医師に立て付けない環境になるんだな~と思った。


医師が退席した後、看護師からは「家族の選択は間違っていないと思います」と慰められた。
その後、この面談の話は看護師長から上部に上げられたようです。
何かあった時は、心配せずに受診してくれとの話がありました。




2日に1回は面会に行っていたのですが、この後はあの医師に会わないように、きょろきょろしていたかもしれません。

その後も、叔父は食欲がなく、ほとんど食事を口にすることがありませんでした。
年末年始のお休みに入るので、食事ができない状態で退院させるのは難しいということになり、年内に退院することはありませんでした。



今も、気持ちのどこかに「緩和治療を選択してよかったのだろうか・・・」と不安になることがあります。
いくら考えても、また同じ結論になるのですが、繰り返し不安になります。
人の命をどう考えるのか、本当に難しいです。




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悪性胸膜中皮腫 その4

2016-03-01 14:03:30 | 悪性胸膜中皮腫



いつもと同じセリフで始まります。
アスベストの被害について、知ってもらいたいから・・・
同じ立場で不安を抱えている方の参考になれば・・・
そう考えています。

私も、毎日のようにネットの中を彷徨っていました。
不安で不安で仕方なかったから・・・


これは、叔父の闘病の記録です。
悪性胸膜中皮腫 その1
悪性胸膜中皮腫 その2
悪性胸膜中皮腫 その3
に続きます。



胸膜癒着術後、看護師から今後の治療の方向について聞かれる。
叔父の場合は、手術の適応はなく抗がん剤治療が第一選択となる。
抗がん剤が効くかどうかもわからない。
数か月命を長らえると考えるのが正しいみたい。

叔父にとって、抗がん剤治療を選ぶか、緩和治療を選ぶか・・・
障害のある叔父には選択できないから、家族の決断になるわけです。

82歳の父には、物事を理解するのにちょっと時間が掛かるので、少しずつ先回りをして話し合っています。
二人で話した結論は、緩和治療です。



≪2015年 12月15日≫
今後の治療について、医師から話がある。
化学療法を望まないと話したが、もにょもにょとはっきり言わない。
傷が治るまでの間に化学療法をしようと、強く推される。

医師に「叔父は耐えられますか?」と聞くと、「大丈夫」との返事に抗がん剤治療を行うことにする。
カルボプラチン400mgとアムリタ700mgを点滴投与


この後感じたのは、先生の大丈夫は体力的なものでした。
私の聞きたかったのは、精神的なものだったのです。
この辺りから、ちぐはぐとした感じがはっきりしてきたのです。


抗がん剤を投与して2日ほどしてから、叔父の様子が変わり始めました。
食欲不振です。
吐き気止めは点滴で投与されているようですが、本能のままに生きている叔父には不快でしかない。
食べたくないから食べない。
この状況の原因が、点滴にあるのではないかと疑い、点滴を外したり抵抗するようになる。

叔父にとっては、生きるということもわかっていないし、明日もよくわからない。
目的があれば、前向きにがんばれるでしょうが・・・
それがない。
治療の為に抑制せざるを得ない状態になっちゃうのです。



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