おしゃべりな庭、静かな庭

「今日はどんな日?」  季節や日々の暮らしの中で・・・

高知3日目  ~牧野植物園三昧

2010-05-15 02:41:04 | お出かけ
さて、高知に来て3日目、兄家族は、帰路に就き、私も叔父夫婦や、従姉弟にお礼とお別れを告げ、
一泊だけ、高知市に泊まり、初めての観光です。
幼い頃は、高知に来ても、高知市を回ったこともなく、せっかくなので少しだけ。


高知駅は、NHKの大河「龍馬伝」関連の展示を行う「土佐・龍馬であい博」社中(全部で4か所)で、賑わっておりました。


駅で、MY遊バス(900円で、一日観光バスや、市電が乗り放題)の、チケットを買って、市電で、ホテルに行き、スーツケースを預けて、身軽になって、GO

高知市内を走る路面電車は、日本の路面電車の中でも、古くから走っていて、
現在も頑張るなかなか風情のある電車です。

その後、MY遊バスで、一番行きたかった場所、
高知県立、牧野植物園へ。
牧野植物園は、高知が生んだ「日本の植物分類学の父」牧野富太郎博士(1862~1957)の業績を、顕彰するため、
高知市の五台山に開園。
起伏を活かした約6haの園地には、博士ゆかりの野生植物など約3,000種が植えられ、
四季折々、それらが「生きた標本」として、生かされています。

土佐の生んだ、偉大な植物学者、牧野先生を、私の父母は、尊敬し、こよなく愛していました。
1940年に刊行された『牧野日本植物図鑑』の美しくて巨大な複刻版2冊、父がこちらに引っ越した時、
母からの形見として、私が引き継ぎました。
そんな訳で私の憧れの植物の師、牧野先生の植物園に、やって来ました。
       
植物園正門。
門をくぐると、いきなり土佐の植物生態園へと吸い込まれます。
       
こういう自然な感じで、森の中を進んでいく感じの展示です。
真ん中は、イイギリの赤くなる前の実(花?)。  右は、ハマエンドウ、鮮やかで、澄んだ色です。

       
牧野富太郎記念館の中、先生の写真です。
右は、記念館の中で見つけた、葉っぱのモビール。枝とパウチした葉っぱで、簡単に作れそうなアイディア。
絵本展の時、子供たちに作ってあげようっと

早起きして、やってきたので、園を回る前に、パワーをつけようと、カフェ&レストラン アルブルでランチ。
       
土佐久礼で、魚とお寿司、和食が続いたので、とにかく野菜とコーヒーに飢えてました。
植物園の研究スタッフが、東南アジアに調査に行った時覚えてきた、アジアンプレートをいただきました。
アジアンカレーや、ミャンマー風サラダが美味しかったです。
初夏の高知名物、小夏(小さなグレープフルーツみたいで、白い薄皮も食す)のタルトを、コーヒーといただきました。


さあ、元気に園内を周りますよ~!
       
回廊の樹木の足元の日陰には、キエビネの群落。ちょうど咲きそろってとてもきれいです。
真ん中は、フタリシズカ。ひそやかに咲いています。
右は、ノイバラの類。この時期園内のいろんな場所で見かけました。


展示館の中の       
先生の描かれた、植物画の数々。
右は、先生が、幼少の頃、植物に目覚めた頃より、とくに好まれたバイカオウレン。
この植物園の、ロゴマークにもなっています。
独学で植物学の研究を続けた先生の類いまれな画力は、
後に黎明期の東大理学部植物学教室に招かれた時も、先生の研究者としての才を助けたようです。


       
先生の自宅書斎を再現したジオラマ(等身大、とてもリアル)
手前の、膨大な植物標本は、圧巻です。
植物学の研究のためとはいえ、実家の財を使い果たし、
子供が、たくさんいるのに、本や、標本の類の保管場所のため、大きな家を、転々とした。
今の私たちの、ちまちました経済観念では、計れないほど先生の飽くなき研究は、続いたのです。
・・・しかし家族は、たいへんだったでしょう。妻が偉大な理解者だったようで、先生が感謝をこめて、
妻の名をつけた、ササが、たくさん風に揺れていました。
右は、お茶目な先生の一面を残す写真。
高名な先生でありながら、地域の要望に応じて全国を巡り、土佐人らしい陽気で気さくな語りで、人々を魅了し、植物を知ることの大切さを、一般に広く伝えた方です。



植物園のある、五台山は、高知市南東部に位置する展望の良い山。
「植物園を造るなら五台山がええ」、90歳を超えた牧野博士のこの一言で、この地に造られたそうです。
本当に良い眺め。この日は、少し遠くは、霞がかかっていました。
3枚並べて、パノラマ風にしたかったのですが、残念。
最後の一枚が、右端です。
                                            
高知から戻ると、庭の木々や、バラや花達が、ぐんぐん咲き進んでおりました。
早く、そちらもご紹介したいのですが、牧野植物園と、久々の遠出に大興奮。
土佐日記??もう少し続きます。

2010.5.3.母の三年祭  ~土佐久礼2日目

2010-05-14 19:45:21 | お出かけ
母の三年祭当日です。
前日から、準備しておいた祭壇の前に、
叔父夫婦、兄夫婦と姪、従兄弟たちと私という親族だけの慎ましやかな式ですが、
土佐の八幡神社の神主さんが、叔父宅に来てくださり、午前中厳かに行われました。
母の魂が安らかにあるように、祈っていただきました。
その後、納骨堂や、代々のご先祖様が眠るお墓にお参りして終了となります。

この、土佐のお墓というのが、小さな山の上にあるのですが、
80歳を超えた叔父夫婦は登るのが何年か前より無理になる位の山です。
この地方では、お墓というのは、山の上に作るもので、位の高い人ほど神様や天上に近い場所に葬ったようです。
この日のために、主に墓守りをしてくれている従兄弟のSくんは、
二日がかりで山の道や墓周りを草取りしたりきれいにしてくれたようで、本当に感謝です。
5月だというのに、やぶ蚊が、たくさんやってきて、神式なのに、蚊取り線香の香りの中、お参りしてきました。
本家なのと、祖父が懐の深い人だったので、この山には、遠縁の人たちや、無縁仏となった人のお墓も一緒に眠っているようです。
代々続いたお墓を前にご先祖様や、急に逝ってしまった母のこと、残された父のことなど
様々な思いが、胸に去来します。


お墓に登る山道にこんな植物が・・・ナンバンギセルみたいな類の植物ですかね。
さすがに、お墓は、個人情報もあり、この場に来ることが叶わなかった父のためにだけ写真を撮りました。
この植物は、なんだか真っ白で透き通っていて、亡くなった人たちの御霊を、連想させます。



三年祭が、終わって昼食を取った後、また中土佐町久礼を義姉と姪と三人で散策です。
       
土佐久礼の八幡宮です。
海のすぐ近くにあり、漁師町なので、海難事故から守っていただくためや、かつをの大漁を祈ってか、
新しいかつをの絵を描いたものが、奉られていました。

面白いものを発見しました!!
       
「厄ぬけ石」と書いてあります。
この石は、かなり古そうなんですが、以前からあったのか不明・・
看板の文字も、最近増えた観光客目当てに、やたら親切です。
姪っことやってみました。(写真のモデルは姪、Aちゃん、ごめん
私も、何とか通れて、ホッ・・
この穴を、通って、目の前にあるご神木に手を合わせて祈ると、完璧な?厄除けらしい。
               
               そして、ご神木は、やはりりっぱな楠木です。


その後、神社の近くの大正町市場を、ぶらぶらしました。
       
たぶん観光課の若手の手で、少し今風にレトロな感じにしつらえられていましたが、
おいしそうな魚や、郷土料理や、淡麗辛口の土佐久礼の地酒など、
のんべいの夫と娘も、連れて来てあげたい楽しさでした。

        


明日は、兄家族も、龍馬高知空港から帰途に。
私も、高知市に移動して、もう一泊。
土佐久礼の海に、もう一度お別れを。
               
               今日も快晴で、静かな海では、何かバケツに採っている家族連れや、犬の散歩の人たち・・のどかです。
               後日、父に写真を見せたら、このテトラポットは、以前はなく、もっときれいだったよ・・とのことでした。
               いっぱい泳いでいたんだろーな~

土佐久礼散歩  ~1日目

2010-05-10 20:57:42 | お出かけ
土佐久礼に到着したのは、夕方4時半頃でしたが、叔父さん夫婦にご挨拶して、
夕飯まで兄夫婦や大学生の姪と、散歩に出かけました。


土佐久礼の海、真ん中に見える岬のあたりは、
幼い頃祖父母、叔父叔母、従兄弟たちや兄や母と、
お弁当や、スイカを持って、歩いて海水浴に行った、小草の海岸です。
遠浅で、とてもきれいな海でした。
この界隈の海は、昔からある風情を、一つの財産として後世に伝えて行こうとの取り組みから、
「重要文化的景観地区」として認定される予定らしい。
確かに、30年前と、ほとんど変わってない景観や、街並みです。

       
カツオ漁の、漁師町だけあって、船だまりには、小さな漁船がたくさん。
鯉のぼりと一緒に、漁船の大漁旗風の旗に、初孫さんの名前入りの所が、いかにもです。

                
               そして、5月に入ったばかりなのに、もう泳いぢゅう子たちが(土佐弁)・・
               野球の練習帰りの、アンダーシャツのまま、海に飛び込んでました。
               を向けると、満面の笑み。のびのびしちゅーよ!!


       
漁師町で、魚には、苦労してないと見えて、どの路地を曲がっても猫がいっぱいいます。
右の猫は、皮膚病がありそうですが、
美味しい魚に恵まれてるのか、よろよろした猫も、たくさん元気に生き延びて、暮らしてる感じでした。
もちろん犬も、いっぱい見ましたよ


夜は、美味い刺身と、土佐の皿鉢料理(大皿に彩りよく盛られたハレの料理)
真ん中に映っているのは、朝市で買ってきた、タケノコの巻き寿司です。
明日は、三年祭なので、早めに就寝しました。

連休の旅  ~土佐久礼まで

2010-05-10 18:50:43 | お出かけ
5月に入り、あっという間に三分の一が過ぎようとしています。
今年の連休は、亡き母の忌年祭(神式の三回忌)のため、
高知県の土佐久礼という父の生まれ故郷に出かけました。
父は、遠出は無理なので、私は、JRを乗り継いで、兄夫婦は北海道より空路、
叔父家族が継いでくれている父の実家に集合です。

土佐は、なんと大学生の時行ったきりなので、ほぼ30年ぶりです。
小中学生の頃、長い夏休みに子供たちだけで預けられた思い出の場所です。
昔は、静岡から国鉄を乗り継ぎ、岡山から高松までは宇高連絡船という船で渡り、
土讃線でがたごと揺られました。ほぼ一日がかりの旅でした。
今は、新幹線や瀬戸大橋開通で、最速6時間で着いてしまうのですね~
う~ん、無事に着くでしょうか?!
久しぶりの遠出や、一人旅にわくわくしつつも、
大河ドラマ「龍馬伝」効果で、混雑する高知へ、いざ出発です


まずは、浜松駅で
仲良しな3人連れに心和みつつ。
新幹線大好きなお孫さんと記念撮影のあまりにもお若いおじいちゃん、おばあちゃんです。

       
瀬戸大橋を通過中。昔は、船から、クラゲや魚が見えました。(かなり船酔いしつつ



香川県、丸亀市あたり通過中。
讃岐平野のお山は、日本昔話の山の形。
讃岐うどん食べた~い
岡山からは、南風11号で、3時間半揺られるのは、昔の土讃線が特急になっただけ。
単線なので、駅の待ち合わせとか、四国山地の山間を、トンネルを何個もくぐりながら、進んでいきます。
窓からの景色は、タイムスリップしたように昔のままです。
旅のパンフにも、日本人の心の中の原風景に出会える・・・とありました。

          
車窓から、線路の枕木の間に、小さな花が咲いているのを眺めたり。
右の2枚の写真は、香川県から徳島県に入ると、大歩危峡(おおぼけきょう)という吉野川の渓谷を通ります。
水流と渓谷の木々や光で、とても美しい場所です。
幼い頃、どんなに電車酔いしてても、おおぼけ、こぼけを通過すると、水の色に感激したものです。
出掛けるのに不便な所ほど、自然の恵みや美しさは、変わらないのですね


やっと、土佐久礼駅に着きました。
新しく建て替えられていましたが、今は無人駅でした。


父の実家の、庭の木々は、南国土佐だけあって凄いことになってました!!

       
大きな楠木(クスノキ)です。一体樹齢何年なのでしょうか!?。
クスノキに生えているシダやノキシノブ?の類の生え方も尋常ではありませんね。
父の父は、八幡神社の神主を継ぐべき人でしたが、
政治家さんの書生となり、上京し、銀行家になってしまったため、
この庭に植わっているクスノキも八幡様のご神木を、引き継いだものらしいです。

叔母が、時々通りがかりのおばあちゃんが拝んでゆく・・といってました。
しばらくの間、クスノキの圧倒的な存在感を感じつつ、見上げていました。
この木に会えただけでも、大収穫です。