まあまあ人生

70年の人生 まあまあですね

祈り

2005年09月12日 | Weblog
今朝4時過ぎに目を覚ます。ラジオは選挙の結果を騒がしく放送していた。4時35分になつて、「真の救い」の万代栄嗣師の放送と「世の光」の村上宣道師の放送を聞き、例によって少し眠り6時前に起きる。今朝は、朝祷会の司会なので少し早く出る。今朝の奨励者は大和キリスト教会の伝道師、鈴木義嗣師で、マタイ6:8 彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存知なのだ。から「 . . . 本文を読む

蝙蝠

2005年09月10日 | Weblog
今朝はゆっくりとベッドに横たわっていると、宅配便が来る。家内が非常食用のパンの缶詰めを購入したものである。ハリケーン「カトリーナ」、台風14号や時々 発生する地震に備えてのものである。非常食と言えば、乾パンを思い出す、戦争中おやつに時々食べたものである。夕方、外出から帰宅途中、お寺の前の空地の上を4、5匹の蝙蝠が乱舞していた。珍しいので暫く見とれていた、蝙蝠も環境の変化で見ることが少なくなってきた . . . 本文を読む

帰り道

2005年09月09日 | Weblog
ラッシュアワーの過ぎた時間、大和路線の平野駅のベンチで電車を待つ、色々な雑音の中、耳を澄ませばあちこちにコオロギの鳴く声が聞えてきた。夕立の後、彼らはこの世の秋を謳歌しているのだ。それは、全身で身を震わせて鳴いているのだ。突然、選挙の大きなマイクの音が耳にはいり、コオロギの鳴き声は吹き消された感じである。天王寺駅で下車して、徒歩で自宅に向かう。途中アベノベルタの前を通り過ぎようとした時、自動車、チ . . . 本文を読む

双葉より芳し

2005年09月08日 | Weblog
勤務先から帰宅すると、食事をするのが決まりで、食事をしながら郵便物を見るのが慣わしである。昨日、挨拶状の入った封筒があった。裏側の差出人を見ると懐かしいYさんからである。これは、ひょつとするとと思いながら封を切ると、果たせるかなある県の本部長に就任したとの挨拶状であつた。お元気ですか!と短いことばのなかにも人柄がしのばれる。彼とは、昭和44年に転任先で一緒になった。栴檀は双葉より芳しの諺のごとく、 . . . 本文を読む

台風一過

2005年09月07日 | Weblog
心配していた大型台風14号は、九州、四国、中国地方に大きな被害をもたらして日本海に沿って、今夕北海道に接近するとの予報である。近畿は予報に反して?ほとんど影響がなく、被害にあわれた地域には気の毒であるが、ほっとしているのは私だけではないだろう。それにしても、自然の猛威には、人間にはなす術がないのか、と悔やまれて仕方が無い、「備えあれば憂いなし」の諺があるが、最善の備えをして置きたいと思う。夜空を見 . . . 本文を読む

恵みの朝

2005年09月05日 | Weblog
今朝4時半に目が覚める、すぐラジオを聴く。日本福音宣教会の万代栄治師がローマ6:8から語られた。朝日放送等は送信所の改修工事のため2ヶ月ほど放送が中断されていたので久しぶりでもあって新鮮に聴くことが出来めぐまれた,続いて世の光は、村上宣道師が韓国の女性の証しを語たられこれまためぐまれた。その後1時間ほど眠り、6時前に起床、大阪朝祷会に出席する、今朝は、日本イエス・キリスト教団伊丹聖書教会のO師が「 . . . 本文を読む

恵みの朝

2005年09月05日 | Weblog
今朝4時半に目が覚める、朝日放送等は送信所の改修のため2か月ほど中止になっていた放送が始まった、福音宣教会のラジオ放送は万代栄治師がローマ6:8から語たられた、久しぶりに聴くメッセージは新鮮で心に響いた。続いて、世の光は、村上宣道師が韓国女性の証を語られた。これまた恵まれた。その後1時間ほど眠り6時前に起床、大阪朝祷会に出席する。今朝は、日本イエス伊丹聖書教会のO師がピリピ1:21から「生きるキリ . . . 本文を読む

選手交代

2005年09月02日 | Weblog
あれ程やかましく鳴いていた、蝉の声も聞かなくなった。以前ならば、小型の蝉、ちいちい蝉、続いてつくつくほうしの声を聞くのだが、大阪市内では久しく耳にしていない。そういえばあぶら蝉の姿も最近目にしない、淋しい限りである。 夜、耳をそばたてて聞くと、ご近所の家から、涼しげな鈴虫の声が聞こえてくる。 勤めからの帰り、平野駅の線路のどこからかコオロギの声が「秋だ秋だ秋が来た」と鳴いているように聞こえた。最近 . . . 本文を読む

忘却

2005年09月01日 | Weblog
「忘却とは、忘れ去ることなり、忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ。」これはかの有名なラジオ放送の「君の名は」の放送の始めのナレーションである。人間はいとも容易く忘れるかと思えば、なかなか忘れることが出来ないことがある。自分史25号を早く書き上げなければと思いながら、当時の日記に目を通していると、このようなことが書いてあった。それは、昭和36年のクリスマスの時、プレゼント交換があり、私は、パンジー( . . . 本文を読む