まあまあ人生

70年の人生 まあまあですね

丹頂鶴

2007年02月28日 | Weblog
今日は早いもので2月の末日、明日から弥生3月である。事務所近くのスーパーで買い物をしていると、いかなごのくぎ煮が売っていた。いよい春に突入である。先日、雑誌「ラジオ深夜便」の「タンチョウと共に生きて」を読む。北海道釧路市にある釧路市丹頂自然公園の名誉園長の高橋良治氏の話である。高橋さんは世界で始めてタンチョウの人口孵化と人口飼育に成功された。タンチョウは明治時代後半に絶滅の危機があった。大正13年以来全道でタンチョウを保護する運動が広がる。昭和27年に特別天然記念物に指定され、釧路では地道な努力が続けられ、タンチョウを保護し、生態を調べ、増やす計画が本格化し、昭和33年8月に釧路丹頂自然公園が開園、その年、釧路湿原には120羽ほど生息していた。その中から5羽を捕獲し、公園で放し飼いが始まる。その飼育に携われたのが高橋さんであった。外から来たメスと公園のオスが番になり、やがて巣作りをして、卵二個を産む。しかし、この番は卵を産むが卵を抱かず、何年かが過ぎ、とうとう卵を取って人口孵化を試みられた。当時、人口孵化は前例がなく試行錯誤の末、タンチョウに教わるのが一番とタンチョウが卵を抱いている様子を見て、親鳥は立ち上がり嘴で卵を回転させいた。それで、高橋さんは卵にエンピツで印をつけ、孵化器にいれ4時間ごとに回転させ、その時に、「ピーちゃん、元気かい」と声をかける。こうして、28日に蓋を開けいつものように「ピーちゃん、おはよう」と声をかけると、卵が右に左にゆれた、29日目、30日ともなると高橋さんの語りかけに、「ピュルルル」と返事が返ってくるようになった。32日目にヒナが孵化して初めて人口孵化が成功した。高橋さんは色々な失敗もされたが、生態が分かる。中でも、ヒナにとって「音」の記憶が大きいことに気づかれた。高橋さんの言葉の音程で理解できるのを知る。ある時、ヒナが突然餌を食べなくなった時、「ピーちゃん、おいしいよ」とやさしく声をかけると、ヒナは、もりもり食べ始めた。卵から聞きなれた呼びかけに、「音」を記憶していたものと思われると語っておられ、ことば、音が生まれる前から影響があるのに驚きを覚えた。胎教もそのとおりだと思う。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。