まあまあ人生

70年の人生 まあまあですね

OCCカレッジ

2011年01月22日 | Weblog
午前4時過ぎに目が覚めそのまま眠りにつけずねラジオを聞こうと思い探すも姿を発見できず、いらいらしながら40分に起床、大阪城に行く。地下鉄は空いていたので、土曜日であることを思い出す。

今朝は、歌の先生は旅行に行かれ、歌詞等はご主人が持ってこられた。準備体操、歌の指導は指定された人が担当した。カラスの赤ちゃん、風が運ぶもの、たんぽぽ、まりと殿様、かあさんの歌、故郷の人々、冬の夜、瀬戸の花嫁・・・最後、野に咲く花の様にの12曲合唱した。ラジオ体操等を済ませて帰宅する。西方の空には、昨日は綺麗な大きな月が見えたが、今朝は、群雲に見え隠れしていた。朝食後、家内と吹田朝祷会が開かれる日本キリスト教段淡路教会に行く。

今朝は、同教会のT師が「平和の神が私たちと共に」と題して、ピリピ4:8~9からメッセージされた。T師は常置委員をされており、先日、常置委員50名ほどで研修のため西成の愛隣地区を夜回りする機会があった。阪神大震災、バブルには好景気であったが、最近の不景気は一段と労務者に押しかかっている。愛隣地区では多くのキリスト関係の団体が、伝道、福祉の奉仕がなされている。なかなか実効が上がりにくい。

平和の神は、真実なこと、気高いこと、正しいこと、称賛に値いすることを実行しなさいと語っておられる。と語られた。

午後2時から開かれる、OCCカレッジの講義を受けに行く。今日は、聖書神学・旧約
「旧約聖書における創造信仰」と題して、千里ニュータウン教会のA師が講義された。
講義は2時間、90才とは思えないほど、口角泡を飛ばすほど元気に話されたのには驚いた。旧約聖書の信仰は、1 神の救いの行為を歴史の中で体験し確認すること。
2 救いの出来事の第一はエジプトからの開放であり、バビロン捕囚からの帰還である。
3 この救済の信仰から創造の信仰が生じた。創造は過去の出来事に終わらず、創造したものを生かし導き救う神の業として信じる。
4 出エジプトの後にカナンに入国したイスラエルが遭遇した大きな誘惑はバアル信仰で、それに対して、約束されたヤーウエイ神の恵みであり、歴史における神の救済のみ業ある。
5 創世記1章の天地創造は世界を混沌から作り出した創造者としてのヤーウエイ信仰のようであるが、決してそれだけで独立したものではなく救済者としての神を賛美している。6 詩篇136編の連祷は、世界創造を歌っているが、10節からヤーウエイ神の歴史的救済のみ業を述べている。
7 イザヤ51:9~16のバビロン捕囚より帰還の詩おいて、創造信仰は救済信仰の中に溶け込んでいる。
8 詩篇19編は元来7節までで、純粋に創造信仰を表していた。これは古いカナンの歌の断片で、後代に、二次的に取り入れられた
9 箴言17:5に新共同約で「貧しい人を嘲る者は造り主をみくびる者」という句は造り主と訳したヘブライ語の「アーサー」は救済論的考えを離れた創造主を意味している。
10 創造信仰は常に神の救済史的な恩寵信仰に依存し、より豊に広大する働きをしている。 少し、難しいところがあったもののその熱意に感謝する。

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