歴史とドラマをめぐる冒険

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麒麟がくる・桶狭間の戦いを「がっつり奇襲説」で描いてみる

2020-05-24 | 麒麟がくる
桶狭間の戦い、奇襲説は俗説として退けられたかと思ったら、やはり(というのは歴史学はゆりかえしの連続なので)、奇襲もありえるという説もあるようです。
なら「慣れ親しんだ旧説」でがっつり描いてみます。軽いノリバージョンです。史実をちょっとだけ基にしたフィクション。

沓掛城をおとした今川義元は、尾張に全面攻撃をしかけてくるようです。上洛戦なのか、尾張侵攻なのか、むろん信長には分かりせんが、どっちにしろ「死んじゃうかも」となります。
今度の義元は強そうだし、お白粉もお歯黒もしてないし。

1560年というきりがいい年の5月、徳川家康(松平元康または元信)が先発隊としてやってくるということです。家康は調略していますが、どう動くか分かりません。

今川義元は2万という大軍です。信長は守備兵も必要なので、戦闘兵は2000です。尾張の兵はもっといますが、義元についたり、風見鶏を決め込んだりしています。

「あーあ、もう逃げようかな。籠城かな。やっぱ籠城だよね、帰蝶」と聞くと、帰蝶は首を横に振ります。「援軍も来ないのに籠城したって、結局は死にますよ。いくら義元が二万でも、兵列が延びれば、義元の周りは5000.その5000を横から奇襲するのです。大将首などは無視して、目指すは義元の首ひとつ」

「そんなにうまく行くかな」と思って見ると、帰蝶の後ろにやたらと背の高い男がいます。誰じゃと聞くと、帰蝶お気に入りの藤吉郎だそうです。「このものは使えます」と帰蝶は推薦します。信長は背が高いやつ苦手、帰蝶の下にいればいいと藤吉郎に言います。万事帰蝶の指示で動けと。

信長は決心もつかず、城で横になっています。重臣たちも呆れて帰ってしまいます。前田、佐々、毛利新介(今井翼)などは残ります。

帰蝶は「人間はいつか死ぬものです。滅せぬもののあるべきか」と言って、敦盛「人間五十年」を舞います。前田は「帰蝶様が舞うのかよ!」と思っています。ところが帰蝶の舞を見ているうちになんだか元気がでてきた信長は「馬をひけー」と城を打ってでます。前田、佐々、イケメン勝家らが追いかけます。

その頃藤吉郎は「なんかやって」います。とにかく義元軍を「ながーく延ばす」ためになんかやっています。お酒とか差し入れする時もあります。

信長は2000の兵です。そこに菊丸がやってきます。桶狭間山に義元がいると伝えます。桶狭間山は「谷底にある丘」のような場所です。元康は一応まだ義元側で戦うとのことです。手は抜くと伝えてきます。なぜ無理に桶狭間山を谷底にしたいかというと、逆落としで奇襲したいという演出上の理由です。

信長は桶狭間に向かいます。途中嵐になって、信長隊の馬音を雨がかき消します。ところがどこに義元の本陣があるのかがわかりません。藤吉郎と一緒に工作をしていた梁田という武士が、義元の本陣の情報をつかんできます。

信長は逆落としでの奇襲攻撃を命じます。馬鹿殿設定ではないので用心はしていた義元でしたが、毛利新介に討ち取られます。でも見事に戦って見事に散ります。

義元のあとは氏真が継ぎます。なんやかんやで徳川家康を頼って生き延び、子供は旗本になっています。幕末には今川家から若年寄がでたはずです。

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