歴史とドラマをめぐる冒険

大河ドラマ・歴史小説・歴史の本などを中心に、色々書きます。
ただの歴史ファンです。

麒麟がくる・外伝・「義昭と信長の上洛」を勝手に想像で書く

2020-05-28 | 麒麟がくる
内容は私の「趣味の文章」に過ぎないものです。従って「麒麟がくる」は「こうはなりません」。しかし少しは情報を得ているので「ネタバレの可能性」はあります。少なくとも「史実」はネタバレします。注意してください。

と間をあけて


前提、SNSで足利義昭さんの「画像」を見たのです。まるで「托鉢僧」でした。一乗院門跡にはとても見えなかった。「ああそうくるか」と思いました。きっと「いい人設定」です。考えてみると、光秀の「大仕事」は「足利幕府の再興」です。だから足利将軍を悪く描くわけないのです。最近の足利義輝さんは無気力ですが、それでも向井さんですから、無気力も素敵という感じになっています。義昭さんは権謀術数の人ではなく、基本善人として描きます。
1565年5月、永禄の変が起きます。義輝さんが亡くなります。名刀とっかえひっかえをやるのかな。

一乗院の門跡であった弟の義昭(覚慶)は日ごろから托鉢僧になって奈良を回り、人々の困窮を目にしていました。「何もできない将軍家なら、将軍家などなくなって、人々の為の政府ができたほうがいい」とか考えていました。そんな時兄の死を知ります。で松永久秀がやってきて、軟禁状態に置かれます。ところが松永さんは「逃げろ」というのです。寺の外に明智十兵衛という男ががいる。彼の手引きで逃げろと。
義昭「なぜ逃がしてくれるのだ。兄を殺したのはそなただろう」
松永「わたしではなく、三好三人衆や三好義継様、そして私の息子です。私は反対していたのです」
義昭「その明智とは何者じゃ」
松永「土岐源氏の明智です。正しい幕府ができれば世が平らかになると夢想している馬鹿な男です。あんなピュアな男は見たことがない」
義昭「汚い政治を好まぬ誇り高い武士か。それなら三淵や細川より信頼できるかも知れないな」
ということで、光秀と伊呂波大夫に助けられ、脱出します。そして甲賀の和田惟政の城へ。それから若狭へ、そして1556年9月に越前へ。もちろん三淵も細川藤孝も合流しています。一色藤長なんかもいます。

光秀はユースケ義景の許しを得て、越前に行く前から義昭さんの傍にいます。おそらく「理想の将軍像」を語り合うとは思います。
義昭「わしが将軍になれたとして、それには朝倉、六角、浅井、織田などの力が必要であろう。となれば将軍は実力ある大名の傀儡に過ぎないではないか」
光秀「わたしが知っているのは信長様だけです。人々が喜ぶことが嬉しいと語るお方で。戦が嫌いで。あっ、それと朝倉さんもいい人はいい人みたいですよ」
義昭「人々が喜ぶ顔が見たい。戦が嫌い。おお、わたしと同じではないか。朝倉はちょっと知っている。変な男だよな」

そして越前へ。光秀はユースケ義景を必死で説得します。「面倒だなー、この越前に御殿も建てるからそれでよくない?」とか言ってた義景も段々乗り気にはなってきます。でも重臣の朝倉景鏡とか、山崎吉家は慎重論です。義景は逆らうことはできません。力がないというより、逆らうのが面倒だからです。光秀も段々あきらめの境地になっていきます。

となれば織田家しかない、そう思った光秀は信長に会いにいきます。が、この上洛には乗り気ではありません。「義輝様を見たであろう。どんな将軍を立てたとて、京は魔界のような都市だ。治めることは難しいぞ」
光秀「京を治めるわけではありません。もっと大きな国を作るのです。道三様の遺言です」
信長「大きな国とはなんだ。天下=畿内か。」
光秀「もっと大きな国です」
信長「それなら日本全土になってしまうではないか。」
光秀「そうです。日本全土、それが天下です。天下を治めるのです」
信長「そんなことができるのか。できるならやってみたいものだ。凄いな光秀、それ自分で考えたの?」
光秀「だから道三殿の遺言って言ってるじゃないですか」

この時は暗黙の了解で、織田が天下をとるのではなく、天下の主は足利であり、織田が執権をつとめるという感じになっていくと思います。また足利を立て直せば、信長が嫌いな戦争をさほどしなくても大丈夫という感じにもなるかと思います。これが1567年のこと。

帰蝶は笑って二人の会話を聞いていますが「この真面目な二人にやらせていたら、織田はただ兵を使うだけでないか、天下をとるなら織田がとるべきだ。将軍などいらない」と考えています。そこでお気に入りの藤吉郎(結構出世している)を呼んで、いろいろ相談します。藤吉郎はワルというか「狡猾」(こうかつ)設定です。(ネットに書いてありました)
義昭を追い詰めていくと思います。

1567年、織田は美濃を平定します。稲葉一鉄(村田さん)などを調略した結果です。ただし簡単にとれたわけでなく、斎藤龍興と死闘の末です。龍興はその後も活躍すると思います。「まむしの孫」です。

それから上洛の下地を作っていきます。六角を説得したり、伊勢を調略したり、浅井長政にお市を嫁がせたり。六角の説得には結局失敗しますが。それから伊呂波大夫を利用して、近衛前久にも手を回すでしょう。伊呂波大夫と近衛前久は兄弟同然です。ただし近衛前久は義昭派では、史実上はありません。

この「上洛前の色々な工作」はかつてほとんど描かれたことがないので、多少時間を使うかも。

そして信長は義昭と対面します。「わしも戦が嫌いだし、人々の喜ぶ顔が好きじゃ」という「いい人」の義昭を信長は笑いながら「観察」します。
御殿を作ってはという三淵に対し、すぐ上洛できるから不要と言った信長は、言葉通り、美濃尾張、徳川、浅井の兵、4万程度とともに、六角を押しつぶして上洛します。

麒麟がくる・第二十一回「桶狭間(仮)」・あらすじを想像で書く

2020-05-28 | 麒麟がくる


題名も分からない麒麟がくる「第二十一回」中断直前話の「想像あらすじ」です。想像でもSNS情報とか知っているので「ネタバレ」があります。注意してください。
というかこれは「あらすじ」というより「桶狭間の戦い」の顛末です。




今川義元は家督争いで死んだ兄、玄広恵探の幻に悩まされています。しかし左文字の刀を振るい、幻を斬ります。
義元は沓掛城にいます。そこから大高城に入って、信長の清州城を攻める作戦です。先鋒隊は松平元信(家康)と朝比奈泰朝です。

家康は大高城に兵糧を運んだ後、引き返して丸根砦を攻めます。朝比奈は鷲津砦と攻めます。地図で言うと西です。

清州では信長と簗田政綱(やなだまさつな)が兵力の分析をしています。
梁田「義元は慎重な男ゆえ、駿河に兵を残しましょう。兵力はおそらく1万5千。尾張の各砦を攻めるのが9千。義元本隊は6千ほど」
信長「こちらも砦に人がいる。おれが率いていける兵はまずは2千5百か。元康は裏切らないだろうな。父親を殺したこと、やはり失敗だったな」

信長は圧倒的な兵力の差ではないと考えますが、まずは籠城と伝達し、あとは寝て本を読んでいます。
信長「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、か。なんだ下天のうちをって」
帰蝶「天上世界の一昼夜と比べるという意味です」
信長「どうしてそんなに長く言葉を補えるのだ。下天のうち、だけで天上世界の一昼夜なのか。うちってなんじゃ。どうも分からん」(私にも分かりません)

林秀貞ら重臣たちは「だめだこりゃ」という感じで城から帰ってしまいます。

☆地図でいうと南東のあたりに義元本隊がいます。信長は北の善照寺砦で集合して一気に攻めようと考えていますが、兵力差は倍なので、死ぬだろうなと漠然と思っています。

信長は先鋭兵を集めて善照寺砦に向かいます。旧来だと、一騎で飛び出します。その後を藤吉郎が汚い服で追います。しかし今回の藤吉郎は綺麗な服を着ているし、ここにはいないでしょう。途中で丸根砦がおちて「佐久間盛重」が死んだことを知ります。佐久間大学です。

信長は「大学は一足先に死んだか。みんなおれに命をくれい。人間一度死ねば、二度とは死なぬ」(かつての大河ならこういいますが、言わないでしょう)

☆この地図が正しいという確証はないと思います。しかし正しいとして、義元本隊の右手には味方が配置されていない。いないから信長は義元に近づけるわけです。

さて、家康は裏切りませんでしたが、菊丸の手の者は義元本隊の位置をつかみ、それを梁田に知らせます。信長は手持ちの2500で突入することを考えます。途中で大雨が降ります。視界が悪く、音も伝わらない。それで義元は信長の動きを見失います。

雨が晴れた時は、既に信長は桶狭間山の山麓にいました。ここで鉄砲を使わせたいところですが、そうすると鉄砲の音が義元の他の陣に伝わる恐れがある。で、例の長槍だけを用いて「山をかけあがって攻撃する」という不利な攻撃をします。それでも義元隊は驚き、混乱します。義元の周りは300となり、退却します。それを追いうちし、毛利新介が義元の首をとります。山をかけあがって攻撃って、本当に勝てるのかな。そもそも史実なのかな?