歴史とドラマをめぐる冒険

大河ドラマ・歴史小説・歴史の本などを中心に、色々書きます。
ただの歴史ファンです。

「鎌倉殿の13人」・第4回「矢のゆくえ」・感想

2022-01-30 | 鎌倉殿の13人
・面白かった。
・当時の兵数がいかに「少ない」かをよく表現していた。史書に出てくる数字は10倍ほど嘘をついているらしい。2万とあれば2千。
・女性が歴史を動かす。女性主人公大河はどうやら終了のようだが、女性は大活躍である。素晴らしい。
・法皇が「俺だよ」と言っていた。
・山木は実は流人である。平氏であるが、親父に流された。目代というのは結構な権力者。流人がそういう位置についている。不思議な時代である。もと検非違使らしい。
・八重さんと同じことをする女性は、「草燃える」では松坂慶子さんで、大庭の娘設定だった。むろん義時の思い人である。まあ完全に同じ設定である。リスペクト。

ここからは「難しい、まあ、さして難しくはないが」という話になります。「武士とは何か」とかそういう話です。興味のない方はここで読むのをやめてください。(できれば読んでください)

今、歴史学者の多くが否定しようとしているのは「武士とは土地を開発した領主が武装した者たちであり、新しい時代を築いたヒーローである」という考え方です。「武士は京都で生まれた」という人もいます。なにより「武士は支配階級じゃないか」ということです。「民から税金を徴発する」という点で、公家と何が違うのか。同じではないかというわけです。

京都好きの学者さんは「何が腐敗した貴族を倒して、新しい時代を開いただ!野蛮な支配者じゃないか!民の味方なんかしてないぞ。」と激おこぷんぷん、です。本当に激オコなんです。かなりマジです。

「支配者じゃないか」は正しいと思います。だから今日ドラマに出てきたような「民との平和な関係はあったのか」と思いました。で、今わたしは土地制度、荘園とか国衙(こくが)と言った問題を勉強中です。

小四郎は今日「平家に坂東は支配されている。飢饉がきたら民が死ぬ」と言ってましたが、平家が支配してなくても飢饉がくれば民が死にます。この後、京都には大飢饉がきて、人口10万のうちの5万が死んだと考えられています。当時の京都とはそんな都市です。

武士とはの話はここで終わりです。

さらに京都好きの学者さんたちは「頼朝は法皇の命令で蜂起した」とか「その後も法皇と色々相談した」と言います。後者は事実ですが、前者は根拠ないと思います。当時の歴史書「愚管抄」は全くの同時代に書かれ、はっきりと法皇の関与はないとしています。とにかく京に結び付けたがる。「なんでもかんでも京都だなー、そうはいかないだろう」と私などは思います。

昨日読んだ本のなかに「なんでも京都の権威という学者がいたら、偽物と思ってください。読者の知識が深まってきて、おかしいなと思う人が増えれば、歴史学者はいまのようなふざけた態度を捨て、まじめに現実を見るはずです」と「京都学の専門家」の教授さんが書いていました。やっぱり分かっている学者さんは多くいるようです。以上です。


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