歴史とドラマをめぐる冒険

大河ドラマ・歴史小説・歴史の本などを中心に、色々書きます。
ただの歴史ファンです。

北条義時ファンの私は非暴力主義者

2022-11-23 | 鎌倉殿の13人
「主義」とか「イデオロギー」というのは怖いものなので、なるべく持たないようにしていますが、非暴力だけはどうも「私の主義」のようです。

そもそも子供のころから、暴力が嫌いでしたし、人に振るった記憶がありません。「ブス」とかは言いました。自分が不細工であることに気づきもせず、女子に言いました。そういう言葉の暴力は、あると思いますが、人を殴ったことは人生で一度もありません。

兄貴は私より多少暴力的です。兄貴は私をよくいじめましたので、私の母は優しい人でしたが、小学校入学以前は「兄貴の頭をはたく」ぐらいはしたようです。つくづく教育に暴力は必要ないと思います。暴力で教育すると、だいたい子供も暴力的になってしまう。虐待と同じで、連鎖するのです。まあ兄の暴力も私が中学生になる頃にはだいぶ収まりました。殴りはしません。押さえつけて「参ったと言え」というのが兄の暴力の定番でした。

高校教師を10年ほどしたことがありますが、体罰をしたことは一度もありません。それが周りの先生方に「威圧」を与えていたようです。暴力的な教師は私を避けるか、疎ましく扱うことが多かったと思います。後輩の教師から「この学校の男性教師で体罰をしないのは貴方だけだ」と言われたこともあります。それが平成10年頃です。今、状況は多少改善したでしょうか。もう教育に関わっていないので、分かりません。

「体罰を振るわない」ためには、実は修行が必要です。私の場合、大学時代にガンジーを多少研究したり、体罰問題を考えたりしていたので、「体罰はだめだ」という「絶対の確信」がありました。しかし他の先生は、そういう修行をしないまま、ただ教員免許だけとって教師になるということが多かったようです。

「体罰はダメだ」を一番言っていたのは、体育科教育学の教師です。体育教師も捨てたもんじゃないと思いました。「競争スポーツは一部のエリートのものであり、そのエリートすら過度なトレーニングにより身体に障害を負うことが多い。体育の基本は楽しく健康、レクリエーションだ」とも教授は言いました。こりゃ立派な人だ、と感心しました。

ということで「北条義時ファン」であっても「人に暴力を振るうことはありませんし、まして殺人なんか一ミリも肯定しません」。大河は物語です。「物語と日常の現実」、「物語と史実」は違います。

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