歴史とドラマをめぐる冒険

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「それでも実朝の右大臣昇進は官打ちである」説

2022-11-23 | 鎌倉殿の13人
身にそぐわない出世をした人間が、その為に不幸になる「状態」を「官打ち」という。

と辞書にありました。「状態をいう」ということは「実朝が死んだという状態」が「官打ち」なわけです。後鳥羽院が「殺してやろう」と思っていなくても、実際死んでしまえば「官打ち」「位打ち」なのです。まずこれが「日本語の字義にこだわった場合」、そうなるということです。しかし「辞書の説明は絶対」なわけはないので、誰かが誰かを「陥れるために位を上げること」とするなら、話は変わってきます。

承久記は「実朝の死は後鳥羽院による官打ち」であるとしています。後鳥羽院が実朝の不幸の為に、官打ちをしたのか。これを肯定する学者はほぼいません。なぜならオカルトめいた迷信だからです。
しかしそれでもずっと「官打ちじゃないのかな、官打ちは合理的説明になるな」と日本人は思ってきました。

日常でも出世した人間が「仕事の重圧に耐え切れず」、過労死したりうつになったするのは「よくあること」です。社長に「官打ち」をしようという意図はないでしょうが、「重要な位置につかせて自覚をうながそう」ぐらいの社長はいると思います。「出世したくない」という人もいます。私自身、仕事で「役職について」、健康を害したことがあるので、気持ちは分かります。

つまり「官打ち」「位打ち」(出世して重圧を背負って不幸になる状態)は「よくあること」であり、「合理的説明も明瞭につき」、別にオカルトでも迷信でもないのです。「打ち」が人間の意図を感じさせるので違和感があるだけで、「出世不幸」とでもすれば、すんなり理解できる考え方です。

しかし「誰かが目的をもって行うのが官打ちである」という方の定義を採用した場合は、「後鳥羽と実朝の関係」が問題となります。

最近は官打ちではないが通説である、というような叙述の場合、これは簡単に言えば「多数決の結果はそう」ということです。「通説」とは「今支持が多い説」です。

佐藤進一さんという中世史の偉人がいて、官打ちは別に主張してないでしょうが(調べてません)、「公武の対立と協力」を主張しました。どっちかというと「対立」に重きを置きました。
親王将軍問題については、幕府が公武融和の名のもとで、実は東西の分裂を狙っていることを「後鳥羽は鋭く看破した」と書いています。つまり「対立基調でとらえる」のです。

公武対立という立場からすると「官打ち」は「迷信であるが、やっていてもおかしくない」となり、公武協調という立場をとれば「やっていない」となります。
多数決の問題に過ぎません。今多数派は「やっていない」派です。蛇足ですが、佐藤進一さんの岩波文庫「日本の中世国家」、これは「しびれ」ます。美しい日本語です。非常に論理的であるのに、まるで「文学のよう」に私の言語中枢を刺激します。「知性とはこういうものか」と思ったりします。といって書かれている内容が全て正確か、はまた別問題です。

佐藤進一さんは「マルクス主義者ではないが、戦後の知識人としてマルクスの階級闘争の理論に影響を受けていた。だからだめだ。ソビエトが崩壊したんだから、階級闘争なんてないのだ、マルクス史観なんて終わっているのだ」てな感じで、マルクス史観憎しの一点から、否定的に捉える人が多くいます。特に「佐藤さんは東大なので京都大学系」や「40代以下の若手」はそういう傾向があります。大先生なのになー、否定だけじゃもったいない。全くマルクス主義者じゃないし。

佐藤さんの「孫弟子」である本郷和人さんは、それは違うという意図からなのか「京都大学系の古い先生ってマルクス主義者が多いのですよね」とか、チクリと皮肉を書いています。
「権門体制論の教祖である黒田俊雄さんは京大出身で大阪大学名誉教授の、バリバリのマルクス主義者じゃないか」とは言いません。さすがに露骨な学閥闘争をする気はない、のだと思います。黒田さんは象徴天皇制にすら牙をむくほどの「戦士」です。1973年の文章ですが、当時の世相も分かって、実に興味深い。権門体制論提唱の「意図」も明白に分かります。

さて私、本郷さんは少数派なので、結構好きです。本の内容はだいたい同じです。この間は「俺の先生の石井進が、中世には国家はなかったでしょの一言否定で権門体制論を放置したから、いけないのだ」とか書いてました。なんとか本郷さんに頑張ってほしい。権門体制論をこの半年ずっと読んでいる私としては、権門体制論の「あら」がよく見えてきましたので、そう願うばかりです。実際は本郷さんにそんな気はないから、東の40代の学者ですね。桃崎さんなども否定派ですから頑張ってほしい。ただ黒田俊雄さんの著作は読み物としては実に面白い。あれは歴史書というより思想書です。これまた私の言語中枢を刺激します。知識もあふれんばかりで、やっぱり大先生、巨匠でしょう。

とにかくアメリカのレッド・パージじゃあるまいし、マルクスに近いか遠いかでものを論じるとは、「児戯に等しい」と私は怒りを覚えます。そんなの学問ではない。いい加減にしろ、ってとこです。
私自身は「マルクス的進歩的知識人」に影響は受けたものの、マルクスなんて共産党宣言ぐらいしか読んだことがない。しかも日本語です。

「マルクス史観」は一度冷静に考えるべき問題ですね。「闘争」や「対立」が現実にあって、それが歴史を動かすのは歴然としています。ただし「階級闘争」でない場合が多い。武士も公家も「支配者という意味では同じ階級」です。でも階級闘争も全くないわけじゃない。。そして同じ経済的階層間の闘争もある。「資本家と労働者の区別」は今ははっきりしない。でも「貧乏人と富裕層、格差」は歴然としてあります。「闘争と協調」「対立と調和」が歴史を動かす以上、「マルクス史観だからダメ」という非論理的態度は捨て、何がダメなのか、どこを継承するべきか。「政治的立場にとらわれず」とかいう「ごたく」を言っている暇があったら、どうやっても政治性を帯びるのが言語の宿命なのだから、政治的中立という自分の立場に疑義を向け、真剣に考えるべきだと思います。ただしマルクスの名でものを語るのは個人的にはやめてほしい。「マルクスはこう書いている」とか。あれ、はもううんざりです。ちなみに黒田さんは一切そういう「マルクス引用」はしません。

今は「政治性がない感じにソフトに改変した権門体制論」が主流なので、「官打ちはない」とされていますが、それこそ歴史学は弁証法的に展開して「あーいえばこういう」ですから、「ない」が主流となれば「若手はあったとやがて主張する」ことになるはずです。20年後はどうなっているか分かりません。

20年後じゃなくても「あまりに公武協調を主張しすぎることは偏見」「権門体制論史観にとらわれてはならない、原理的思考に陥る」という態度も、すでに若い研究者の「研究の最前線」とかいう本を読むと出てきています。人間が二人よれば対立だって生じるわけで、「対立は基本的にない」なんて「調和した世界」が中世に(現代にも)存在するわけないのです。黒田さんのオリジナル権門体制論は、対立がないなどと全く言っていません。「あまりに対立がクローズアップされている。それはおかしい。公家と武家は一つの「機構」を通じて人民を支配したではないか。つまり対立しながらも相互に補完することも多かったのである。全支配階級の支配機構の総体を考えないといけない」と主張します。支配階級という点では公家も武家も同じということか。ちょっと何言ってるか分からない、のは、私の引用の仕方が粗雑だからです。読めば分かります。いや、私はまだちょっとわかっていない点もあります。でも世の中私より優れた読解力を持った方は多いでしょうし、難しい文章ですが、読めば(たぶん)分かります。「中世の国家と天皇」という比較的短い文章です。この文章が所収されている原著「日本中世の国家と宗教」は入手しにくいですが、岩波講座のどれかに転載されているので、そっちは図書館にあります。たぶん。

「実朝の右大臣昇進は官打ちじゃないかも知れないが(どっちでもいいが)、後鳥羽と実朝、後鳥羽と幕府に対立がない、なんてありえない。組織と組織の間には対立があって当然というか自然,
相互補完とは対立も包括する概念で、協調のことではない。また対立を競合と言い換えるのは姑息である」が私の立場です。


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