いいことみ~つけた

小さな喜びみつけて、"幸せ!"って感じられたらいいな!

紙芝居 「津波だ! 稲むらの火を消すな」

2011-03-16 17:53:38 | 日記

人々は、思わず身震いしました。

海辺の村が、水けむりとともに、津波におそわれたのです。

村のすべてのものが、さかまく波にのみこまれ、すがたを失っていきました。

つい先ほどまで、津波がくることを知らずに、あそこにいたのだと、村人たちは気づきました。

「おぅ、おそろしいことだ。」

時をおいて、津波は二度三度と、おそってきました。

村人たちは、ずらりと、儀兵衛の前にひざまずいて、頭を下げました。

「お陰さまで、命が助かりました。」

「庄屋さま、ありがとうございます。」

儀兵衛は、うなずきながら、いいました。

「浜口の家には、大地震のあとには、津波がくるという、いい伝えがあってな。 

 とっさに、それを思い起こした。 御先祖さまの、言葉のおかげだ。」

儀兵衛は、若者たちを引きつれて、となり村へいき、たくわえ米を借りてきました。

そして、おかみさんたちが、米をたき、にぎり飯をつくりました。

「さあ、これを食べて元気を出しなさい。」

儀兵衛が、先頭に立って、みんなに配って歩きました。

やがて、余震が続くなか、あれはてた村に、いくつもの仮小屋がつくられました。

村人たちが、立ち直りの一歩をふみだしたのです。

ところが、津波によって、何もかも失ってしまったある村人は、儀兵衛に、

「もう、広村には住んでいられません。 働き口をさがしに、よその村へ移ろうと思います。」

また、ある村人は、

「またいつか、津波がくるかもしれないと思うと、こわくてなりません。 もっと、安全なところへ行きます。」

と、 涙ながらに、うったえました。

儀兵衛は、浜辺によせる波を見つめていました。

天洲ケ浜と、美しく名づけられたこの浜辺。

「ここに、津波をふせぐ堤防をつくろう。 村人に働いてもらえば、それが働き口になる。

 ふるさとが、よみがえるのだ。」

儀兵衛は、ひとり、うなずきました。

浜口家では、むかしから、銚子で醤油をつくり、江戸で大きな商売をしています。

「働く人の給料や、堤防づくりのすべてのお金を出すと、大金が必要だが、

 なんとしてでも、やりぬこう。」 と、かたく決心しました。

さっそく、工事が始まりました。

儀兵衛が調べたところ、広村は、ここ五百年の間に、ほぼ百年ごとに、大津波におそわれているのことが、

わかりました。

むかしの津波のようす、こんどの津波のようすをもとに、儀兵衛が堤防の設計をし、工事のさしずをしました。

村人たちは、よく働きました。

「村を守るために、がんばろう。」

「男も女も、働けば、すぐにお金がもらえる。 ありがたい、ありがたい。」

「田畑の仕事が、忙しくなれば、工事のほうは、休みになるとか。」

「こんなに、働きがいのあることはない。」

四年の月日、多くの人々の力、それに大金をかけて、りっぱな堤防が完成しました。

稲むらの火が燃えた時の、安政南海地震津波から九十二年後、昭和南海地震の時には、

予想したように、大津波がおそってきました。

しかし、堤防はゆるぐことなく、人々を津波から守りました。

 

和歌山県広川町の堤防では、毎年十一月に、津波まつりがおこなわれます。

「稲むらの火を忘れません。」

「堤防づくり、ありがとうございます。」

こどもたちが、それぞれに、一袋ずつの土を堤防に運び、積み上げて祈ります。

そして、

「みんなで、ふるさとを守ります。」と、防災の心をあらたにするのです。

 

  おわり

 

 

東北地方 東日本の 一日も早い復興にむけて、日本人一丸となって がんばります!!

今こそ 日本人の 底力を見せる時です。

必ずや 見事なる 復興が果たせるはずです。

 

 

 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿