16年前のアンゴラは、地雷による死傷者数が世界一多い国だった。
13歳のサンドラ・ティジカも犠牲者の一人。10歳のときに内戦から逃れようとしていて地雷を踏み、左脚を失った。
1997年1月。ダイアナ妃は地雷撲滅キャンペーンのため、アンゴラの首都ルアンダを訪れた。動画はこちら。
埃っぽい塀に並んで腰掛けたダイアナ妃とサンドラの写真は、世界中を駆け巡った。
16年経ち、29歳になったサンドラは3人の子供の母親である。アンゴラで供給される義足は重すぎて自由に動けないため、杖を使っている。
地元の役所で文書作成の仕事をしている。夫は軍人だ。トタン屋根を載せた6メートルx8メートルの小屋に、夫、三人の子供(8歳・6歳・4歳)、自分の13歳の妹と6人で暮らす。
家の中には、ダイアナ妃と一緒の自分の写真が誇らしげに飾られている。教科書にも載ったあの写真のため、サンドラはどこに行っても人々に認識されるという。
今月、サンドラは16年前にダイアナ妃としたように、8歳の娘と一緒に塀に並んで腰掛けた。
「ダイアナ妃は、私の頬を撫でて、素敵なことをたくさん言ってくれたわ。私の国の状況を改善させるのを楽しみにしていることなどを。
彼女が死んでしまったと知ったときは、しばらく涙が止まらなかった。
ダイアナ妃はアンゴラに希望をもたらしてくれた。外国からの人道的支援のおかげで、地雷は少しずつ減ってきている。
ダイアナ妃は私たちの国を助けてくれた。彼女のおかげで、アンゴラはずっと安全な国になった。
ウィリアム王子とケイト妃に、いつかお会いできたらと願っているわ。」
今年公開予定の映画 “Diana” には、ダイアナ妃がサンドラと会うシーンもあるという。
「私が映画で女優によって演じられるなんて、信じられないわ。
うちにはテレビがないから見られないけれど、いつかぜひイギリスに行って、見てみたいわ。」
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マスコミの注目を集める自分の立場を有効利用して、地雷の撲滅にむけて運動していたダイアナ妃。
サンドラと一緒の写真が撮られてからわずか7ヶ月後に亡くなってしまうなど、誰が想像したでしょうか。
ケンジントン宮殿の門の前に捧げられた花束の、波また波・・・ 今でも目に焼きついています。
本当に偉大な女性でした。
ダイアナ妃のご冥福を、心からお祈りします。 ・・・