ハナママゴンの雑記帳

ひとり上手で面倒臭がりで出不精だけれど旅行は好きな兼業主婦が、書きたいことを気ままに書かせていただいております。

忠犬ハチ公: ようやく一緒に!

2018-01-15 19:11:24 | どうぶつ

英語ブログに時間をとられてこっちのブログの更新がますます遅れております。

何を書いていたかというと、最近知った嬉しいニュース!

ハチ公が慕っていたのは東大の上野博士でしたが、その上野博士の内縁の奥様だった八重子夫人に関するニュースです。

皆さんもうご存知でしょうが、ご存知でなかった場合に備えてこっちにもさっくり書かせてくださいな。

《そうそう、こっちのブログにも以前ハチ公に関してだらだらと書きました(前編/中編/後編)が、ひとつお詫びとともに訂正させてください。後編に登場した上野一人氏は、上野博士夫妻の養女つる子さんのご子息ではなく、子供のなかった上野博士に代わって上野家を継いだ甥御さんのご子孫のようです。》

53歳の若さで急逝された上野英三郎博士。彼を慕って10年近くも渋谷駅で待ち続けた忠犬ハチ公は、その死後毛皮は剥製にされ国立科学博物館に秋田県のモデルとして陳列されたものの、そして臓器はホルマリン漬けの標本となって上野博士の勤務先だった東大の農学資料館に展示されたものの、それ以外は遺灰となって青山霊園にある上野博士のお墓の傍らに埋葬されたそうです。でもこれは上野博士の分骨されたお墓で、メインのお墓(?)は三重県津市の名家だった上野家代々の墓所にあるようです。(こちらに画像があります。)

 

(画像源 ↑ Wikipedia

 

ハチ公が日本中の人気者になり手厚く葬られたのは嬉しい限りです。が、内縁の妻だったため博士の死後は上野家を出て一人で新生活を始めなければならなかった八重子夫人はその後どうなったのか・・・ 気になっていました。こちらによると、八重子夫人は博士より14歳年下で、博士が40歳くらいのときに茶道を通じて二人は出会い、一緒に10年ほど暮らし、博士が亡くなったときは八重子夫人自身が40歳くらいだったようです。幸いこちらによると、上野博士を慕っていた学生たちが彼女をサポートしてくれた様子。

       

 

戦争を生き延びた八重子夫人は、1961年4月30日に死没(享年76歳)。生前「上野博士のお墓の傍らの灯籠の下に埋めてもらいたい」と希望していたそうです。しかし二人は戸籍上は生涯独身だったため、八重子夫人は『坂野八重』としてその死後上野の寛永寺に埋葬されました。しかしながら、近年の東大の教授有志のはたらきにより、紆余曲折の末八重子夫人の分骨を上野博士のお墓に合祀することが、2016年5月19日に実現したそうです。 (以下画像はこちらから拝借しました。)

ハチ公 天国でも忠犬 飼い主夫妻の合葬橋渡し (毎日新聞)

  

  

 

渋谷駅の吉川駅長、八重子夫人とハチ公

上野博士はハチ公と16ヶ月ほどしか暮らせませんでしたが、八重子夫人もそれはハチ公をかわいがり、ハチ公のためを思って知り合いに託してからも、折に触れてはハチ公に会いに行っていたそうです。ハチ公のお葬式で喪主を務めたのも八重子夫人でした。子供がなかったという上野博士夫妻。博士との思い出をつなぐハチ公が死んでしまったとき、八重子夫人はどれほど悲しんだことか・・・。

 

教授の死から91年後に、ようやくまた一緒になれた3人。どうぞ安らかに安眠されますように。・・・ 

 

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コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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良いお話ありがとうございます (keriko )
2018-01-18 12:48:32
久しぶり過ぎて、初めましてと同じですが、
以前からこちらのブログを見ていた者です。

本当に色々ありましたが、落ち着きまた、CMも
させて頂くかも知れません。

ハチ公のお話全く知りませんでした。

心が温かくなりました。
ありがとう。
日本はとても寒い冬です。

お身体気をつけてお過ごし下さい
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お久しぶりです! (ハナママゴン)
2018-01-20 23:54:06
コメントありがとうございます。
いろいろあったものの落ち着かれたとのこと、嬉しく思います。
まだまだ寒い日が続きますね。(と言いつつイギリスはわりと暖冬ですが。)
寒い冬には心が温まる話がいいですよね。
春を待ちこがれつつ、お互い体調に気をつけて過ごしましょう。
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