ハナママゴンの雑記帳

ひとり上手で面倒臭がりで出不精だけれど旅行は好きな兼業主婦が、書きたいことを気ままに書かせていただいております。

忠犬ハチ公 (後編)

2016-04-05 23:42:01 | どうぶつ

 《 中編からのつづき 》

 

日本一有名な犬だけあって、ハチの銅像は渋谷以外にもある。

ハチの故郷の大館市。 駅前に立つのは、両耳が立った、若く力強いイメージのハチ公像だ。

 

 

 駅構内にはハチ公神社があって、ハチ公トイレなんてのもあるけれど、その近くには・・・

          

 

・・・ハチの生家! それを記した碑と、またまたハチ公像がある。

  

(これだけではない大館市にあるハチ/秋田犬の像についてはこちらをどうぞ。)

 

長いこと鶴岡市役所に正体不明のまま保管されていた二代目ハチ公像の試作品は、2006年に制作者・安藤士(たけし)と

59年ぶりに再会。 2012年から毎年10ヶ月間(雛人形が展示される期間をのぞいて)、鶴岡駅構内に展示されている。

ハチを有名にした斎藤弘吉の出身が鶴岡市だったことから、同市にも 『鶴岡ハチ公保存会』 が設立された。

安藤士は鶴岡市の借家でハチ公像を制作。 完成後石膏の試作品は借家に残したそうだ。

 

  

(おそらく士のために借家を探し出してきたのが斎藤弘吉だったのでは? そのため東京を離れ、鶴岡市で制作することになったのでは?)

 

 ハチの最愛の飼主・上野英三郎博士の出身地である久居駅(三重県津市)東口には、2012年10月、

並んで立って見つめ合う博士とハチの像が建てられた。 このハチも若々しいイメージ。

  

(ちなみに上野英三郎博士の遺骨は分骨され、三重県津市久居の法尊寺にもお墓があるそうだ。 こちらの37ページ目に記載あり。)

 

 2014年4月には、初代ハチ公像のひな形が存在していたことが判明。

渋谷駅前「忠犬ハチ公像」設置から80年―初代ひな形の存在判明 - シブヤ経済新聞

戦災逃れた初代ハチ公 設置から80年、原型見つかる - 47NEWS

 持主は2014年4月の時点で御歳99歳(!)の白川セキで、彼女は空襲で照・士の妹とともに亡くなった、安藤家住み込みの

加茂なみの友人だった。 「照さんは苦学の身だった母に目をかけてくれ、遊びに行った際に原型を託したようだ」 と語るのは、高齢の

白川セキに代わって像を保管する長女の谷内真理子(66歳・下中)。 終戦間際、白川セキは石膏像を東京から茨城県古河市の実家に

移したため、像は空襲に遭わずに済んだらしい。 その後も引越す度に厳重に包装して運ばれた。

「一番安全だからと床の間に飾り、照さんの署名を指差しながら 『初代ハチ公の原型なのよ』 と話していた」 と、娘の谷内真理子。

 

         

(ニュース記事が将来アクセスできなくなった場合に備え、内容をリピートしております。 ご了承くださいませ。)

 

 そして2015年3月8日、ハチの80年目の命日に、東大農学部に新たな銅像がお目見え!

上野博士をお出迎えするハチの像。 上野博士の存命中は、毎日のように繰り返された光景だったろう。

 

鞄を足元に置いて、優しくハチを見つめる上野博士。

 

相対するハチは喜びに満ちあふれていて、見ているこっちまで嬉しくなる。

  

両耳がピンと立ち尻尾もくるりと巻いた、若々しいハチだ。

 

(東大農学部の上野博士とハチ公像散策ガイドはこちら。)

 

その日、除幕式の騒ぎが収まって辺りが静かになってから、上野博士の孫・上野一人がハチ公ファンであるイタリアの少女・

ステファニーからの手紙を像にそっと載せた。

     

(“上野博士の孫が三重県にいることを知り、英語のメールを三重県多文化共生課に送って橋渡しを依頼した” とは、なかなかの行動力。

彼女の来日がいつの日か実現して、ハチ公像と対面できますように!)

 

上野博士には実子がなく、事実婚だった八重子夫人・養女のつる子一家3人と同居していたそうだが、そして博士の死後は

八重子夫人もつる子一家も上野邸を出なければならなかったそうだが、上野一人がつる子の子供で津市在住だとしたら、一人は

上野博士の死後、上野家に容認され受け入れられたのだろう。 上野一人は三重県議会の副議長を務めたことがあるそうだ。

             

 

ハチ公像について、最後にもうひとつ。

安藤士が大切に保管している、ハチの小さな臥像がある。 父親の安藤照が1933年(昭和8年)に10体ほど制作し、最も出来ばえの

良い3体が、1934年(昭和9年)に皇室に献上された。 ひとつを照が保存し、残りは知人らに贈られた。 照が保存していたものは

戦後に士が、焼け落ちた家の跡で発見した。 空襲で焼けたため前脚が溶けてしまっている。

このハチ公臥像の損傷していないものが、茨城県古河市に存在する。 (詳しくはこちら。) ハチ公臥像のひとつをもらったのが、

前出の安藤家の住み込み家政婦・加茂なみで、彼女自身は安藤照と照の娘とともに空襲で亡くなったが、彼女の臥像は

古河の実家にあったため無傷で済んだらしい。

さらには安藤照作でないもうひとつの臥像も存在するという、興味深い記事もあった。

 

渋谷のハチ公像には、ときに相棒がいたらしい。 ハチの群像を作った人、根性ある!

   

両前脚の間にすっぽり納まった、かわいい相棒たち。 

    

 柔道や 「もっと野菜を食べましょう」 のプロモーション活動に寄与したこともあったらしい。

 2014年にはバレンタイン・デーに合わせて作られた等身大の 「チョコ」 ハチ公像まで登場。

     

 

戦後から半世紀以上も、渋谷の、東京の、そして日本のドラマチックな変化を見つめてきたハチ公像。

今や渋谷と切っても切れない絆で結ばれたハチ公像は、将来渋谷がどれほど変わろうとどれほど発展しようと、

いつだって居場所を用意してもらえることだろう。 これからもずっと、大切な人同士が会うのを助け続けることだろう。

そしてそれは、制作者にとっては彫刻家冥利に尽きることに違いない。

 

 

 

「皆さんと親しみがもてる高さでよかった。 一般的には彫像は少し離れて鑑賞するものでしょうが、ハチ公像は

皆さんに撫で、かわいがっていただきたいのです。」 と、安藤士(1923-)。


  

(初代ハチ公像は162cmあり、しかも180cmの台座の上に座っていたって・・・本当!?


長年多くの人々に触れられてきたため、ハチの鼻と両前脚はもはやでこぼこしておらず、滑らかでぴかぴかに光っている。

しかし士はこれを喜ぶ。 「ハチが愛されてきた証拠ですから。 ハチにはこれから先も、皆さんに容易に

会いにきてもらえる場所にいて欲しいです。 ビルの中とかそういったところではなく。」

士は何度もハチの像制作を依頼されたが、すべて断ってきた。

「私にとって、ハチは渋谷駅にいるからハチなんです。 他所にハチを作る気にはなれません。」

 

 2007年のエイプリル・フールには、『ジャパン・タイムス』紙が “渋谷の 『忠犬ハチ公』 消える”  という記事を

ジョークで掲載したそうだけど・・・ 冗談キツイって~!

 

 

  渋谷駅周辺ではまたまた整備事業が進行中で、現在は東側を整備中。 ハチ公広場のある西側の整備は2020年の東京オリンピック

後に始まり、2026~2027年頃に終わる予定とのこと。 西側の整備が始まれば、ハチ公像はまた移転しなければならない。

ハチのふるさと大館市がハチ公像の “里帰り” に大乗り気で渋谷区に非公式にラブコールを送っているそうだけれど・・・・・

私はそれには反対です。 一時的にとはいえハチ公像のない渋谷駅なんて、渋谷駅じゃないから。 渋谷といえばハチ公で、ハチ公と

いえば渋谷だから。 それにハチ公はもはや、日本人だけの宝じゃない。 ハチ公との対面を夢見てはるばる外国から来てくれた人が、

渋谷にハチ公がいないと知ったらどんなにガッカリすることか・・・・・ 「渋谷だからハチ公なんです」 安藤士さんの仰る通り。

ハチ公像だって、ずっと渋谷に居続けたいのでは? 大館市には申し訳ないけれど。 大館市に恨みがあるわけでもないけれど。

 

*       *       *       *       *       *       *       *       *       *

 

東京都生まれの東京都育ちとはいえ、私の実家はずずーっと西に引込んだ片田舎にありまして。 もともと賑やかで混雑した

場所は嫌いだったし、都心でOLをしていた20代の頃は遠距離通勤だったので週末まで都心に出る気になれず。

銀座も新宿も渋谷も無縁のままイギリスに落ち着いてしまったので、私のハチ公との初対面は、東京都民としては

と~ても遅いものになりました。 ムスメとムスメの友達と私の3人で東京観光に行った2013年10月にようやくそれは

実現し、私は51歳になっていました。

 

暗くなってからハチ公像に着いたら、外国人女性が愛おしげにハチを見上げていて嬉しかったです。

  

 フラッシュなしと、フラッシュありの撮影。

 

 

 ハチの像は渋谷駅の北西側にあるハチ公広場で、駅=ハチ公口の方を見つめて座っていました。

 

 ネットで見つけた航空写真です。 ハチが上野博士を待っていた頃の渋谷駅と比較すると、まるで未来都市・・・

あ、実際未来都市か。

 

私のように東京に不慣れな方のため、英語ブログ用に作った地図を貼っておきます。

 

昭和30年(1955年)のハチ公口周辺と、

 

現在の同じ場所。

( 『写真展 東京の半世紀』 とても興味深いです。)

 

現在だったら、『忠犬ハチ公』 は生まれ得ないですね。 犬が単独でうろついていたら、すぐさま保護されますから。

大衆の安全のためもあるけれど、まずは犬自身の安全のために。 車が多くて危ないですもん。

大型犬がうろついていられた頃の渋谷駅。 写真でしか見たことないのに、ものすごく郷愁を感じます。

タイムスリップしてその頃の東京を歩けたらいいのになぁ。

そんなことも、ハチ公が愛され続ける理由のひとつかもしれません。

 

 

 

 今年のハチ公記念日= 4月8日は3日後。 この記事がそれまでに完結できてよかったぁ。

4月8日はハチが生まれた日でも死んだ日でも、上野博士の命日でも、初代/2代目のハチ公像が建立された日でもありません。

どうやら桜のシーズンに合わせて設定されたようです。 でもこの日って、ハチの命日3月8日と上野博士の命日5月21日の

ほぼ半ばに位置しているから、なかなかいい選択では?


いつか、ハチ公記念日に渋谷を訪れられますように! 

 

 

さて今さら何ですが、皆さん 『HACHI 約束の犬』 は見ましたか?

最初は (日本の話なのになぜハリウッドでリメイクするのよ!?) と反発を覚えましたが、実際見てみたら

すごくよく出来ていて大満足しました。 時代も舞台も設定が変えられているけれど、全然気になりません。

動物/人間のどの俳優も、すごくよかったです。

 

     

   

 

ハチ公物語』 は時代考証がちゃんとしていて、見ていて郷愁を搔き立てられました。

こっちの動物/人間俳優さんたちも、とてもよかったです。

以前どこかで 「仲代達矢が犬とからむシーンは愛情が感じられず信憑性に欠けた」 なんていう感想を読んだ覚えが

ありましたが、全然そんなことなかったです。 “先生” がハチと一緒にお風呂に入るシーンには思わず微笑んじゃいました。

 

 

  

  

(『ハチ公物語』 ラスト11分は、こちらで視聴可。 いつまで見られるかわかりませんが。)

 

 ハチについて書くことにして、そのためあれこれ調べて、本当に良かったです。 知らなかったことがたくさんわかりました。

一番の収穫は、ハチが一度も野良犬だったことはなかったと知ったことです。 それどころか、ハチは幸せな犬でした。

上野夫人は夫の急逝後きちんと犬たちのことを親類に頼んでくれたし、自宅ができてからハチを飼おうとしたし、

でもハチのためを思って植木職人の小林さんにハチを託したし。

小林さんは小林さんできちんと責任を持ってハチの世話をしてくれたし。

晩年有名になってからは、皆がハチをいたわり親切にしてくれたし。

ひとつだけひっかかるのが、死後ハチの胃に見つかったという焼鳥の串ですね。 どういういきさつで

ハチが串を数本も呑み込む羽目になったのか・・・ 串は胃袋を損傷してはいなかったそうですが、焼鳥をあげるなら

ちゃんと串を外してからあげてよっ!と思うし、ましてや誰かが悪意をもって故意にしたことでないことを祈ります。

 

気の毒だったのは、上野夫人ではないでしょうか。

事実婚だったという理由でおそらく私物だけを持って上野邸を出なければならなかったし、

戦争が迫る中、初老の年齢で一人新たに人生を再構築しなければならなかったのですから。

お茶の師範だったそうだから、それで生計を立てたかもしれませんね。

上野夫人に関してその後のことがもっとわかるといいのですが・・・。

 

ひとたび美談が知れ渡ると、必ずそれを貶めたがる人間が出てきます。 ハチの場合も例外ではなく

いろいろと言う人がいたようですね。 ハチがなぜ渋谷駅に通い続けたか、誰も知りません。 もしかしたらハチ自身も

知らなかったかも。 ハチは自由に生き、自由に行動しました。 ハチが自由に渋谷駅に通い続けたように、

私たちも自由に何を信じるかを選ぶことができます。 でもそんなこと、ハチにとってはどうでもいいこと。

 

 

 

 有名になる前のハチに、人々は必ずしも親切ではなかった(過少表現)のは残念なことです。 新聞記事の

前も後も、ハチは同じハチでした。 ある日を境に態度が一変した人々を、ハチはどう感じたでしょうか。

ハチは誰に害をなしていたわけでもないのだから、人々が最初からハチに親切にしてくれていたらと思います。

相手が人間だろうと動物だろうと、別に何の害もなしていないのだったら、お互いに親切でありたいものです。

 

ハチが天国で上野博士と幸せでありますように・・・・・

 

 

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コメント (4)    この記事についてブログを書く
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4 コメント

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素晴らしい記事ありがとうございます (湯葉)
2018-08-08 18:38:08
前編から一気に読みました。
当時の貴重な写真もあり、今まで知らなかったハチ公のエピソードを細部まで知る事ができました。
永久保存版!!!
野良犬にならず、映画出演なども果たし、みんなに大切にされたを知って嬉しくなりました。

何故教授の死後、ハチ公が手放されたのかと思っていたのですが、上野教授の奥さん、娘さん一家が家を出なければならなかったのは知りませんでした。
可哀想に…。
コメントありがとうございます。 (ハナママゴン)
2018-08-09 02:49:13
私もハチ公の名前は子供の頃から知っていながら、詳しい背景は知りませんでした。
なのでいろいろ調べた結果ハチ公が野良犬だったことはないとわかり、本当に嬉しかったです。

時代が時代でしたから、上野夫人は身ひとつで上野邸を後にしなければならなかったのでしょうね。
でも上野教授を慕っていた多くの学生が、その後の上野夫人をしっかりサポートしてくれたそうで、それを知ったときまた嬉しくなりました。

今年に入って書いた 『忠犬ハチ公: ようやく一緒に!』 の記事、その辺りを書いてあるので、まだお読みでなかったらぜひお読みくださいね。
Dziękuję (Izabela )
2019-11-04 03:59:22
Obejrzałam film....kocham zwierzęta bardziej od ludzi....
Chciałam poznać prawdę o Hachiko, jakie miał życie...czy ktoś o pieska dbał...i znalazłam ten blog...to cud...Dziękuję
Dziękuję za Twój komentarz. (hanamamagon)
2019-11-04 07:41:06
Bardzo też kocham psy. Kiedy odwiedziłem Kraków, poszedłem też zobaczyć lojalnego psa Krakowa DZOK!

https://blog.goo.ne.jp/hanamamagon/e/4566b1f9bb0faf23369abc6d344d8095

https://blog.goo.ne.jp/hanamamagon/e/1b2d5f76edf27a13c4a495df2f348c28

O Hachi pisałem też na moim angielskim blogu. Jeśli jesteś zainteresowany, oto link.

https://yumig.wordpress.com/2016/03/20/hachi-the-faithful-dog-part-1/

Jeszcze raz dziękuję za przeczytanie!

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