(ケイトーとのお別れ ② からの続きです。 注:これは去年の話です)
2007年4月の写真。野生のブルーベルが満開。
10日ほどして動物病院から連絡があったので、ケイトーの遺灰を引き取りに行った。遺灰は浮き彫りの入った木箱に納められていた。
しばらく家に置いておいて、夏にでもなったら半分は庭に、半分はよく行った丘に撒こうと思った。
木箱の上に載っているのは、ムスメが粘土で作ったケイトーと、私がビーズで作ったケイトー。
そして一年経った今でも、遺灰は居間の同じ場所にある。
私の人生の一番忙しかったけど一番充実していた時期を、ともに過ごしてくれたケイトー。
遺灰を撒いちゃう気にはまだなれない。だから、遺灰をどうするかは今後の気分次第。
ムスメに遺言で頼んで私の棺に一緒に入れてもらうのもいいな、なんて最近は考えている。
私が里帰りから戻って19日目に逝ったケイトー。
私の帰りを待っててくれたんだな。
ありがとうね。本当に、ありがとうね。
オマエと暮らせてよかったよ。楽しかったよ。虹の橋で、また会おうね。
* * * * * * * * * * * *
居間の壁に掛かっている写真。
ケイトーが年を重ねるにつれて、私もケイトーの最期を想像しては重い気持ちになったものです。
動物を飼っている方は、皆さん同じですよね。
私が怖れていたのは、家族の留守中、あるいは夜皆が眠っている間に、ケイトーが一人で旅立ってしまうことでした。
帰宅して、あるいは朝目覚めて、すでに冷たくなっているケイトーを発見するのだけは避けたい。そう思っていました。
最期のときは(こわくないよ、大丈夫だよ)とそばにいてやりたかったから。
ケイトーの最期は安楽死という人為的な手段で迎えることとなりましたが、一緒にいてやれた、その意味では良かったと思っています。
まだ7歳で、大型犬ではあってもまだまだ逝くような年齢ではなかった富士丸くん。
その富士丸くんに突然、自分の外出中に逝かれてしまった穴澤さんのショックと悲しみは、想像を絶するものだったでしょう。
高齢でそれなりに覚悟をしていたケイトーを亡くしてさえ、あんなに悲しかったのだから。
私も去年の夏頃までは、本当にどんよりしていました。仕事と家事をこなすのが精一杯。あとはネットで『家族募集中』のワンコたちを眺めて気を紛らわせていました。
あんまり陰気なムードだったので、ムスメに冗談半分で「ケイトーの後追ったりしないよね?」と言われたほど
でも、悲しいのが当たりまえ。悲しくなきゃヘンなのです。
悲しみを癒すのに必要なのは、時間。これしかないです。父を亡くした時も同じでした。
そういえば父を亡くしたあと、ケイトーの首に抱きついて「ケイトー・・・お父さんが死んじゃったよぉ・・・」と泣いたことがあったっけ。ケイトー、おどおど困ったようなカオして、でもおとなしくじっとしていてくれたっけなぁ。
かわいがっていたペットを亡くした人たちは、またペットを飼う人と、「同じ悲しみを味わいたくないからもう飼わない」という人に分かれますよね。
私は、時間に余裕ができたらまた飼いたいです。こんな私でも、家族が必要な犬の役に立てれば嬉しいから。ケイトーも私がそうすることを喜んでくれると思うし。
でも人生の中盤に16年近くも一緒に暮らしたケイトーのことは、一生忘れません。
今なお手に残るケイトーの、ビロードのように柔らかかった額と耳の毛の感触は、一生忘れないというか、忘れたくないです。
ところで『ケイトーに似た犬』で記事にしたサムくんですが。あのあと10日もしないうちに Oldies Club のサイトから削除されました。
あのサイトを通じて新しい飼主が見つかったのなら、普通はその旨を付け加えるだけでその犬の紹介記事はそのまま残されるので、私が想像するに今の飼主さんが、①気を変えてサムくんを手放すことをやめたか、②自力でサムくんのために新しい飼主を見つけた、のではないかと思っています。
いずれにせよ、ケイトーによく似たサムくんが今、どこかで幸せに暮らしていますように
(おわり)
2007年4月の写真。野生のブルーベルが満開。
10日ほどして動物病院から連絡があったので、ケイトーの遺灰を引き取りに行った。遺灰は浮き彫りの入った木箱に納められていた。
しばらく家に置いておいて、夏にでもなったら半分は庭に、半分はよく行った丘に撒こうと思った。
木箱の上に載っているのは、ムスメが粘土で作ったケイトーと、私がビーズで作ったケイトー。
そして一年経った今でも、遺灰は居間の同じ場所にある。
私の人生の一番忙しかったけど一番充実していた時期を、ともに過ごしてくれたケイトー。
遺灰を撒いちゃう気にはまだなれない。だから、遺灰をどうするかは今後の気分次第。
ムスメに遺言で頼んで私の棺に一緒に入れてもらうのもいいな、なんて最近は考えている。
私が里帰りから戻って19日目に逝ったケイトー。
私の帰りを待っててくれたんだな。
ありがとうね。本当に、ありがとうね。
オマエと暮らせてよかったよ。楽しかったよ。虹の橋で、また会おうね。
* * * * * * * * * * * *
居間の壁に掛かっている写真。
ケイトーが年を重ねるにつれて、私もケイトーの最期を想像しては重い気持ちになったものです。
動物を飼っている方は、皆さん同じですよね。
私が怖れていたのは、家族の留守中、あるいは夜皆が眠っている間に、ケイトーが一人で旅立ってしまうことでした。
帰宅して、あるいは朝目覚めて、すでに冷たくなっているケイトーを発見するのだけは避けたい。そう思っていました。
最期のときは(こわくないよ、大丈夫だよ)とそばにいてやりたかったから。
ケイトーの最期は安楽死という人為的な手段で迎えることとなりましたが、一緒にいてやれた、その意味では良かったと思っています。
まだ7歳で、大型犬ではあってもまだまだ逝くような年齢ではなかった富士丸くん。
その富士丸くんに突然、自分の外出中に逝かれてしまった穴澤さんのショックと悲しみは、想像を絶するものだったでしょう。
高齢でそれなりに覚悟をしていたケイトーを亡くしてさえ、あんなに悲しかったのだから。
私も去年の夏頃までは、本当にどんよりしていました。仕事と家事をこなすのが精一杯。あとはネットで『家族募集中』のワンコたちを眺めて気を紛らわせていました。
あんまり陰気なムードだったので、ムスメに冗談半分で「ケイトーの後追ったりしないよね?」と言われたほど
でも、悲しいのが当たりまえ。悲しくなきゃヘンなのです。
悲しみを癒すのに必要なのは、時間。これしかないです。父を亡くした時も同じでした。
そういえば父を亡くしたあと、ケイトーの首に抱きついて「ケイトー・・・お父さんが死んじゃったよぉ・・・」と泣いたことがあったっけ。ケイトー、おどおど困ったようなカオして、でもおとなしくじっとしていてくれたっけなぁ。
かわいがっていたペットを亡くした人たちは、またペットを飼う人と、「同じ悲しみを味わいたくないからもう飼わない」という人に分かれますよね。
私は、時間に余裕ができたらまた飼いたいです。こんな私でも、家族が必要な犬の役に立てれば嬉しいから。ケイトーも私がそうすることを喜んでくれると思うし。
でも人生の中盤に16年近くも一緒に暮らしたケイトーのことは、一生忘れません。
今なお手に残るケイトーの、ビロードのように柔らかかった額と耳の毛の感触は、一生忘れないというか、忘れたくないです。
ところで『ケイトーに似た犬』で記事にしたサムくんですが。あのあと10日もしないうちに Oldies Club のサイトから削除されました。
あのサイトを通じて新しい飼主が見つかったのなら、普通はその旨を付け加えるだけでその犬の紹介記事はそのまま残されるので、私が想像するに今の飼主さんが、①気を変えてサムくんを手放すことをやめたか、②自力でサムくんのために新しい飼主を見つけた、のではないかと思っています。
いずれにせよ、ケイトーによく似たサムくんが今、どこかで幸せに暮らしていますように
(おわり)
たとえ最後が人為的な手段でも、納得のいくお別れだったらそれが一番最良の方法だったと思うよ。
2月に訓練所仲間の8歳のゴルのグッディ君が肺がんで亡くなったの。まだ若いから最良の治療を続けている最中に、皆が留守をしていた家で一人ぼっちで静かに虹の橋を渡っていってしまった・・・・。
飼い主の友達は「1人で逝かせてしまった・・」と嘆き悲しんだの。
何が正解で間違いなのか、そんな答えはないよね。ただひとつ私も後悔したままの別れはしたくないな・・・。
ハナママゴンさんがこうやってケイトー君のことを振り返って見れるようになったのは心が落ち着いた証拠!
ケイトー君が『僕の後輩はまだなの?』って言ってるんじゃないかな?
愛するペットの最期がどんな風であったにしても、飼主って、何かしら材料をみつけて自分を責めてしまうものかもしれないね。
でもきっとペットたちは、「お願いだから泣かないで。ずっと、とっても幸せだったよ。虹の橋で元気に待ってるよ」って言ってくれてると思う。
ケイトーの後輩ね。機が熟したら、うん。必ず、絶対、迎えるぞ!