ハナママゴンの雑記帳

ひとり上手で面倒臭がりで出不精だけれど旅行は好きな兼業主婦が、書きたいことを気ままに書かせていただいております。

続発する無差別襲撃

2016-07-24 23:19:15 | 事故・事件

ニースでトラックを使ったテロ事件(84人死亡・308人負傷)が起きて

多数の死傷者を出した(下右は犯人)とき、・・・・・

     

・・・・・思ったんです。 (またフランス・・・ そういえば、隣国なのに不思議とドイツではこういう事件は起きないな) って。

調べてみたら、テロでなく無差別殺人なら、起きていたんですね。 エアフルト事件とかヴィネンデン銃乱射事件とか。

 

ところがその後、ドイツで立て続けに無差別殺人が発生。 ・・・とうとう私が大好きなミュンヘンでも。

22日金曜日午後4時過ぎ、マクドナルドのトイレから拳銃で武装して出て来た18歳の若者が、銃を乱射。

  

その後近くのショッピング・センターに移動しましたが、午後8時過ぎ、自殺と思われる死体で発見されました。

 

射殺された9人のうち7人はティーンの若者だったそうです。 痛ましい・・・・・

 

  

両手を挙げた状態で警察に誘導され非難する一般市民。 混乱の中では、犯人が複数で一般市民に

紛れ込んでいる可能性もありますもんね。 (私がその昔訪れたオリンピック公園のタワー  ・・・ 懐かしい。)

 


 金曜日午後4時: 犯人のアリ・ソンボリはFBで 「食べものを奢る」 とだまして子供たちをマクドナルドにおびき寄せ、銃撃を開始。

 土曜日午前2時: 警察がダッハウ街にあるソンボリのマンションを捜索。


 マクドナルド       2 襲撃が起きたショッピング・センター        警察が配置についていた屋上


 マクドナルドでの無差別銃撃: ソンボリ、グロック拳銃(Glock)を手にトイレから出てくる。 恐怖に駆られて逃げ出す客に向かって乱射し、複数の死者を出す。

 屋上での対峙: ショッピング・センターの隣の多層駐車場の屋上に現れたソンボリは、近くのマンションのベランダにいた男性に 「おまえ気が狂ってるのか?」 と叫ばれ、「俺はドイツ人だ」 と叫び返したあと発砲。 男性に怪我はなかった。

 ショッピング・センターの外に白いシーツをかけられて横たわる犠牲者の遺体。

 両手を挙げる怯えきった買物客たちを避難させる警察。


ソンボリは、ある女性のFBアカウントを新たに作って 「マクドナルドでご馳走するから」 と若者をおびき寄せたようです。

赤枠部分の英訳: Come to the Mac at OEZ (Olympia-Einkaufszentrum = Olympic Shopping Centre) at 4PM today and I'll buy you what you like as long as it's not too expensive.

和訳: 今日の午後4時にオリンピック・ショッピング・センターのマックに来て、好きなものをおごるから。 高いものでない限りはね。


このミュンヘンの事件(9人死亡・27人負傷)が起きたのが、22日金曜日。

その4日前の18日月曜日には、ビュルツブルクの列車内で17歳の少年が、斧とナイフで乗客を襲撃

幸い死者は出なかった(4人負傷)ものの、その恐怖は想像を絶するものだったことでしょう。

 

ミュンヘン事件の犯人(下左)は、イラン系の18歳。 “7年にわたって苛められていた” そうですが、だったら苛めた相手を襲えよ!と思うのは私だけ?

ビュルツブルク事件の犯人(下右)は、アフガニスタン難民の17歳だったそうです。

難民としてドイツに受け入れられ生活を始めたものの、不満が鬱積していたのでしょうか・・・・・

 

私にはこれらの事件は、テロというよりは、現状に不満を抱えていて将来にも希望を持てない若者が、自死を前提に

できるだけ多くの人々を道連れにしようとした結果に思えます。 秋葉原無差別殺傷事件の犯人のように。


先月12日には、フロリダ銃乱射事件(49人死亡・53人負傷)があって、犯人はアフガニスタン系の29歳の警備員でした。

 


過去12ヶ月を遡ってみても、テロ事件・無差別殺傷事件は枚挙に暇がありません。

(注: 死亡者数に犯人は含めていません。 また死者負傷者数に差があるときは、英語版ウィキの数字を採用しています。)

6月28日: イスタンブール空港攻撃(45人死亡・238人負傷)

3月22日: ベルギー連続テロ事件(35人死亡・340人負傷)

1月12日: イスタンブール自爆テロ(13人死亡・14人負傷)

2015年11月13日: パリ同時多発テロ事件(130人死亡・368人負傷)

10月23日: コガリムアビア航空9268便撃墜(224人死亡) ‐ エジプト

6月26日: スース銃乱射事件(38人死亡・39人負傷) ‐ チュニジア


と記事を書き進めるうち、ドイツにおける新たな殺傷事件の報が入ってきました ・・・

今日午後4時半(現地時間)頃、21歳のシリア難民の男が妊娠中の女性を山刀(マシェッティ)で襲って殺害し、

他に男性一人と女性一人を負傷させたそうです。

男は現場を逃走しましたが、BMWを運転していた男性が機転をきかせて男に衝突。 男は駆けつけた警官に逮捕されました。

 

男と被害女性は同僚同士だったそうなので、これは無差別殺人とは異なりそうですが、それでも連続して起こる殺傷事件はショッキングです。

それにしても、犯人はまたもや、難民/移民の若い男だとは・・・

  

逃走する男。 今はオットーと私を除くすべての人がスマホを持っているから、事件の記録には便利ですね。

   

血痕が残る事件現場。

 

犯人逮捕に貢献したBMW車。 運転していた男性、お手柄!

事件が起きたのは、ドイツ南西部に位置するシュトゥットガルトから南に35kmのロイトリンゲンだそうです。


テロ事件・無差別殺傷事件があまりにも頻発するので、最近では感覚が麻痺していて、

事件が起きても最初に頭に浮かぶのは、(またか) という思いです。

よど号ハイジャック事件あさま山荘事件ミュンヘンオリンッピック事件で驚愕していられた昔とは、えらい違い・・・・・

(歳がバレますね


もう世界のどこに行っても、100%安全な場所なんてなさそうです。

だったら普段通りの生活を続け、行きたい所には行くようにするしかないですね。

テロに屈しないためにも。



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ドーバーへの長い道

2016-07-23 22:24:31 | ニュース

私は通勤に、M5高速道路(M5 motorway)をJ13からJ11Aまでの約16km走行します。

(J13のJはジャンクション=インターチェンジのこと。)

昨日(22日金曜日)は遅番だったんですが、帰途、M5がラッシュ時間帯でない昼間並みに混雑していてビックリ。

午後9時半をまわったその時間帯、いつもならガラガラに空いているのに。

そういえば昨日は、夏休み前の学校の最終日。

金曜日は仕事が早く終わる人も多いから、仕事/学校のあとにばたばたと仕度して、

ホリデーに向かう人の車だったのでしょう。

 

でもって今日のトップニュースのひとつは、大陸へと渡るフェリーが発着するドーバーへの長い渋滞でした。

 P&Oフェリー(P&O Ferries)によると、「推定待ち時間は最長で12時間」 とのこと。

  

 これほどの渋滞は予想だにせずドーバーに向かった人々のため、ケント警察は水を配ったそうです。

トイレは皆さん、車を降りて近くの林に入ったとのこと・・・・・

 

トンネル  で4時間過ごした人も。

 

「ニースでのテロ事件を受けて、国境審査は特別に厳しくなっている。 なのにフランス側のスタッフ配備が不十分なので、

渋滞に拍車がかかっている。」 というのが、ドーバー港の言い分。

「(フランス側は)夜間は7つあるブースのうち3つしか審査官を入れていなかった。 続々と到着するバスをチェックする審査官も、

一時はたった一人しかおらず、その結果一台の審査に40分かかってしまっていた。」

 

ドーバー港に着いてからさえ、2時間待ち。

 

 焦燥した人々の声です。

「11時間かけて進めたのは2.5kmほど。 まったくもって信じ難いわ。」

「私達は4歳と3歳の子供連れで、しかも私は妊娠中。 つわりもあるのに人々は道路脇をトイレに使っていて、本当に参るわ・・・」

「高速道路に乗ったとき、路上で一夜を明かすことになるなんていう警告はどこにもなかったのに。」

「A20号道路に10時間。 2km弱の前進。」

 
 今日もイギリスにしては暑い日だったので、気温の上昇につれて人々のストレスも高まったようです。

「初めのうちは道路脇でピクニックする人々や、ボールを蹴ったりローラーブレードで遊んだりする子供もいた。 でも今は、しかめっ面が多いね。」

「3人の子連れよ。 子供たちは本当によく耐えてくれているけど、高速道路上は今31℃あるのよ。」

 

私はドーバーに行ったことがないので、ロンドンとの位置関係を確認しました。 ドーバー - ロンドン間は約120kmあるんですね。

 

今回の、ドーバー渋滞マップ。 路上で一夜を過ごさなければならなかった人々は本当にお気の毒でした。

 

 

ただでさえ渋滞は辛いのに、そこに暑さが加わったのだから。 大変だっただろうな。

人々が大移動する時は、家で普段通りの生活をしているに限るわぁ。

 

でも皆さん、なぜに学校が夏休みに入るや否や出発しなければならないの!?

少しずつ時期をずらして行けば、渋滞を緩和できると思うんだけどな。

 

 

 

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ムスメのロンドン

2016-07-20 23:03:51 | イギリスのあれこれ

昨日(7月19日)の暑かったことったら~!

この夏最高の暑さになり、ジャージーで34.8℃を記録したそうです。

昨夜から今朝にかけての一夜も寝苦しくて、私は午前4時過ぎに暑苦しさで目覚めてからほとんど眠れませんでした。

寝室の温度は30℃近くあったと思います。 窓を開ければちょっとマシかもしれませんが、そうすると

外の音が入ってきて起こされちゃう。 仕事オフの私はともかく、仕事に行かなきゃならないオットーにはちゃんと

眠ってもらわなければなりません。 オットーは暑さには強い方なので、私が我慢しました。 偉いぞ私。


昨日は午後3時過ぎ、ストラウド駅に列車で着くムスメを迎えに行ったんですが、

家を出て車に乗り込んだときの外気温は31℃。 その後少し上がっては下がってを繰り返していましたが、

帰路にほんの短時間、34℃になりました。 もちろんカーエアコンは、常時つけっ放し。

30℃超えなんてイギリスのこの辺りでは毎夏片手に・・・ 否、3本指に余るくらいしか起きないことです。

カーエアコンさまさまでした。


異常気象に弱いイギリスの交通機関。 昨日も高温のため線路が捻じ曲がる可能性があるということで、速度が制限され、

かなり多くの列車がキャンセルになったそうです。 ムスメが予約していた列車もキャンセルされましたが、

幸い途中で1回乗り換えるようだけれどもほぼ同じ時間に到着できる列車に振り替えられ、事なきを得ました。

でもそう幸運でなかった人も多かったようで、ロンドン・ウォータールー駅は大混雑だったそうです。

(ウォータールー駅からは、南部・南西部への列車が発着します。 西部に向かうムスメは、パディントン駅から出発。)

列車に乗れても車内も混雑しているうえ、エアコンが効いていなくて汗だく状態だったそう。

ムスメの列車も休んでいた車両を使ったため、エアコンがなかなか効いてこず、車内は蒸し暑かったそうです。

 

地下鉄も、道路も混雑。 道路の方は、事故でもあったのでしょうか。

 

ウィキによると、英国における観測史上最高気温は、2003年8月10日にケント州フェーヴァーシャム(Faversham)で

記録された38.5℃。 チェルトナムでも1990年8月3日に37.1℃を記録したことがあるそうです。


さてムスメですが、6泊7日でロンドンに友達を訪ねていました。 一人のところに2泊、もう一人のところに4泊させてもらって。

ロンドンねぇ・・・ 若い頃は好きでしたが、後期中年期に入った今、そして田舎暮らしに慣れてしまった今、

賑やかで混雑した大都会に行くのが煩わしくて、できるだけ行かずに済ませたいです。

そんな私はもう二度とロンドンに行くことはないかもしれないので、ムスメのロンドン観光の画像を、ここからはご紹介!


カフェでフル・イングリッシュ・ブレックファストを取って、コヴェント・ガーデンに行って、

 

 

トラファルガー広場アドミラルティ・アーチ界隈を歩いて、

 

ホース・ガーズ・パレードにも行って、

聖ジェームズ公園(St. James's Park)で花と緑と可愛いコテージで目の保養。

 

このコテージはダック・アイランド・コテージと呼ばれ、1841年に鳥類の世話係の住居として建てられたそうです。

その後使途は何度か変わり、公園で差し押さえられた自転車の収納に使われたこともありましたが、

現在はオフィスとして使われているようです。

 

議会広場(Parliament Square)と、テムズ川の船着き場。

 

ビッグ・ベンと2階建ての赤いバスは、ロンドンの象徴ですよね。

ある晩は eat TOKYO という和食レストランで夕食にしたそうです。

 

おっ・・・ おいしそう・・・   和食大好きなムスメ。 よかったね~!

 

マーケットをぶらついたりもしたようだけど、

 

自然と私の目が吸い寄せられるのは、やはりお菓子

 

ソーホーの中華街にも行ったみたい。

 

パンダのケーキがかわいい! 隣の犬のも!!   チョークで絵を描くアーティストさん。

 

人種差別に抗議するデモにも出くわしたそうです。

 

花の形に盛られたアイスクリーム。  おいしそう! (←こればっか

 

日本人グループのストリート・パフォーマンスもあったそうです。 締めくくりはオリンピック公園

 


この春買った新しいカメラで、写真のみならず動画も撮りまくったムスメ。

編集した動画を YouTube にUPしたそうなので、よろしかったらコチラで見てやって下さいませ。

歩きながら撮ったから、ほとんどブレていて目に悪そうですが。

わがムスメのでさえなかったら、 「何これ下手くそ!」 と2秒見たら見るのを止めるところです。

頑張って腕を磨いてよね~、ムスメ!


(ついでと言っては何ですが、オットーが2013年3月にロンドン出張したときに撮った画像も、よろしかったらコチラでどうぞ。)


おかげさまで今日は、日中もこの辺りは24℃どまり。 夕方から涼しい風も吹いてきたので、

今夜はぐっすり眠れそうです。

暑い・寝苦しいとはいえ、エアコンなしで生活できているのですから。

これしきで音を上げていたら、猛暑に耐えている日本の皆様に顔向けができませんよね。

唐突ですが、


  暑中お見舞い申し上げます。  



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続・ペーパーフラワー

2016-07-16 23:17:31 | 暮らし・生活

私の内職の造花作り趣味のペーパーフラワー作りは、その後も続いておりまして、

おかげで現在、ダイニング・テーブルはこんな状況です。

 (これで食事にダイニング・テーブルを使っていない = 居間で “TVディナー” するだらしない家庭であることがバレバレ

  

しょうがないですよね。 オットーはイラストレーターをしていた時の仕事場を今も自分の趣味の部屋として使っているし、

ムスメも自分の部屋があるけれど、私だけは自室がないんですから。


今作っているのは、シルバーのペーパー・フラワー。 サウジアラビアで先生をしている義弟①が家族とともに夏休みでイギリスに

戻ってきたんですが、義弟①夫婦は先月結婚25周年を迎えたので、シルバーの花を作ってみようと思いつきました。

あ、義弟①一家(3人家族)は現在は持ち家のあるイングランド北部(奥さんの出身地)にいます。

来週末に南下してくるというので、それまでに完成させなければなりません。

 

シルバー (限りなくグレーに近いケド) だけでは寂しいので、アクセントに色を加えてみました。

25周年だから、25本プレゼントしようと思っています。 あくまでそれなりに上手くできたらの話ですが。

最後に加えた一番中心の花弁を開く前(下左)と、開いた後(下右)。

 

一番外側はシルバーのクレープ・ペーパー、内部はティッシュー・ペーパーです。

 

 前回ペーパーフラワーについて書いてから、いろいろと試してみました。

千代紙や江戸文様の柄の折り紙を外側に使ったり、

  

明るい可愛い柄の折り紙を使ったり。 千代紙を含む様々な柄の折り紙がこっちのアマゾンで買えるようになり、便利~

 

 こういうカラフルなのもいいけれど、・・・・・

 

 同系色をまとめたものもいいですね。 これまで作ったものは、すべて人にあげちゃいました。

 

 (これを売って生計を立てられたら?) なんて野望も湧いてきますが、でもこれが仕事になったら、きっと楽しめないだろうな。

(金曜日までに40本作らなきゃ) なんてなったら、・・・うわぁ~、嫌~!

 

紙の組み合わせを変えると質感が変わるし、さらには色の組み合わせもいろいろあって、次から次へとあれこれ試してみたくなります。

この趣味、熱しやすく冷めやすい私にしては、珍しく続きそう。

ブログの更新がスローダウンしたら、内職趣味の花作りに没頭しているものと思ってくださいね。

 

 

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老後の沙汰は、カネ次第 ③

2016-07-14 18:17:07 | 義理の家族のこと

《  からのつづき 》

 

前回、オットー両親が老人ホームに入った場合、一週間につき

一人750ポンド(9万7千500円)かかると書きました。

この料金は、もちろん均一料金ではありません。

この地域で、CQC (Care Quality Commission = 養護・介護ビジネスや施設の質を監督する機関) の

評価がまずまずだな・・・ と思った2軒が、たまたま同じ750ポンドでした。

一番安いところでも、685ポンド(8万9千50円)。

一番高いところは敷地内にお店やレストランや映画館まであり、ミニタウンみたいになっていて、

一週間で一人1200ポンド(15万6千円)でした。

一ヶ月で60万円以上って・・・ ・・・

 

病院での申し送りのとき、「あそこは週○○ポンドかかるのよね」 なんて話が出ますが、これまで信じられずにいました。

本当だったんだ・・・・・

 

この驚きのあまり絶句しそうなお値段を聞いて、さすがにオットー父も 「そんな浪費はできない」 と悟ったようです。

そりゃ預金を掻き集め、家を売り払って資金をつくれば数年は入居できるでしょう。

でもその間にあの世からのお迎えが来なかったら?

資金が底をついたら住み慣れたホームを出て、福祉サービスで指定してきたホームに移るしかありません。

それがどんなにひどいところであっても・・・

 

オットー父、それで代替プランとして、隠居者専用住宅に興味を示しました。

家事はやってもらえませんが、管理者が近くにいるか、あるいは非常用コールシステムが用意されていて、

緊急に助けが必要な場合は来てもらえる住宅です。

そういう住宅に住んで、できるうちは家事を(オットー母が)やり、食事は不本意ながら宅配サービスを頼み、

介護が必要になるまでそこで頑張ると。

マンション形式の場合は共用の入口は常時ロックされていて、訪問者は訪ねる相手の部屋の呼び鈴を押して相手と会話し、

ロック解除してもらわなければ入れないのでセキュリティ上は安心です。 ダーズリーにもいくつかありました。

 

ただ空きが少ないのが難点。 それにここ  は2階建てはすべてプチマンション形式なのですが、隠居者=高齢者向け住宅で

あるにもかかわらず、エレベーターはなし。 空きがあったのは2階のマンションだけだったので、残念ながら見送りです。

90歳と88歳のオットー両親には、今後ますます階段の昇降はきつくなると思われるので。

 

 

 

こっちは10年ほど前にできたばかり。 マンションのほかにも、屋根続きの戸建てがあります。

ここのマンションにはエレベーターあり。 2階建て住宅にはおそらくないけど。

 

屋根続きの平屋  もあります。 マンション上階にも平屋にも空きがあるのですが、部屋がすごく狭いのが難点。

キッチンなど 3m x 3m もないので、それがネックになってオットー両親も私たちも、乗り気になれません。

 

 

ちなみにオットー父は、自分たちの “終の棲家” 探しであるにもかかわらず、自らネットでサーチしたり

不動産屋に資料を請求したりするのは億劫らしく、すべてオットーに委託しています。

「お前がまず探して、資料を見て良さそうだと思ったのだけを持ってきてくれ」 と。

う~む。 オットー両親の “終の棲家” 探し、私たちにもいい予行演習になりますわ。

20~30年後には自分たちが、今の二人の立場になるのだから。


終活ルールその① : 自分でするべきことを、億劫でできなくて子供に丸投げするまで先延ばしにするな。


子供だって、自分の子供のこと・老後のことで思い悩むことが多いであろう中年期。

ましてやうちのムスメは一人っ子なのだから、できるだけ世話にならないようにしなくちゃです。

第一ムスメが外国に身を落ち着けていたら、どのみち頼れないのだし。


隠居者用住宅は買い取り形式ですが、お値段は手頃。

クオリティに文句を言わなければ、一人用では7万ポンド(910万円)くらいからあるようです。

あ、でもこれは、グロスターシャー価格。 これがロンドンだったら、おそらく天文学的価格になるのではないかと。


ネットから拝借した、一般的な隠居者用住宅の画像を載せておきます。

マンション形式では、入るといきなり居間なんてところが多いみたい。

 

高齢者向けだけあって、全体的に時代遅れの内装が多いような。 (それでもウチよりはマシ!?

 

キッチンはどこも狭め。

 

 

ベッドルームです。

 

 

予備の部屋かな?

 

バスルーム。

 

 

 

歳をとると、手すりは必需品ですね。 シャワー・チェアーは、病院でも使う人がいます。

 


誰にも止められない加齢。 たとえ世界一の金持ちだって、老いて、いずれは死ぬ運命です。

40代まではまだまだ若い気でいられたけど、50を超えたら徐々に、若者より老人に近い心境になってきました。

オットー両親の今後を見守るなかで学んだことを、将来活かすようにしなくちゃです。



《 つづく 》


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おめでとうアンディー・マリー!

2016-07-11 23:08:41 | トピック

アンディー・マリーが、ふたたびやってくれました。

ウィンブルドンの男子シングルスで優勝!

優勝が決まって思わず手放したラケットを、その後観客席にプレゼント。

 

感情が昂ぶったあまり、タオルに顔を埋めて男泣き。 (試合のハイライトはコチラ。)

 

「前回は優勝を心ゆくまで楽しむ余裕がなかったから、今回は必ずそうするよ」 とマリー。

 

コートを去ったあと、トロフィーを抱えてバルコニーに登場し、待っていたファンと喜びを分かち合いました。

 

男子シングルス決勝戦を観戦した有名人はというと。 まずロイヤル・ボックス席最前列のウィリアム王子とケイト妃。

その2列後で観戦しているロマンスグレーの紳士は、往年の名選手ビョルン・ボルグだそうです。

 

ボルグ氏から2人おいた席にいるのは、やはり名選手だったボリス・ベッカー

 

「おや、こんな所で会うなんて、奇遇だね~!」 握手するカンバーバッチブラッドリー・クーパー

 

カンバーバッチは奥さんと、クーパーはモデルの恋人と来ていました。 その斜めうしろにはヒュー・グラントと恋人。

 

缶バー蜂・・・じゃなくてカンバーバッチ夫妻の2列前には、キャメロン首相とその母親。

マリーが優勝後のスピーチで、観戦し応援してくれたことに対する感謝をこめて他の人々と並べてキャメロン首相の名を口にしたら、

観客席からブーイングが起きてしまったそうです(動画はこちら)。 脱EUの影響でしょうね。

でもおめでたい席でブーイングはマナー違反! 困惑した表情になったマリーは、すかさず機転をきかせて

「きつい試合はいくつもありますが、首相と立場を交換したいとは思いません。(自分には)不可能な仕事です。」

とフォローしていました。 上出来!

 

ブラッドリー・クーパーの背後の若い女性は、女優のリリー・ジェームズだそうです。 ロイヤル・ボックス席ではないけれど、

一般席の最前列近くにエレン・デジェネレスとそのパートナー。 クリフ・リチャードも観戦していたそうです。

  

ロイヤル・ボックス席の観客が紹介されていたので、載せておきます。 知らない人も多いケド:

  デイヴィッド・キャメロン首相     メアリー・キャメロン(首相の母親)     Lady Annabel Goldsmith

  ベネディクト・カンバーバッチ     ソフィー・ハンター(カンバーバッチ妻)     アレクサンドラ王女

  ブラッドリー・クーパー     Timothy Taylor     リリー・ジェームズの祖母    10 リリー・ジェームズ

 11 Lady Helen Taylor     12 Irina Shayk (ブラッドリー・クーパーの恋人)    13 ケント公爵

 14 ニコラ・スタージェン (スコットランド相)    15 ステファン・エドベリ    16 ヒュー・グラントの恋人

 17 ヒュー・グラント    18 ニコラ・スタージェンの夫    19 アネット・オルゾン    20 ウィンブルドン会長

21 ボリス・ベッカーの妻    22 ウィリアム王子    23 クリス・エバート    24 サディク・カーン

25 ビョルン・ボルグの妻    26 ケイト妃    27 サディク・カーンの妻    28 ロイ・エマーソン

29 ビョルン・ボルグ    30 Gordon Campbell (カナダの政治家)    31 グロスター公爵夫人

32 マイケル・オブ・ケント王子妃    33 マイケル・オブ・ケント    34 Lord Frederick Windsor 夫人

35 Lord Frederick Windsor


試合後のアイス・バスも 「トロフィーと一緒なら楽に耐えられるよ!」 と、本当に嬉しそうなマリー。

晩には正装してチャンピオンズ・ディナーに出席したそうです。 そういえば34歳にして女子シングルスで優勝を果たした

セリーナ・ウィリアムズもお見事でした(筋肉も)。

 

優勝祝賀パーティーの一夜が明けた今日、トロフィーと一緒にセンター・コートに戻り、改めて喜びを噛みしめたマリー。

 

 

上右は、お母さん・お祖母ちゃんと。 二人は決勝戦を観戦できたけど、お祖父ちゃんは犬の世話があるから

観戦に来れなかったそうです。 ひょっとして、マリー夫妻のワンコたちかな?


何度も何度も何度も、涙をのんできたマリー。 4大大会では優勝できない運命にあるのかと、一時は思いましたよ。

29歳にして二度目のウィンブルドン優勝。 大器晩成型だったのでしょうね。


   本当におめでとう!   



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老後の沙汰は、カネ次第 ②

2016-07-09 23:13:20 | 義理の家族のこと

《  からのつづき 》


先週の日曜日、突然オットーに 「もうここには住めない」 と独断でメールしてきたオットー父。

「おまえにはショックだろうが」 なんて書かれてましたが、そんなこたぁなくて。 想定内でした。

というのも・・・・・


去年の春、ムスメと私は日本に8泊9日の駆け足里帰りをしたわけですが、

帰宅した日、仕事から戻ったオットーが開口一番に言うのです。 「今朝は仕事に行けないと思った。」

何が起きたかというと、私達が出掛けたあとの週末、オットー父が精神的に崩落したそうで。

「もう母さんとの生活には我慢できない! 家を出てマンションで一人で暮らす!!」 と・・・。

何が我慢できないかというと、もう何年もマトモなものを食べさせてもらっていない、母さんは何でもすぐ壊す、

認知症にかかっているから(事実無根)物忘れがひどくて何もかもスムーズに進まない、などなど。

これらが事実かどうかは別として、オットー父はこういう不満を溜め込んでも本人とは直接話し合うことなく、

オットーという第三者を間に挟んでのみオットー母にぶちまけるわけです。

それでオットーが 「父さんはこう言っているけれど、母さんはどうしたい?」 と訊くと、

これだけボロクソに言われているにも関わらず、「私はお父さんとできるだけ一緒にいたい」 と・・・・・


その後父親が鬱病にかかっているのでは? と疑ったオットーが医者に相談して、

私達が帰国する日の朝、オットーは父親を医者に連れて行くつもりだったのですが、急にしゃんとしたオットー父、

オットーの出勤前に 「医者には自分で行くから」 と電話してきたそうです。 ここでオットーが

「いや自分が連れて行くから」 と主張してまたつむじを曲げられても困るので、オットーは出勤。

信頼しているお気に入りの女医さんにじっくり話を聞いてもらって満足したオットー父は、その後

精神的に安定し、その世話が負担になっていた趣味で集めたサボテンを昨夏大量に処分し、落ち着いていたのでした。


90歳という大きな節目の誕生日を迎えた今年4月、また精神的に不安定になるんじゃないかと心配していたのですが、

誕生日は無事通過。 でもまた崩落するのは時間の問題だろうと思っていました。 だから想定内だったわけです。


今回の精神的崩落の原因は、自分でしたいことが思うようにできなくなったことのようです。

例えば庭仕事。 庭木の刈り込みや草むしりや芝刈りに苦労するようになっていたので、オットーも協力して探して

何人か庭師を雇ったのですが・・・ 100%自分の思い通りの仕事をしてくれないと不満ですぐクビにしてしまうので、近頃はなかなか

頼む人が見つからず、「庭のどこを見てもどうしようもなく荒れ果てている!もうこんな庭を見たくない!!」 のだそうです。

オットー母の料理にも相変わらず不満で、「もう何年もおいしいと思える食事を出してもらっていない。」

オットーが 「日曜日にここで一緒にお昼の食事を取るけど、母さんの料理が変わったとは思わないよ。 味覚が変わったんじゃない?」

と言っても 「そんなことはない。 何もかも味がないんだ。 もううんざりだ。 3食出してくれる老人ホームに入りたい。」


自分で料理するのは面倒臭い。 でも温めるだけでいいバランスの取れた食事を配達してくれる

サービスを頼むのも煩わしくてやりたくない。 だから老人ホームというわけです。

現在90歳と88歳のオットー両親ですが、たまに調子が悪いときに杖を使う程度でまだまだ自由に動けているのは、

本当に幸運。 まだ介護が必要になっているわけではないので、老人ホームに入ってしまうのは早急に思えたのですが、

オットー父は “That's what I want !” と頑なでした。 「老人ホームに2人分の空きがなければ、

別々のホームに別れて暮らすことになるかもしれないけど?」 というオットーの指摘にも、

「それならそれでいいさ。」 とオットー父。 それを聞いてオットー母もあきらめて 「別々になっても仕方ないわね・・・。」

オットー父、まるで駄々っ子のようでした。 あ、これ、すべてオットーから又聞きしたことです。

私が同行するとオットー両親が腹を割って話せなくなるだろうと思い、私は一切関与していません。

先週の日曜日もオットーだけ両親宅に行き、ムスメは行くのをやめました。


前置きが長くなりましたが、ここからが記事タイトルに沿った内容です。

介護を必要としない高齢者の老人ホームは、レジデンシャル・ケア・ホーム。

高齢のためネットを使うことも面倒になったらしい両親に 「適当な所を探して欲しい」 と頼まれて、

オットーはネットでサーチしてメールで資料を請求しました。

私が職場(高齢者専門の精神科病院)でもらってきたこの地域の老人ホームを紹介するガイドブックも、

とても参考になりました。


介護が要るにしろ要らないにしろ、高齢者のホームは、例えばこんな外観だったりします。

 

 

個室はこんな感じ。

 

共用の居間やダイニング・ルーム。

 

 

 

レジャーの予定表。

ある週の献立表。


レジデンシャル・ケアに含まれるのは、食事、掃除、洗濯など。 自分では一切何もやらずに暮らせるわけです。

でもそれ以上のこと、たとえば散髪や外出の付き添いなどには別料金がかかります。 3食付のホテル滞在のようなものですね。

でもって、その滞在料金?入居費?の高い  ことったら!

(FNC は Funded Nursing Care の略で、必要と認定された看護ケアへの補助金のようです。)


一週間で一人750ポンド(9万7500円)! 看護ケアがつくと、週850ポンド(11万500円)!!

4週間で一ヶ月として、月額39万円 / 44万2千円 ・・・・・

しかもこの円換算は脱EUの影響でポンドが下落した現在のレート(1ポンド130円)でされていますが、

ポンドが好調だった去年の今頃の1ポンド180円で換算すると、54万円と61万2千円。

しかもしかも、ここは比較的安い方で、高いところはレジデンシャル・ケアでも週1200ポンド(15万6千円)とかします。

こりゃ、お金が湯水のように出て行くわ・・・・・


イギリスでも昔は、年老いた親は子供とその家族と同居していました。 でも現在は、介護が必要になったら子供に頼らず、

自己資金でホームに入居、が主流です。 そして資産が23,250ポンド(約302万円)以上ある人は、

まず自己資金を使ってホームに入らなければなりません。


共働きだったオットー両親はまともな年金を受給しているし、持ち家もあるし、オットー父がホリデー嫌いなため

退職後もほとんどホリデーに行くことなく暮らしてきたので、資産は平均以上にあります。

それでもこの額を出していたら、数年で資金は底をついてしまうでしょう。

現在のレートで換算しても、二人とも入居すれば月額80万円かかるのですから。

(・・・中流ホテルやB&Bに滞在した方が安くつくのでは?)


それでもって、資金が尽きるまでにあの世からのお迎えが来なかった場合。

誰か(たとえば子供)が入居費を肩代わりして払ってくれれば万々歳ですが、そうでなければ福祉のお世話になるしかなく、

その場合は住み慣れたホームを出て指定されたホームに移るしかありません。

指定されたホームは大抵の場合、「(あそこは)ひどい」 と形容されるような、安かろう悪かろうのホームなわけで・・・・・

我家の場合、こんなに高額なホーム費用は、とてもじゃないけど肩代わりできません。 オットーが3人いる弟妹と協力したとしても、

まず無理でしょう。 私たち次世代だって、自分たちの老後の資金を何とかしなければなりませんしね。

でなければ自分たちが、近い将来子供に心配をかけてしまいます。

どのみち心配をかけることになりそうですが・・・。 



《  につづく 》

 

 

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老後の沙汰は、カネ次第 ①

2016-07-07 22:41:03 | 義理の家族のこと

 

今週の日曜日、私は遅番で仕事が入っていたけれど、

オットーとムスメ(3ヶ月の夏休みで6月末に帰宅)はオットー両親のところにランチに行くことになっていました。

ちなみに両親宅での日曜のランチへは、オットーは隔週の頻度で出かけています。

(私は日曜日はほとんど仕事が入っているので行かず。)

行きたいというより、老いた親――特に母親への義務感からです。

なにせ父親が、気難しくてへそを曲げれば何日もほとんど口をきかないこともあるような人だから。


オットー父に関しては過去の記事をお読み下さい。

家庭内独裁者だった義父

Second Class Citizen の義母

間違いだらけの夫選び

やっぱり間違いだらけの夫選び


と、そんな、一緒に暮らすのはオットー母以外の誰にも不可能と思えるオットー父から、

日曜日の朝、ランチにお邪魔することがわかっているにもかかわらず、珍しくオットーにメールが来ました。

その内容は、オットーの名以外は原文のまま以下の通り:


Hello Otto, good morning and we look forward to your visit very much !
 
For me it has not been a good night without a minute's sleep.
 
What I need to tell you may be a shock and I am sorry about that.
 
Mum and I can no longer stay here I am sorry to say.
 
There are so many problem and new ones arising every day to add to it.
 
The reason for not getting any sleep last night was that I continually tried to figure out what we could do.
 
I know this will be very upsetting for all and I have not told anyone else but felt I had a duty to tell you.
 
Looking forward to see you soon !

Dad

(オットーへ、おはよう、あとで会えるのを楽しみにしているよ。

昨夜は一睡もできなかった。 私が言わんとすることはショックを与えるかもしれず、申し訳なく思う。

残念なことだが、母さんと私はもうここに住み続けることはできない。

後から後から問題が起きている。 昨夜眠れなかったのも、どうすればいいかを考え続けていたからだ。

皆に心配をかけることになる。 まだ誰にも言っていないが、おまえには話しておくべきと考えた。

では後ほど。 父より)


でもって、「まだ誰にも言っていない」 の 「誰にも」 には、当然のことながらオットー母も含まれるわけです。

独裁者のオットー父は、こんな重大でオットー母にも大きく関わることを、オットー母には一言も

相談せずに決め、オットーに言って・・・ メールしてきたのでした。


さぁ~どうなる、90歳と88歳の行く末っ!?



《  につづく 》



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ソンムの戦い

2016-07-04 23:11:27 | 戦争

今月1日は、第一次世界大戦中だった100年前にソンムの戦いが始まった日。

100周年ということで、その数日前からニュースになっていた。

私にはお馴染みのない戦いなのでスルーするつもりだったけど、印象的な画像をTVニュースで見て興味が沸いた。

直径91m ・ 深さ21mの巨大な穴。

これはロックナガー・クレイター(Lochnagar Crater)といって、ソンムの戦いの火蓋を切って落とした爆発の跡だそうだ。

強固なドイツ戦線を突破するため、連合軍は坑道戦を採用。 地下に一日46cmのペースでトンネルを掘り進め、

ドイツ戦線の手前41mでY字形に枝分かれさせ、トンネルがお互いから18mほど離れたところにスペースをつくって

片方に16,000kg、もう片方に11,000kgという大量の爆薬(アンモナル)を仕掛けた。

トンネルの終わりのスペースが小さすぎたため、枝分かれ後のトンネル(長さ18mと12m)内にも爆薬を置くようだったという。

 

これは準備されていた大規模な8つ、そして小規模な11の爆発のうちのひとつだった。

爆発は午前7時20分に開始され、ロックナガー・クレイターを造った爆発は7時28分に起きた。

耳を裂くような大爆音は、遠くロンドンでも聞こえたという。 爆発により巨大なクレイターが出現した。

 

しかしながら爆発の効果は結果として少なく、7月1日の初日だけでイギリス軍は19,240人もの戦死者を出してしまった。

これは英軍の歴史上、現在に至っても最悪の記録だそうだ。

こうしてソンムの戦いは141日にわたって続き、100万人以上(両軍合わせて)の死傷者を出すことになる。

戦後小さなクレイターは埋め立てられたが、ロックナガー・クレイターは埋め立てを反対されてそのまま残った。

クレイターとその周辺の土地は1970年代に、歴史書 The Old Front Line (1917年出版)を読んで感銘を受けた英国人

リチャード・ダニングが、保存する目的で買い取った。

クレイターはそれまでバイクの乗り回しや廃棄物の不法投棄に使われていたが、ダニングは1986年に

クレイターの縁に木製の十字架を立てた。 現在は年間20万人がロックナガー・クレイターを訪問し、

毎年7月1日にはメモリアル・サービスが行われるという。

 

クレイターの背後に見えるのは、Ovillers-la-Boisselle の村(2006年の時点で人口362人)。

ロックナガー・クレイターの位置。


血みどろ・泥沼の塹壕戦となって膨大な犠牲者を出したソンムの戦い。

わずか6マイル(10km弱)前進するために、48万人の英軍兵士が死傷した。

 

アンネ・フランクの父オットー・フランクアドルフ・ヒトラーウィルフレッド・オーエンJ・R・R・トールキンなどが、ソンムで戦ったそうだ。

ヒトラーは脚の付け根を負傷し、トールキンは塹壕で熱病にかかって戦線から退いた。

 

  

前進の際、歩兵は約30kgの装備を担がなければならなかった。

塹壕では劣悪な環境のなか敵の砲弾にさらされ、命を落としていった。

 

 

 第一次世界大戦を舞台にした 『西部戦線異状なし』 という戦争映画の古典的名作があったが、

 あれは西部戦線を体験したドイツ人エーリヒ・マリア・レマルクが1929年に発表したベストセラーを基にしていて、

 主人公は英国兵ではなくそのままドイツ兵だったとは知らなかった。

  

ソンムの戦いの前にくつろぐ兵士たち。 その後の彼らの運命は、戦死、負傷、生存、不明など様々だ。

 

 

戦死者○○名というとただの数だが、こうして顔がついてしまうと数は人になり、心が痛む。・・・

  


今年7月1日の、夜明けのシープヴァル・メモリアル (Thiepval Memorial)。

ここはソンムの戦いで行方不明になった72,246名の大英帝国軍兵士を記念するメモリアルで、

英連邦の戦没者メモリアルとしては世界最大。

森に囲まれたメモリアルで、十字架に相対して巨大な記念碑がある。

 

各国首脳とともに、記念式典に列席する王室の若手メンバー。

 

カミラ夫人の大伯父さんのうちひとりはソンムで戦死し(享年24歳)、Carnoy 軍人墓地に葬られているそうだ。

彼の2人の弟も続けて第一次大戦で戦死したため、4番目の息子つまりカミラ夫人のお祖父さんは

戦場に赴くのを止められ、命拾いをした。 祖国のため戦う気満々だった本人は、憤懣やるかたなかったそうだが。

ちょっとプライベート・ライアンに似た話だが、戦争中は似たような話、それどころか兄弟が全滅したという話だって、

いくらでもあったのだろう。 墓前に花を供えるカミラ夫人。

  

ウエストミンスター寺院の無名兵士の墓にリースを捧げる女王陛下。 (これは6月30日の晩だったらしいです。)

 

午前7時30分に終わる2分間の黙祷を捧げる市民、兵士、ロンドン消防隊員たち。

 

ソンムの開戦から100周年のこの日は、第一次世界大戦時の英軍兵士に扮した1400名の俳優が、全国各地に出現。

午前7時から午後7時まで、駅やショッピング・センターや街角で静かに佇むその姿が見られた。

ロンドンのウォータールー駅。

バーミンガム・ニュー・ストリート駅と、マンチェスター・ピカディリー駅。

 

ニューカッスルと、不明のどこか。

 

ブリストル・テンプル・ミーズ駅と、ブリストルのショッピング・モール、キャボット・サーカス

 

彼らは皆100年前の7月1日にソンムで戦死した兵士の名刺を持っていて、無言のまま大衆にそれを配ったそうだ。

 

名刺を受け取ってツィートした人も多かったらしい。 (あれ、キャロル・ミドルトンて、もしかしてケイト妃のお母様?!)

俳優さんたちが第一次大戦の兵士に扮するアイディア、最初は (・・・?) と思ったけれど、

『百聞は一見にしかず』。 見ているうちに心に沁みてきた。

あの人たちにも、戻っていきたい人、待ってくれている人がいたんだろうな・・・

(あの人というのはもちろん俳優さんたちじゃなくて、第一次大戦の兵士たちです。)

今日の自由と平和と繁栄は、多くの 『命』 という、過去の大きな犠牲のうえに成り立っていることが実感できる。

本当に、決して忘れてはならないことだ。 (下はドーヴァーの白い壁への投影。)


(ひらめいた! 日本でも終戦記念日に10代の若者に特攻隊の格好をしてもらって、

彼らの犠牲を実感する。 というのはどうでしょうね?)



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おススメ料理: 肉天ぷら

2016-07-02 20:16:12 | たべもの・のみもの

食べることが生き甲斐(live to eat)のくせに、料理は全然得意でないワタクシ。

食べものにあまり興味がなく、生きるために食べる(eat to live)オットーと結婚したのは神様のお導きだったかも。

そんな料理下手な私が自信をもっておススメできる肉料理を、今日はご紹介

 

2ヶ月ほど前ダーズリーのお店でシソの種を見つけたので、オットーに植木鉢に撒いてもらいました。

順調に育ってきたので、とうとう先日、久しぶりに食べたくなっていたシソが不可欠の肉料理 “肉天ぷら” を作りました。


材料は、4人分で以下の通り。

豚赤身薄切り肉 350g     しょうゆ 大さじ3弱     砂糖 小さじ2

シソ(青でも赤でも) 3~4枚     しょうが 小1片     レモンの表皮 1/2個分

溶き卵 小1個分     小麦粉 大さじ5


① 豚肉を適当な長さに切って器に入れ、しょうゆと砂糖をよくからめて20分ほどおく。

② シソ・しょうが・レモンの表皮を長さ2cmの千切りにし、溶き卵・小麦粉とともに①に加えてよく混ぜ合わせる。

(ここで好みで黒ごま大さじ2を加えてもよい。)

③ 170℃に熱した揚げ油に肉を一枚ずつ広げて入れ、火が通るまでカラッと揚げる。


以上がレシピのオリジナルです。 『肉のおかず200選』 (昭和61年発行・主婦の友社)より。

 

イギリスのスーパーには薄切り肉は売っていないので、Boneless Pork Chops のパックを買ってきて、

1cm以上ありそうな厚みを横に二等分したものを代用しました。

 

 しょうがとレモンの皮ははしょって(オイオイ)、シソの千切り・溶き卵・小麦粉(黒ごまもなかったので入れず)を加えてよく混ぜて、

  

うちは揚げ物をしないので、代わりに油を多めにひいたフライパンで両面を焼きました。

 

 

柔らかお肉にシソの風味がよく合って、・・・んっま~・・・

この超簡単料理、本当におススメです。 ぜひお試しを! 

 

 

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