今日(8月14日)、目に留めたオンライン・ニュースです。
終戦から“77年” 若者たちにとっての戦争とは 【サンデーモーニング】 風をよむ - TBS NEWS DIG
その中で、はっと思わされた指摘がありました。
日本が無条件降伏して終戦を迎えた1945年を境にした、それまでの77年と、その後の今年までの77年の対比です。
1945年までの77年間は、日本は何度も戦争を繰り返していましたが、
1945年以降の77年間は、日本は直接的には戦争に関わっていないという。
1962年生まれの私は子供の頃、『戦争はずっと昔にあったこと』であり、平和な時代に生まれて幸運だったと考えていました。
でも今にして思うと、私が生まれたのは、終戦からたったの17年後。
私がイギリスに来てから30年が経ちましたから、その半分ちょっとでしかありません。
戦争が終わったのは、私の子供時代のほんの少し前でしかなかったんですね。
そういえば子供の頃、家族揃って電車で立川に買物に行くと、歩道の隅によく傷痍軍人さんがおられました。
白っぽい着物を着て両手両膝をつき、道行く人にお金を乞うていたのです。
四肢の一部を失くされた方もいて、その部分は包帯に包まれていました。
子供だった私は、好奇心から(あの包帯の下はどうなっているんだろう?)と想像をたくましくしたのを覚えています。
隣には低い台に腰掛けた別の復員兵さんがいて、アコーディオンを弾いていましたっけ。
自らも戦争にとられた兄を亡くしていた、今は亡き私の父は、そんな傷痍軍人さんたちを見ると、
「ああいう人たちはちゃんと国から補償を受けているからね、ほんとうは募金しなくても大丈夫なんだよ」
と、自分を納得させるかのように、当時小学生だった兄と私に教えてくれました。
優しかった父は、傷痍軍人さんに、生還できなかった自分の兄の姿を重ねて、
彼らがちゃんと国に面倒を見てもらっていると、信じたかったのだと思います。
最近、昭和を振り返る動画見にハマっていたんですが、驚いたことに、
約90年前の日本は、今ロシアがしていることをほぼそっくりそのまま、やっていたんですね!
中国に侵攻し、満州国という傀儡国家をつくり上げ、昭和8年2月に国連総会で満州国建国が否認されると、
松岡代表は「これ以上国連に協力できない」と退場した と・・・。
映像でつづる昭和史・第一部(昭和元年~16年) - YouTube
第二次世界大戦中は、言論や報道は政府によって統制され、国民は『神の国・日本』の勝利を盲信させられ、
飢餓や窮乏生活を強いられ、敗戦色が濃くなってもその事実はひた隠しにされ、
公に戦争に反対すれば非国民として逮捕・拷問・迫害されました。
(プーチン基知外!) (プーチン○ね!) などと毒づいてきた私でしたが、90年前に祖国日本がしていたことを知り、
『歴史は繰り返す』という言葉を思い出して、複雑な心境になりました。
5日前の8月9日に、『スノーマン』(1978年)で有名なレイモンド・ブリッグズ氏が亡くなりました。
同氏には核戦争を扱った異色の作品『風が吹くとき』(1982年)もあります。
ちょうど40年前の作品だったんですね。
私はずっと昔に日本で、テレビ放映されたアニメ版『風が吹くとき』を見ました。
YouTube その他で無料動画を探してみたんですが、残念ながら見つかりませんでした。
代わりに同アニメの『ゆっくり解説』のリンクを貼っておきますね。
【ゆっくり解説】 観るべきトラウマ映画 「風が吹くとき」 【戦争映画】 - YouTube
トラウマ映画・・・ 私もそう思いました。
(どうせ死ぬなら、爆発に遭って一瞬で死にたい。生き延びてわざわざ苦しんでから死ぬのは嫌!)
と思ったものです。
最初にリンクを貼った終戦後“77年”のニュースで、最近の若者の中には、
8月15日を意識していない人たちもいると知り驚きました。
今の日本の平和と豊かさは、多くの人々の悲惨な犠牲の上に成り立っているものなのに・・・
戦争を体験した世代がごく僅かになりつつある今、そして核戦争の脅威が現実的になりつつある今、
短編アニメ映画 『ピカドン』 と同様 『風が吹くとき』 も、
平和の尊さ有難さを噛み締めながら、成人の誰もが見るべき作品だと、私は思います。