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ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

愛媛県今治市、別名「玉澄さんの大楠」(県指定)です!!

2025-06-30 06:44:56 | 巨樹・大木
 別名地区は、今治市役所の南西約3.5km、56番泰山寺の南南西約800mのところです

 泰山寺の駐車場を南西に出ます、約550mで左(南東)へ

 約300mで右手に大きなクスノキです

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 東端に境内入口です

 参道を進むと

 直角に右へ石碑の後にクスノキです

 石碑です、文面には・・・
   玉澄公碑
 越智大領越智・玉澄公碑   松山 三浦公・書
 公 玉澄小市国造乎致命十七世後越智大領玉興公子編為宇摩本領後・父為越智大領大宝中遷廹戸邑
 御島大山積神於宮浦邑廣大神域壮麗喜殿后荘厳神威又教化郡民興業殖産方郡県創制之際最者功績公
 有二子長日益男次日安元 分神日事譲越智大領於益男以安元為三島大祝住別名邑至天正中云公 天
 千十九年丁亥四月八日卒葬灰山植楠樹為墓参後 因稱樹下大明神明治三年藩吏 命 之神官西原正
 教固拒以得仝四年列無格社四十三年合祀慶社 領者大山祇神社宮司三島敦雄嘱銘銘曰
  蔽芾老楠 大領條埋 勿剪勿伐 神霊俟栖 
  ・比郡民 昔蒙治澤 遺恩千古 奚啻召伯
         大正二年二月 宮内儒員従三位勲二等文学博士三島毅撰

 説明石碑です
 越智玉澄公は、越智地方の統一と産業の発展、地域の開発に務め、長男益男に越智郡の大領を譲り、次男安元に(三島家の祖)大山祇神社の大祝職(祭礼事)を命じ、政治と祭事双方の実権を握った。
 天平19年(西暦747年)に歿して墓標として楠の木を植え、墓石は現在楠の木に巻き込まれてしまっていると言われています。
 尚大祝家の墓といわれる五輪塔群は当地の端谷の丘陵に祀られています。
 碑文は代表編集者有田昭男著書「日高のふるさと歴史巡り」より抜粋
             令和6年(西暦2024年)越智玉澄公墓石再建する。

 説明版です
   天然記念物 大楠(玉澄さんの大楠)
 幹の回りを目の高さで計ると10m、枝張りが東西30m、南北で23mあり樹齢は1000年に近いものと思われ今治地方ででは一番大きな樹である。
 玉澄さんという人は、約1300年の昔、小市国造(旧越智郡地方の首長にあたる人)であった乎致命の子孫の越智玉澄のことで、別名に住み、戦乱を平定したり、別宮の大山祇神社を建てたりするなど、この地方の豪族であったといわれており、この幹の下に玉澄さんの墓があるといわれている。
 楠は温暖地方に多い常緑広葉樹で、くすのき科の植物である。
 大三島や今治地方に大木が多く、今治市の市の木は「くすのき」になっている。
            昭和54年3月31日指定  愛媛県教育委員会

 城跡石碑です

 南側から

 南西側から

 西側から

 北西側から

 北側から

 北東側から見上げました

 では、次へ行きましょう






 2025・4・15・10・40

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