市野沢地区は、佐渡市役所の西約5kmのところ
県道306号線を南西へ、墓石の吉運堂と子供服の西松屋の間を北へ入ると
実相寺の参道入り口前に出ます
日蓮宗 御松山 実相寺です
参道を進んで山門前の駐車場に車を止めさせて頂きました
山門の仁王門です
説明版です
佐渡市指定記念物(天然記念物)
三光杉 (平成16年3月1日指定)
実相寺境内に育成するこの杉は、樹高30m、根元幹囲約11.9m、目通り幹囲訳6.47mに達する巨木で、枝張りは南北約22m、東西約19.8mに及ぶ。「三光」と呼ばれるのは、この杉に三光鳥(サンコウチョウ=鳴き声が「月・日・星」と聴こえる夏鳥)がよく飛来したことに由来しており、樹齢がおよそ1000年と伝わることから「千年杉」とも呼ばれている。
実相寺は、寺伝によると文永8年(1271)に佐渡へ流された日蓮聖人が同9年(1272)に開基したと伝わる日蓮宗の寺院である。
「一の谷」(いちのさわ)と呼ばれたこの地に移り住んだ日蓮は、晴れた日には必ずこの杉がある丘へ行き、朝日を拝み念仏を唱えたといい、日蓮に赦免の吉兆をもたらした鳥が止まった木もこの杉であったと伝えられている。
佐渡市指定有形文化財(彫刻)
木造 仁王像(平成16年3月1日指定)
この両像はいずれも木製の彩色像で、阿形が像高1.97m、吽形が像高1.93mとなっており、いずれも中国風の甲冑を身に着け、力強い風格を漂わせている。また、像背面の墨書銘により、製作者は京都七条仏所の大仏師で法橋(ほっきょう)位を持つ康慶(こうけい)であることがわかる。康慶は鎌倉時代初期に活躍した仏師で、彫刻界を支配した運慶の流れを汲む名門の出身である。
この仏像は「子安仁王尊」として古くから地元の人々に親しまれ、今も子供の無病息災を祈願したワラジが掛けられるなど、長きにわたり信仰を集めている。
佐渡市指定有形文化財(絵画)
普門品註画(平成16年3月1日指定)
「普門品註画」とは、法華経「観世音菩薩普門品(妙法蓮華経)」の第八之巻の経文の内容を文字と絵で説明したものである。
この註画は、絵師の狩野胖幽(はんゆう)により、文は楷書、絵は人物全員が繊細な筆法で描かれている。胖幽は延宝2年(1674)に佐渡へ流されて以来数多くの作品を残しているが、註画形式の作画は他に例がない。
また、箱書きには「奉納普門品註画九幅 狩野胖幽守則筆」「為追善菩提」「施主 孝子狩野一角守美 表具箱共納之」「元文四巳未歳二月彼岸時正之日」などが記されている。文中の「一角」とは、胖幽の四男のことであり、父胖幽と母の追善のため、元文4年(1739)の彼岸に息子の一角が実相寺に納めたとされる。
平成31年3月
佐渡市教育委員会
説明版です
御松山実相寺の縁起
文永9年4月7日一の谷に謹居の身となった日蓮証人は、毎日朝この丘に登り、之松の根元より数歩の沢辺に湧出する清水を見付けて喜ばれ、老松に袈裟を掛け、清水で手を清め、口を漱ぎ昇天する朝日に向けて妙法を唱え、天下泰平四海帰妙の祈りを捧げ、遠く郷土安房の父母を追慕し親恩の深きを感謝され、生きて再び帰洛する事を、旭日に祈念なされた。
「袈裟掛けの松」「御手清水」残っている、また樹齢千余年の「三光の杉」が町の文化財に指定されており、昭和56年には日蓮聖人思親銅像建立されました。袈裟掛けの松に因みこの寺を通称「お松」といいます。合掌
昭和63年建之
苔に覆われた参道を進みます
杉並木の参道ですが、一般的には西側の車道を本堂前まで入れるため参道を歩く人はいないようです
石段下から境内の中門と目的の三光杉が見えました
石段を上がってきました
門を潜ると正面に本堂です
右手に三光杉です
西側から、目通り幹囲6.8mの巨木で、単幹の杉では佐渡最大です
天然記念物標柱です
説明版です
千年杉(天然記念物)
文永10年7月日蓮上人この大杉と袈裟掛け松の間に停ち梵天、帝釈、日月、四天に帰倉を念誦されるや白頭のカラス飛来す。
燕の丹太子「山からす頭も白くなりにけり 我帰るべき時や来ぬらん」の故事にも等しく、翌、文永11年3月8日ご赦免状佐渡国に到達、同14日御出船され四ヶ年振りに御帰倉なされ給う。
北側から
鐘楼です
本堂右手には祖師堂です
さらに東側の建物です
境内東端には
日蓮の衣を掛けた松は切られてしまったようです(切り口は新しいものでした)
御堂です
三光杉を東側から
祖師堂前のアカマツです
西側から
日蓮聖人像です
境内西側の松の大木です
では、次へ行きましょう
県道306号線を南西へ、墓石の吉運堂と子供服の西松屋の間を北へ入ると
実相寺の参道入り口前に出ます
日蓮宗 御松山 実相寺です
参道を進んで山門前の駐車場に車を止めさせて頂きました
山門の仁王門です
説明版です
佐渡市指定記念物(天然記念物)
三光杉 (平成16年3月1日指定)
実相寺境内に育成するこの杉は、樹高30m、根元幹囲約11.9m、目通り幹囲訳6.47mに達する巨木で、枝張りは南北約22m、東西約19.8mに及ぶ。「三光」と呼ばれるのは、この杉に三光鳥(サンコウチョウ=鳴き声が「月・日・星」と聴こえる夏鳥)がよく飛来したことに由来しており、樹齢がおよそ1000年と伝わることから「千年杉」とも呼ばれている。
実相寺は、寺伝によると文永8年(1271)に佐渡へ流された日蓮聖人が同9年(1272)に開基したと伝わる日蓮宗の寺院である。
「一の谷」(いちのさわ)と呼ばれたこの地に移り住んだ日蓮は、晴れた日には必ずこの杉がある丘へ行き、朝日を拝み念仏を唱えたといい、日蓮に赦免の吉兆をもたらした鳥が止まった木もこの杉であったと伝えられている。
佐渡市指定有形文化財(彫刻)
木造 仁王像(平成16年3月1日指定)
この両像はいずれも木製の彩色像で、阿形が像高1.97m、吽形が像高1.93mとなっており、いずれも中国風の甲冑を身に着け、力強い風格を漂わせている。また、像背面の墨書銘により、製作者は京都七条仏所の大仏師で法橋(ほっきょう)位を持つ康慶(こうけい)であることがわかる。康慶は鎌倉時代初期に活躍した仏師で、彫刻界を支配した運慶の流れを汲む名門の出身である。
この仏像は「子安仁王尊」として古くから地元の人々に親しまれ、今も子供の無病息災を祈願したワラジが掛けられるなど、長きにわたり信仰を集めている。
佐渡市指定有形文化財(絵画)
普門品註画(平成16年3月1日指定)
「普門品註画」とは、法華経「観世音菩薩普門品(妙法蓮華経)」の第八之巻の経文の内容を文字と絵で説明したものである。
この註画は、絵師の狩野胖幽(はんゆう)により、文は楷書、絵は人物全員が繊細な筆法で描かれている。胖幽は延宝2年(1674)に佐渡へ流されて以来数多くの作品を残しているが、註画形式の作画は他に例がない。
また、箱書きには「奉納普門品註画九幅 狩野胖幽守則筆」「為追善菩提」「施主 孝子狩野一角守美 表具箱共納之」「元文四巳未歳二月彼岸時正之日」などが記されている。文中の「一角」とは、胖幽の四男のことであり、父胖幽と母の追善のため、元文4年(1739)の彼岸に息子の一角が実相寺に納めたとされる。
平成31年3月
佐渡市教育委員会
説明版です
御松山実相寺の縁起
文永9年4月7日一の谷に謹居の身となった日蓮証人は、毎日朝この丘に登り、之松の根元より数歩の沢辺に湧出する清水を見付けて喜ばれ、老松に袈裟を掛け、清水で手を清め、口を漱ぎ昇天する朝日に向けて妙法を唱え、天下泰平四海帰妙の祈りを捧げ、遠く郷土安房の父母を追慕し親恩の深きを感謝され、生きて再び帰洛する事を、旭日に祈念なされた。
「袈裟掛けの松」「御手清水」残っている、また樹齢千余年の「三光の杉」が町の文化財に指定されており、昭和56年には日蓮聖人思親銅像建立されました。袈裟掛けの松に因みこの寺を通称「お松」といいます。合掌
昭和63年建之
苔に覆われた参道を進みます
杉並木の参道ですが、一般的には西側の車道を本堂前まで入れるため参道を歩く人はいないようです
石段下から境内の中門と目的の三光杉が見えました
石段を上がってきました
門を潜ると正面に本堂です
右手に三光杉です
西側から、目通り幹囲6.8mの巨木で、単幹の杉では佐渡最大です
天然記念物標柱です
説明版です
千年杉(天然記念物)
文永10年7月日蓮上人この大杉と袈裟掛け松の間に停ち梵天、帝釈、日月、四天に帰倉を念誦されるや白頭のカラス飛来す。
燕の丹太子「山からす頭も白くなりにけり 我帰るべき時や来ぬらん」の故事にも等しく、翌、文永11年3月8日ご赦免状佐渡国に到達、同14日御出船され四ヶ年振りに御帰倉なされ給う。
北側から
鐘楼です
本堂右手には祖師堂です
さらに東側の建物です
境内東端には
日蓮の衣を掛けた松は切られてしまったようです(切り口は新しいものでした)
御堂です
三光杉を東側から
祖師堂前のアカマツです
西側から
日蓮聖人像です
境内西側の松の大木です
では、次へ行きましょう
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