三岳下殿地区は、木曽町役場の西約6kmのところ
国道19号線元橋信号を西へ、県道20号開田三岳福島線です
木曽川を元橋で渡ると大滝川沿いを進みます
大滝川左岸から右岸に渡ったところで、県道473号線を合せて、また左岸へ渡りなおします
三岳黒沢信号で県道256号線を別けて北へ進みます
大滝川の支流白川を本社橋で渡ると左手に御嶽神社里社本社が東向き参道で鎮座します
北側の社務所前の駐車場を利用させて頂きました
社務所の案内板です
御嶽山三十八史跡巡りの絵図です
参道入口です
御嶽神社です
左(南)側には御嶽古道の標柱が建っています
手水舎です
黒沢口 里社本社です
説明版です
御由緒
里社本社〔当社)里社若宮(三岳村三津屋)、及び頂上奥社(御嶽山頂)の三社を以って御嶽神社と称する。
光仁天皇宝亀5年(774)、勅命を奉じた信濃国司石川朝臣望足が、大巳貴命、少彦名命の二神を御嶽山に祀り、疾病除祓を祈願したのが始まりとされる。
御嶽登拝には、古来より百日精進潔斎という厳しい規制があったが、天明2年(1782)に尾張の覚明行者が黒沢口登山道を開き、御山を一般信者に開放したことから、以後全国各地に御嶽講社の発生をみることとなり、現在に至っている。
里社の本社の現社殿は、明治7年に関東巴講により造営されたものである。
<主な祭典>
里社例祭 7月18日・19日
頂上奥社開山祭 7月10日
頂上奥社閉山祭 9月3日
参道石段を上りましょう
参道石段中段に狛犬です
参道石段を上って来ました、正面に拝殿です
説明版です
御嶽神社 里社本社
御嶽山頂の御嶽神社頂上奥社に対し、里社(本社・若宮)の創建について、「宝亀6年(775)社殿を黒沢村に造営する」との記録が残されています。
里社本社の御社殿は、その後天文23年(1554)に、木曽義在・義康父子がにより再建され、両氏奉納の棟札と鰐口が現存しています。
更に慶安5年(1652)に、木曽代官(四代)山村良豊により修理が行なわれました。
文久2年(1862)に、尾張藩主が寄進した石の鳥居も現存しています。
現在の御社殿は明治7年(1874)に、関東巴講により造営されたものです。
明治以前は「御嶽山座王大権現」と称していましたが、維新後「御嶽神社」と改称し、大巳貴命・少彦名命を御祭神としています。
拝殿の中を覗いて見ました、旧日本海軍軽巡洋艦木曽と思われる写真が掲げられています
本殿です
二合目「御嶽神社里宮」御嶽古道の標柱です、県道の上側を並行して登って行くようですので行ってみましょう
間も無く、目的のトチノキが見えて来ました
目通り幹囲6.0mの巨木です
奥(西)側から見ました、戻りましょう
社殿の南側山の斜面にも顕著に大きいトチノキが在ります
少し南側から見上げました、目通り幹囲は4m以上ありそうです
県道の北側へ行って見ましょう
県道沿いにもトチノキの大木が見えます、右奥に見えているのが御嶽古道から見たトチノキの巨木です
県道脇から見上げました
では、次へ行きましょう
国道19号線元橋信号を西へ、県道20号開田三岳福島線です
木曽川を元橋で渡ると大滝川沿いを進みます
大滝川左岸から右岸に渡ったところで、県道473号線を合せて、また左岸へ渡りなおします
三岳黒沢信号で県道256号線を別けて北へ進みます
大滝川の支流白川を本社橋で渡ると左手に御嶽神社里社本社が東向き参道で鎮座します
北側の社務所前の駐車場を利用させて頂きました
社務所の案内板です
御嶽山三十八史跡巡りの絵図です
参道入口です
御嶽神社です
左(南)側には御嶽古道の標柱が建っています
手水舎です
黒沢口 里社本社です
説明版です
御由緒
里社本社〔当社)里社若宮(三岳村三津屋)、及び頂上奥社(御嶽山頂)の三社を以って御嶽神社と称する。
光仁天皇宝亀5年(774)、勅命を奉じた信濃国司石川朝臣望足が、大巳貴命、少彦名命の二神を御嶽山に祀り、疾病除祓を祈願したのが始まりとされる。
御嶽登拝には、古来より百日精進潔斎という厳しい規制があったが、天明2年(1782)に尾張の覚明行者が黒沢口登山道を開き、御山を一般信者に開放したことから、以後全国各地に御嶽講社の発生をみることとなり、現在に至っている。
里社の本社の現社殿は、明治7年に関東巴講により造営されたものである。
<主な祭典>
里社例祭 7月18日・19日
頂上奥社開山祭 7月10日
頂上奥社閉山祭 9月3日
参道石段を上りましょう
参道石段中段に狛犬です
参道石段を上って来ました、正面に拝殿です
説明版です
御嶽神社 里社本社
御嶽山頂の御嶽神社頂上奥社に対し、里社(本社・若宮)の創建について、「宝亀6年(775)社殿を黒沢村に造営する」との記録が残されています。
里社本社の御社殿は、その後天文23年(1554)に、木曽義在・義康父子がにより再建され、両氏奉納の棟札と鰐口が現存しています。
更に慶安5年(1652)に、木曽代官(四代)山村良豊により修理が行なわれました。
文久2年(1862)に、尾張藩主が寄進した石の鳥居も現存しています。
現在の御社殿は明治7年(1874)に、関東巴講により造営されたものです。
明治以前は「御嶽山座王大権現」と称していましたが、維新後「御嶽神社」と改称し、大巳貴命・少彦名命を御祭神としています。
拝殿の中を覗いて見ました、旧日本海軍軽巡洋艦木曽と思われる写真が掲げられています
本殿です
二合目「御嶽神社里宮」御嶽古道の標柱です、県道の上側を並行して登って行くようですので行ってみましょう
間も無く、目的のトチノキが見えて来ました
目通り幹囲6.0mの巨木です
奥(西)側から見ました、戻りましょう
社殿の南側山の斜面にも顕著に大きいトチノキが在ります
少し南側から見上げました、目通り幹囲は4m以上ありそうです
県道の北側へ行って見ましょう
県道沿いにもトチノキの大木が見えます、右奥に見えているのが御嶽古道から見たトチノキの巨木です
県道脇から見上げました
では、次へ行きましょう
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます