正覚寺は、沼田市役所の南約1kmのところ
県道269号線から西へ入った所に有ります
県道沿いに案内板が有りますので、迷うことは有りません
山門を入った所に駐車スペースが有ります
正覚寺山門です
説明版があります
沼田市指定重要文化財 正覚寺山門
指定日 平成13年10月1日
所在地 沼田市鍛治町938番地1
管理者 正覚寺
本山門は、入母屋造平入、銅瓦葺きの一間一戸の四脚門で、平面規模は正面3.373m、
側面3.370mである、正面に千鳥破風を付け、正面を向唐破風とする。柱は円柱とし、出
組を置く。軒は二軒繁垂木、妻飾は虹梁彫刻充填とする。
万延元年(1860)建造と伝えられ、建物全体が欅の素木造で、虹梁の唐草絵様・木鼻・
台輪や虹梁上部・妻飾などに見事な彫刻が施されている。彫師は新田郡山之神村(現新田郡薮
塚本町山之神)の豊琳斎(岸亦八)である。
建築技法や彫刻に、江戸時代後期の特徴を良くとどめている。
平成13年12月 沼田市教育委員会
コウヤマキです
市指定天然記念物 正覚寺のコウヤマキの標柱です
説明版です
市指定天然記念物 正覚寺のコウヤマキ
指定年月日 昭和51年3月30日
所 在 地 沼田市鍛治町938番地
所 有 者 正覚寺
根元周囲7.33m、目通り周囲3.59m、樹高21m、枝張り東西10.7m、南北10
.3m、樹齢不明
コウヤマキは一属一種の二本特産の針葉樹である。天然には福島県以西の太平洋岸、四国、九
州東部に分布する。名の由来地である高野山には特に多く野生する。材は特に水湿に耐えるので
風呂桶、流し板などに賞用される。また寺院によく植栽され、仏花として用いられる。
指定物件は植栽木であるが、この地方では希な巨木である。若干枝折れの跡が見られるが、大
きな損傷もなく、樹勢良好である。
平成18年3月 沼田市教育委員会
太さの割に、立派なたたずまいです
久米民之助翁の墓所です
説明版です、沼田市名誉市民で沼田城跡の荒廃を憂いて公園化に尽力された方のようです
本堂です
鐘楼です
大蓮院殿の墓です
沼田市重要文化財の標柱です
説明版です
沼田市指定重要文化財 大連院殿の墓
指定年月日 昭和51年3月30日
所 在 地 沼田市鍛治町938番地
所 有 者 正覚寺
真田初代沼田藩主信幸(之)の夫人である大連院殿は、徳川家の重臣本多忠勝の娘で小松姫と
呼ばれていた。家康は小松姫を養女として天正17年(1589)に信幸に嫁がせた。翌年7月
信幸は沼田城主となり、慶長5年(1600)の関ヶ原の役において徳川方に従い、東軍に付く
ことになった。敵味方に分かれた信幸と父昌幸、弟信繁(幸村)が佐野犬伏から上田に帰る途次
に沼田城を訪れた際、入城を拒んだ大連院殿は女丈夫とうたわれた。元和6年(1620)に病
み、二月に療養のため江戸から草津へ来る途中の同月24日に武蔵野国鴻巣で没した。享年48
歳、同所で火葬、分骨して、同所正願寺、沼田の正覚寺、上田の芳泉寺にそれぞれ葬られた。
法名は大連院殿英誉皓月大禅定尼。
この墓は総丈271cmの宝篋印塔。塔身に、「阿弥陀三尊(梵字)大連院殿 英誉皓月 元
和六年庚申二月二四日 施主敬白」の刻銘がある。相輪の蓮華が細かく屋蓋の彫は強く、塔身・
基礎は荘重な形で、江戸時代初期の宝篋印塔の特徴を良く表している。
平成22年3月 沼田市教育委員会
小松姫の人気は、大河ドラマ真田丸(吉田羊さん演じる稲)と共に大きく成りますね
では、次へ行きましょう
(取材日、4月4日)
県道269号線から西へ入った所に有ります
県道沿いに案内板が有りますので、迷うことは有りません
山門を入った所に駐車スペースが有ります
正覚寺山門です
説明版があります
沼田市指定重要文化財 正覚寺山門
指定日 平成13年10月1日
所在地 沼田市鍛治町938番地1
管理者 正覚寺
本山門は、入母屋造平入、銅瓦葺きの一間一戸の四脚門で、平面規模は正面3.373m、
側面3.370mである、正面に千鳥破風を付け、正面を向唐破風とする。柱は円柱とし、出
組を置く。軒は二軒繁垂木、妻飾は虹梁彫刻充填とする。
万延元年(1860)建造と伝えられ、建物全体が欅の素木造で、虹梁の唐草絵様・木鼻・
台輪や虹梁上部・妻飾などに見事な彫刻が施されている。彫師は新田郡山之神村(現新田郡薮
塚本町山之神)の豊琳斎(岸亦八)である。
建築技法や彫刻に、江戸時代後期の特徴を良くとどめている。
平成13年12月 沼田市教育委員会
コウヤマキです
市指定天然記念物 正覚寺のコウヤマキの標柱です
説明版です
市指定天然記念物 正覚寺のコウヤマキ
指定年月日 昭和51年3月30日
所 在 地 沼田市鍛治町938番地
所 有 者 正覚寺
根元周囲7.33m、目通り周囲3.59m、樹高21m、枝張り東西10.7m、南北10
.3m、樹齢不明
コウヤマキは一属一種の二本特産の針葉樹である。天然には福島県以西の太平洋岸、四国、九
州東部に分布する。名の由来地である高野山には特に多く野生する。材は特に水湿に耐えるので
風呂桶、流し板などに賞用される。また寺院によく植栽され、仏花として用いられる。
指定物件は植栽木であるが、この地方では希な巨木である。若干枝折れの跡が見られるが、大
きな損傷もなく、樹勢良好である。
平成18年3月 沼田市教育委員会
太さの割に、立派なたたずまいです
久米民之助翁の墓所です
説明版です、沼田市名誉市民で沼田城跡の荒廃を憂いて公園化に尽力された方のようです
本堂です
鐘楼です
大蓮院殿の墓です
沼田市重要文化財の標柱です
説明版です
沼田市指定重要文化財 大連院殿の墓
指定年月日 昭和51年3月30日
所 在 地 沼田市鍛治町938番地
所 有 者 正覚寺
真田初代沼田藩主信幸(之)の夫人である大連院殿は、徳川家の重臣本多忠勝の娘で小松姫と
呼ばれていた。家康は小松姫を養女として天正17年(1589)に信幸に嫁がせた。翌年7月
信幸は沼田城主となり、慶長5年(1600)の関ヶ原の役において徳川方に従い、東軍に付く
ことになった。敵味方に分かれた信幸と父昌幸、弟信繁(幸村)が佐野犬伏から上田に帰る途次
に沼田城を訪れた際、入城を拒んだ大連院殿は女丈夫とうたわれた。元和6年(1620)に病
み、二月に療養のため江戸から草津へ来る途中の同月24日に武蔵野国鴻巣で没した。享年48
歳、同所で火葬、分骨して、同所正願寺、沼田の正覚寺、上田の芳泉寺にそれぞれ葬られた。
法名は大連院殿英誉皓月大禅定尼。
この墓は総丈271cmの宝篋印塔。塔身に、「阿弥陀三尊(梵字)大連院殿 英誉皓月 元
和六年庚申二月二四日 施主敬白」の刻銘がある。相輪の蓮華が細かく屋蓋の彫は強く、塔身・
基礎は荘重な形で、江戸時代初期の宝篋印塔の特徴を良く表している。
平成22年3月 沼田市教育委員会
小松姫の人気は、大河ドラマ真田丸(吉田羊さん演じる稲)と共に大きく成りますね
では、次へ行きましょう
(取材日、4月4日)
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