浅間塚古墳は、埼玉古墳群の東端にある円墳です、墳丘上には前玉神社が南向きに鎮座しています
北側の県道77号古墳通りに面して北東向きに参道が開いています

前玉神社の案内板です

北東側の県道77号古墳通りから参道です

「延喜式内 前玉神社」社號標です

鳥居の説明版です
市指定文化財 建造物
前玉神社の大鳥居
平成11年3月25日指定
この鳥居は、延宝4年(1676)11月に忍城主阿部正能家臣と忍領氏子達によって建立されたものである。
鳥居は明神系の形式で、正面左側の柱に由来を示す銘文が刻まれており、江戸時代における浅間神社の隆盛を伝える貴重な建造物である。
平成13年2月 行田市教育委員会

駐車場には太い注連縄の巻かれた御神木のマキの大木です(このブログでも紹介させて頂いております)

説明版です
行田市指定文化財
槙(マキ)昭和39年1月31日指定
前玉神社は、平安時代の「延喜式神明帳」に「前玉神社二座小」と記されている古社です。
その入口に植えられているこの大木は、「イヌマキ」と称される常緑の高木の雄木です。
御嶽山信仰の奉納植樹の御神木で、推定樹齢600年、樹高20m、目通り幹囲4.0m、根回り5.5mを計ります。
現存する槙としては埼玉県内最大のものです。
樹幹北部の中心部には大きな空洞があり、その中には木曽御嶽神社の石碑がおかれています。
行田市教育委員会

参道を進むとニノ鳥居です

手水舎です

右手奥には稲荷神社です

三ノ鳥居です

浅間塚古墳の説明版です
ぎょうだ歴史ロマンの道
浅間塚古墳
浅間塚古墳は、埼玉古墳群の南東部に位置する墳径約50m、高さ8.7mの円墳です。
古墳の墳頂に前玉神社、中腹に名前の由来となった浅間神社がまつられています。
前玉神社は、平安時代の「延喜式神名帳」にその名が見られ、古くから埼玉郡の総社として信仰を集めていました。
浅間塚古墳については、比較的最近まで古墳であるのか、後世に築かれた塚であるのか、議論が分かれていましたが、平成9・10年に行われた発掘調査で幅10mに及ぶ周溝が巡ることが確認され、古墳であることがほぼ明らかになりました。
埴輪が樹(た)てられていなかった可能性が高いこと、古墳の南西部の絵馬堂付近に石室の石材と思われる角閃石安山岩が見られることから、埼玉古墳群の築造が終わりを迎える7世紀前半頃に築かれた古墳と推測されています。
埼玉古墳群の終わりを考える上で、重要な古墳であると思われます。
平成21年3月 行田市教育委員会

石段を上がると右手に浅間神社です


社殿北側にも注連縄の巻かれた御神木のマキの木です

境内社です

見上げる位置に前玉神社社殿が見えました


燈籠です

説明版です
行田市指定文化財
石燈籠 昭和42年3月10日指定
この石段の登り口にある高さ2m、2基の石燈籠は、元禄10年(1697)10月15日に、地元埼玉村(現在の行田市埼玉地区)の氏子一同が奉納したものです。
本殿に向かって左側の石燈籠には、「前玉之 小崎乃沼余 鴨曾翼霧 己尾余 零置流霜乎 掃等余有斯(前玉の小崎の沼に鴨ぞ翼きる 己が尾に降り置ける霜を掃うとにあらし)」と「万葉集」9巻ー1744の「小崎沼」の歌が、右側の石燈籠には「佐吉多萬能 津余乎流布乃 可是乎伊多美 都奈波多由登毛 許登奈多延曾弥(埼玉の津に居る舟の風を疾み 網は絶ゆとも言は絶えそね)」と「万葉集」14巻ー3380の「埼玉の津」の歌が、美しい万葉仮名で竿の部分に刻まれています。
この2首の歌は、地元行田市埼玉地区に関連する歌と考えられています。
この石燈籠は、「万葉集」に納められた歌の歌碑としては、全国的にみて非常に古いものになります。
江戸時代には「万葉集」の研究が盛んになり、関心も高まっていました。
そうした中でいち早くこの歌碑を建立した当時のこの地域の人々の文化的水準の高さと、江戸時代の「万葉集」への関心の高まりがうかがえる、貴重な文化財と言えるでしょう。
平成23年 行田市教育委員会

急な石段を上がります

見上げり位置に拝殿です


本殿覆い屋です

木々の間に鉄砲山古墳が見えましたが写真では分かりませんね~

境内から下りて西側の木々の間に社殿を見上げました

南側から木々越しに見ました
では、次は「さきたま史跡の博物館」近くへ戻り、「瓦塚古墳」へ行きましょう
北側の県道77号古墳通りに面して北東向きに参道が開いています

前玉神社の案内板です


北東側の県道77号古墳通りから参道です


「延喜式内 前玉神社」社號標です


鳥居の説明版です
市指定文化財 建造物
前玉神社の大鳥居
平成11年3月25日指定
この鳥居は、延宝4年(1676)11月に忍城主阿部正能家臣と忍領氏子達によって建立されたものである。
鳥居は明神系の形式で、正面左側の柱に由来を示す銘文が刻まれており、江戸時代における浅間神社の隆盛を伝える貴重な建造物である。
平成13年2月 行田市教育委員会

駐車場には太い注連縄の巻かれた御神木のマキの大木です(このブログでも紹介させて頂いております)


説明版です
行田市指定文化財
槙(マキ)昭和39年1月31日指定
前玉神社は、平安時代の「延喜式神明帳」に「前玉神社二座小」と記されている古社です。
その入口に植えられているこの大木は、「イヌマキ」と称される常緑の高木の雄木です。
御嶽山信仰の奉納植樹の御神木で、推定樹齢600年、樹高20m、目通り幹囲4.0m、根回り5.5mを計ります。
現存する槙としては埼玉県内最大のものです。
樹幹北部の中心部には大きな空洞があり、その中には木曽御嶽神社の石碑がおかれています。
行田市教育委員会

参道を進むとニノ鳥居です


手水舎です


右手奥には稲荷神社です


三ノ鳥居です


浅間塚古墳の説明版です
ぎょうだ歴史ロマンの道
浅間塚古墳
浅間塚古墳は、埼玉古墳群の南東部に位置する墳径約50m、高さ8.7mの円墳です。
古墳の墳頂に前玉神社、中腹に名前の由来となった浅間神社がまつられています。
前玉神社は、平安時代の「延喜式神名帳」にその名が見られ、古くから埼玉郡の総社として信仰を集めていました。
浅間塚古墳については、比較的最近まで古墳であるのか、後世に築かれた塚であるのか、議論が分かれていましたが、平成9・10年に行われた発掘調査で幅10mに及ぶ周溝が巡ることが確認され、古墳であることがほぼ明らかになりました。
埴輪が樹(た)てられていなかった可能性が高いこと、古墳の南西部の絵馬堂付近に石室の石材と思われる角閃石安山岩が見られることから、埼玉古墳群の築造が終わりを迎える7世紀前半頃に築かれた古墳と推測されています。
埼玉古墳群の終わりを考える上で、重要な古墳であると思われます。
平成21年3月 行田市教育委員会

石段を上がると右手に浅間神社です



社殿北側にも注連縄の巻かれた御神木のマキの木です


境内社です


見上げる位置に前玉神社社殿が見えました



燈籠です


説明版です
行田市指定文化財
石燈籠 昭和42年3月10日指定
この石段の登り口にある高さ2m、2基の石燈籠は、元禄10年(1697)10月15日に、地元埼玉村(現在の行田市埼玉地区)の氏子一同が奉納したものです。
本殿に向かって左側の石燈籠には、「前玉之 小崎乃沼余 鴨曾翼霧 己尾余 零置流霜乎 掃等余有斯(前玉の小崎の沼に鴨ぞ翼きる 己が尾に降り置ける霜を掃うとにあらし)」と「万葉集」9巻ー1744の「小崎沼」の歌が、右側の石燈籠には「佐吉多萬能 津余乎流布乃 可是乎伊多美 都奈波多由登毛 許登奈多延曾弥(埼玉の津に居る舟の風を疾み 網は絶ゆとも言は絶えそね)」と「万葉集」14巻ー3380の「埼玉の津」の歌が、美しい万葉仮名で竿の部分に刻まれています。
この2首の歌は、地元行田市埼玉地区に関連する歌と考えられています。
この石燈籠は、「万葉集」に納められた歌の歌碑としては、全国的にみて非常に古いものになります。
江戸時代には「万葉集」の研究が盛んになり、関心も高まっていました。
そうした中でいち早くこの歌碑を建立した当時のこの地域の人々の文化的水準の高さと、江戸時代の「万葉集」への関心の高まりがうかがえる、貴重な文化財と言えるでしょう。
平成23年 行田市教育委員会

急な石段を上がります


見上げり位置に拝殿です



本殿覆い屋です


木々の間に鉄砲山古墳が見えましたが写真では分かりませんね~


境内から下りて西側の木々の間に社殿を見上げました


南側から木々越しに見ました

では、次は「さきたま史跡の博物館」近くへ戻り、「瓦塚古墳」へ行きましょう
