乱橋地区は、筑北村役場の南約5kmのところ
道の駅さかきたの観光案内板です、筑北村は四阿屋山標高1387mを挟んで西の本城村と坂北村と東の坂井村が2005年に合併して現在の形になっています、2001年の合併協議会設立時には麻績村も参加していましたが2004年に離脱しています。乱橋地区は左下かつての本城村、善光寺街道の乱橋宿が有った所です。
国道403号線を南へ、長野自動車道の高架の手前から県道303号線をさらに南へ入ると間もなく左手に、乱橋諏訪神社が鎮座します
道路向かい側の駐車スペースに
車を止める事が出来ました

駐車場から乱橋諏訪神社を見ました


鳥居です、新しく建替えられたようです

社殿です

社殿の左手に目的のケヤキです




社殿前から、大きな傷が有ります、大枝が折れた時に幹も傷ついてしまったようです、中に残る幹も腐朽が進んでいます



北側から、目通り幹囲6.0mの巨木です


.
西側から、根元の石碑を根株が覆っています

社殿西側に境内社が並びます

ケヤキの西側に境内社です

境内南西端には舞(神楽)殿です
では、次へ行きましょう

道の駅さかきたの観光案内板です、筑北村は四阿屋山標高1387mを挟んで西の本城村と坂北村と東の坂井村が2005年に合併して現在の形になっています、2001年の合併協議会設立時には麻績村も参加していましたが2004年に離脱しています。乱橋地区は左下かつての本城村、善光寺街道の乱橋宿が有った所です。
国道403号線を南へ、長野自動車道の高架の手前から県道303号線をさらに南へ入ると間もなく左手に、乱橋諏訪神社が鎮座します
道路向かい側の駐車スペースに


駐車場から乱橋諏訪神社を見ました



鳥居です、新しく建替えられたようです


社殿です


社殿の左手に目的のケヤキです





社殿前から、大きな傷が有ります、大枝が折れた時に幹も傷ついてしまったようです、中に残る幹も腐朽が進んでいます




北側から、目通り幹囲6.0mの巨木です




西側から、根元の石碑を根株が覆っています


社殿西側に境内社が並びます


ケヤキの西側に境内社です


境内南西端には舞(神楽)殿です

では、次へ行きましょう

