高崎市役所の南東500mのところ
東向き参道脇に
駐車スペースが有ります

参道から山門をみました

山門前に説明版です
東陽山定彗林 向雲寺
当山は、高崎城主酒井左衛門尉家次を開基、甘楽町向陽寺の
第4世であった伝州忠的大和尚を開山、鎮護国家の道場として
開創されました。
創建後約80年を経て、高崎城主安藤重博が城下遠構えの内
にあった当寺を現在地に移し、伽藍を完備し外護大いに務めま
した。よって重博を中興開基としています。18世紀に両度の
火災に遭い、寺宝、記録の大部分を焼失してしまいました。
現在の伽藍は、18世紀末以来150年を経て甚だしく腐朽
していたため、当山21世学三憲一大和尚が、寺壇協議のうえ
昭和8年に着工し同10年に落慶したものです。
また、鍛治町に生まれた幕末勤王の偉僧にして、千日回峰行
を満行した大行満願海上人の生家本見家の菩提寺です。

山門を入ると本堂前に珊瑚樹が有ります

保存樹木21号です

南側から見ました




根元からたくさんの幹に分かれて丸い樹冠を作っています

珊瑚樹の名前の元になった赤い実がたくさん付いています

本堂です

本堂向かって左側にもう一本の珊瑚樹ああります

保存樹木24号です



根元から二本の幹に分かれています
では、次へ行きましょう
東向き参道脇に



参道から山門をみました


山門前に説明版です
東陽山定彗林 向雲寺
当山は、高崎城主酒井左衛門尉家次を開基、甘楽町向陽寺の
第4世であった伝州忠的大和尚を開山、鎮護国家の道場として
開創されました。
創建後約80年を経て、高崎城主安藤重博が城下遠構えの内
にあった当寺を現在地に移し、伽藍を完備し外護大いに務めま
した。よって重博を中興開基としています。18世紀に両度の
火災に遭い、寺宝、記録の大部分を焼失してしまいました。
現在の伽藍は、18世紀末以来150年を経て甚だしく腐朽
していたため、当山21世学三憲一大和尚が、寺壇協議のうえ
昭和8年に着工し同10年に落慶したものです。
また、鍛治町に生まれた幕末勤王の偉僧にして、千日回峰行
を満行した大行満願海上人の生家本見家の菩提寺です。

山門を入ると本堂前に珊瑚樹が有ります


保存樹木21号です


南側から見ました





根元からたくさんの幹に分かれて丸い樹冠を作っています


珊瑚樹の名前の元になった赤い実がたくさん付いています


本堂です


本堂向かって左側にもう一本の珊瑚樹ああります


保存樹木24号です




根元から二本の幹に分かれています

では、次へ行きましょう

