*平成16年(2004)4月1日に川之江市・伊予三島市・土居町・新宮村が新設合併して四国中央市が生まれました。
金田町三角寺地区(旧川之江市)は、四国中央市役所(旧伊予三島市)の南東約6kmのところ、三角寺は地区の山の中です
「四国中央市庁舎前交差点」信号を南東へ、約70mで左(東北東)へ、国道11号線です
約3.5kmの「徳島・三好国道192号線⇒」の標識に従って右(東)へ
約250mの「三角寺4km⇒」の標識で信号を右(南東)へ、坂道を上って約900mで松山自動車道のトンネルを潜ります
道成に約2.8kmで三角寺参道脇の
駐車場に入りました

寺号標です

参道石段を上ります

標柱です

鐘楼門(二王門)です

梵鐘です

日本遺産プレートです
日本遺産「四国遍路」四国霊場第65番札所 三角寺
弘法大師空海ゆかりの霊場を巡る四国遍路は、四国を全周する全長1400kmにも及ぶ壮大な回遊型巡礼路であり、1200年を超えて発展継承され、今なお人々により継続的に行われている。
地域住民の温かい「お接待」を受けながら、国籍や宗教・宗派を超えて行われる四国遍路は世界でも類を見ない巡礼文化であり、2015年に日本の文化・伝統を語るスト-リーの1つとして、日本遺産に認定された。
第65番札所の三角寺は、由霊(ゆれい)山と号する真言宗寺院で、弘法大師が本尊の十一面観音を刻み、三角の護摩壇を築いて秘法を修したと伝えられる。
境内の三角(みすみ)の池はその跡といわれ、寺号もこれに由来する。

参道を進みます

右手に納経所です

寺名の元となった「護摩壇遺跡」です

薬師堂です



桜の大木です



南側から



南西から

本堂です

三角寺略縁起説明版です
高野山真言宗 別格本山
四国65番 慈尊院由霊山 三角寺略縁起
当山は人皇45代聖武天皇の御勅願所として、天平年間に行基菩薩の開創せし處なり。
弘法大師四国巡錫の砌り、自ら一刀三礼の本尊十一面観世音菩薩の尊像を刻み境内に三角の護摩壇を築き、21日の間調伏護摩の秘法を修す。「三角の池」はその遺跡なり。
蓋し大師が四国霊場中に於て調伏護摩の秘法を行せし所は唯当山のみにして、爾来この芳蠋を永く傳えんが為に三角寺と稱するに至れり。
畏くも嵯峨天皇には、当山本尊を深く御叡信遊ばされ七堂伽藍を造営せしめ給いしが、天正9年長宗我部の兵火に罹り末院12坊と共に消失す。
然るに御本尊は、火難を免れ給ひ、乗斎律師堂宇を再建し安置し参らせたり。
斯くて開創以来1200余年の間変遷隆替ありしも、御本尊の 化利生益々深廣にしてその霊験を蒙むる者数知らず、殊に四国霊場中当山を伊予の関所として、尊信おかざるは偏に御本尊威徳力の如からしむ處と謂うべし。

大師堂です

お地蔵様です



イチョウの大木です

納経所で御朱印を頂きました
では、今回の四国八十八か所霊場の最後となる66番雲辺寺へ行きましょう

2025・4・16・14・35
金田町三角寺地区(旧川之江市)は、四国中央市役所(旧伊予三島市)の南東約6kmのところ、三角寺は地区の山の中です
「四国中央市庁舎前交差点」信号を南東へ、約70mで左(東北東)へ、国道11号線です
約3.5kmの「徳島・三好国道192号線⇒」の標識に従って右(東)へ
約250mの「三角寺4km⇒」の標識で信号を右(南東)へ、坂道を上って約900mで松山自動車道のトンネルを潜ります
道成に約2.8kmで三角寺参道脇の


寺号標です


参道石段を上ります


標柱です


鐘楼門(二王門)です


梵鐘です


日本遺産プレートです
日本遺産「四国遍路」四国霊場第65番札所 三角寺
弘法大師空海ゆかりの霊場を巡る四国遍路は、四国を全周する全長1400kmにも及ぶ壮大な回遊型巡礼路であり、1200年を超えて発展継承され、今なお人々により継続的に行われている。
地域住民の温かい「お接待」を受けながら、国籍や宗教・宗派を超えて行われる四国遍路は世界でも類を見ない巡礼文化であり、2015年に日本の文化・伝統を語るスト-リーの1つとして、日本遺産に認定された。
第65番札所の三角寺は、由霊(ゆれい)山と号する真言宗寺院で、弘法大師が本尊の十一面観音を刻み、三角の護摩壇を築いて秘法を修したと伝えられる。
境内の三角(みすみ)の池はその跡といわれ、寺号もこれに由来する。

参道を進みます


右手に納経所です


寺名の元となった「護摩壇遺跡」です


薬師堂です




桜の大木です




南側から




南西から


本堂です


三角寺略縁起説明版です
高野山真言宗 別格本山
四国65番 慈尊院由霊山 三角寺略縁起
当山は人皇45代聖武天皇の御勅願所として、天平年間に行基菩薩の開創せし處なり。
弘法大師四国巡錫の砌り、自ら一刀三礼の本尊十一面観世音菩薩の尊像を刻み境内に三角の護摩壇を築き、21日の間調伏護摩の秘法を修す。「三角の池」はその遺跡なり。
蓋し大師が四国霊場中に於て調伏護摩の秘法を行せし所は唯当山のみにして、爾来この芳蠋を永く傳えんが為に三角寺と稱するに至れり。
畏くも嵯峨天皇には、当山本尊を深く御叡信遊ばされ七堂伽藍を造営せしめ給いしが、天正9年長宗我部の兵火に罹り末院12坊と共に消失す。
然るに御本尊は、火難を免れ給ひ、乗斎律師堂宇を再建し安置し参らせたり。
斯くて開創以来1200余年の間変遷隆替ありしも、御本尊の 化利生益々深廣にしてその霊験を蒙むる者数知らず、殊に四国霊場中当山を伊予の関所として、尊信おかざるは偏に御本尊威徳力の如からしむ處と謂うべし。

大師堂です


お地蔵様です




イチョウの大木です


納経所で御朱印を頂きました

では、今回の四国八十八か所霊場の最後となる66番雲辺寺へ行きましょう


2025・4・16・14・35