心の扉 神戸カウンセリング花時計

心理療法や催眠療法、ストレス解消や悩み等メンタルに関するもの、そして日常の出来事を自由気ままに掲載します。

幸福論

2017年10月05日 | 雑感・愚見


「ああ、私は今幸せだ!」と実感している人より

「ああ、幸せになりたい!」と思っている人の方が

多いのではないかと思うのです。


そこで、テーマが大きくなるのですが、

幸福について書かせてもらいます。

 

年収が今の倍になったら、

今の会社で出世したら、

愛する人と結婚できたら、

夢を叶えたら、

きっと幸せが手に入るだろう。


ですが、

今、手にしていない何かを手にして

得た幸福感、高揚感、恍惚感は、

満腹のお腹がやがて空腹感と変わるように

時と共に薄れていくものです。

 

そして、

薄れた幸福感を再び得ようとして

より高い年収を、

さらなる出世を、

もっと大きな愛をと

求めるかもしれませんし、


不幸の扉が開いてしまわないようにと

得たものに執着したりするかもしれません。


それ自体が悪いと言うのではなく

幸福について考えた時に、

竜神が宝珠を追い求め続けるように

私達は、幸せと言う宝珠を追い求め続けなければ

ならないのだろうかと言うことです。


仏教は、四苦八苦(しくはっく)からの

解放を求めて始まったと理解しています。


四苦八苦と言うのは、

四苦の生・老・病・死。


それに

※愛する者と別れること。

※恨み憎んでいる者に会うこと。

※求める物が得られないこと。

※肉体と精神が思うがままにならないこと。

の苦しみを合わせたことを言うのだそうです。


自分を四苦八苦から

解放するためのものとして

ごちゃごちゃと色々な教えがありますが、


要は、幸福を欲して追い求めたり、

幸福に執着せずに

正しい考えと正しい行動をしなさい。

さすれば幸福は己と共にあると説いていると

私は理解しています。

 

「幸福を得たいなら、幸福を追い求めることを止めなさい。」

何だかややこしい話です。


裸の大将で知られる画家山下清氏も

「自分が良い所に行こう行こうと思うと

少しも良い所へ行かれない 

いい所へ行こうとしなければ自然に良い所へぶつかるんだな。

いい所へ行こうとするから

いい所へぶつからないんだろう」

と言っています。


私なりの理解を上手く言えないので、

もう勢いで書かせてもらいますが、


幸福感と幸福との違いとでも言いましょうか。

幸福感は刺激によって得られるもので、

幸福とは似て非なるもの。


刺激によって得られるとは、

欲求が満たされた時に感じるものであって

幸福感と言うよりも満足感や充足感。


私達が時折口にする

「ああ、幸せになりたい。」は、

「ああ、欲求を満たしたい。」がより正確な言い方。


この満足感や充足感を

幸福感と一緒にしてしまうと、

私達の限りない欲求(煩悩)を満たそうとして

永遠に追い求め続けることになり、

幸福を見失ってしまう。


幸福は、身近にあって

美味しいものを食べた時にも、

気持ちの良い睡眠を取れた時にも、

気持ちの良い風を感じた時にも、

痛みの苦しみもなく健康で

休日にのんべんだらりとしていても感じられるもの。


だから、

幸福感と満足感を区分けして

幸福の土台の上で、

欲求を程よく追い求め、満たせて笑い喜び、

満たせず泣き悔しむことを

楽しもうとするとすれば、


満たすことが出来ても出来なくても

今、感じることが出来る

幸福を見失うこともなく

幸福は我と共に有りとなれる。

 

モンスターエンジンの

「ヒマを持て余した神々の。。。遊び。」

じゃないけれど、


自由な時間のなかで

ああだこうだと至高(思考)の遊びの様なことをしていたら

「あっ今の私は幸福と共にいる。」と感じたわけです。


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