心の扉 神戸カウンセリング花時計

心理療法や催眠療法、ストレス解消や悩み等メンタルに関するもの、そして日常の出来事を自由気ままに掲載します。

エクトル・ベルリオーズ

2022年01月25日 | 人物

 

フランスの作曲家べルリオーズは

12歳の時に6歳年上の少女エステルに

恋をしました。

 

べルリオーズは61歳になっても

彼女のことが忘れられず70歳近い彼女に

「あなたの手を握って死にたい。」

と書いた恋文を送っています。

 

 

エクトル・ベルリオーズは、

フランスのロマン派音楽の作曲家として

その世界ではよく知られているようですが

私は申し訳ない位に知らないんですよね。

 

この記事に興味を持ったのは

この人物はどんな素晴らしい曲を

残したのだろうかではなくて

12歳の時に恋した相手への気持ちが

50年近く変わらずにいた人物だった

という点なんですよね。

 

少し調べてみると12歳の時に

恋した女性を思い続けて

生涯独身であったのかと言うとそうでもなく

2度の結婚をしているようです。

 

23歳の時に劇団の女優スミスソンに恋をして

ベルリオーズは恋文を彼女に送りますが、

その情熱的過ぎる手紙を読んで

怖くなったのか重すぎたのか

彼女から求愛を断られるのですが、

彼女への情熱が代表作「幻想交響曲」へと繋がります。

 

次にピアニストのマリー・モークと出会い

恋愛関係となり、ローマ留学を終えたら

結婚する約束を交えるのですが

ローマに到着した直後に婚約者の母親から

娘は別の男性と結婚させるとの手紙が届きます。

 

この手紙に怒り狂ったベリルオーズは、

婚約者のマリーとその母親を殺した後に

自分も自殺しようと決意して

女装のための洋服と殺害用の拳銃、

自殺用の毒薬を準備してパリへと向かいましたが

フランス国境で我に返って

計画の実行を思い止まります。

 

そして、一度求愛を断られていた

女優スミスソンと再会し結婚します。

(二人には縁があったということですね。)

 

しかし、2年もすると二人の関係が冷え込み別居し、

スミスソンが病気で亡くなると

同棲中であった歌手のマリー・レシオと結婚します。

 

で、ベルリオーズが亡くなる4年前に

12歳の時恋したエステルに恋文をとなるのですが、

本当に愛していたのはエステルなんだではなくて

二人の妻のことも本当に愛していたんだと思うのです。

 

まあこんなの女性からすると理解出来ないだろうし、

理解もしたくないだろうけど

情熱が強い男性の場合は有り得ることだと思うのです。

 

少女エステルは初恋の女性なのかな。

その恋が成就していないからこそ

彼女への情熱が冷めるような出来事も起きないので

素敵な想いのまま保持されていたのでしょうね。

 

そんなベルリオーズの情熱を

気持ち悪いと思う女性もいるだろうし、

未練たらたらでカッコ悪いと思う人もいるだろうし、

純粋過ぎたと思う人もいるかも知れませんが、

 

全くの私見ですが、

芸術や芸能や小説家等で優れた作品を残す人には、

激しい情熱の持ち主であることが

多いような気がしているんですよね。

 

セロトニンの制御が良く機能している人よりも

どばどばとドーパミンが出ることによって

ほとばしる情熱が原動力となり

素晴らしい芸術を生み出したり、

強烈な嬉しさや快感を味わえる。

 

溢れ出る情熱を恋愛やスポーツや芸術等で

成就させられると良いのですが、

それが上手くいかないと

心の針が反対側に触れてしまい

心が乱高下するのかな。

 

激しすぎる故に純粋過ぎる故に

相手を傷つけたり、自分が深く傷ついたり、

やっぱセロトニンが幸せホルモンと言われているように

心の安定が一番なのだろうか。

 

でもなあ心の安定だけだと

面白味が無い人生になりそうなので

脳内にドーパミンが最高潮に噴出しても

取り込まれることなく

セロトニンが強く働いて

心の港に戻れることも大切ですね。

 

挑戦して失敗して

泣いて、成功して喜んで、笑って

無色の人生が色彩られていく。

 

 

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チャウシェスク大統領

2021年11月28日 | 人物

 

1966年 

ルーマニアの初代大統領チャウシェスクは、

人工を増やすために離婚や妊娠中絶を

原則的に禁止しました。

 

この法令は、革命によって彼が大統領の座を

失うまで続けられました。

 

 

 

ルーマニアと言われて思い浮かぶのは、

『吸血鬼ドラキュラ伯爵』。

 

体操競技でオリンピックで完ぺきな演技を行い

史上初の10点満点を獲得した

白い妖精『ナディア・コマネチ』さん。

 

彼女は、本当に可愛くて、綺麗で、華麗で

世界中の多くの男性を虜にしましたよね。

 

そして、チャウシェスク大統領かな。

 

 

1989年のルーマニア革命によって

チャウシェスク大統領が捉えられ

大統領夫妻の公開処刑(銃殺刑)のニュース映像を

観た時は衝撃でした。

 

 

第二次世界大戦後に

ソ連の圧力で社会主義国家となり、

国家NO1の人物が死去すると

NO2だったチャウシェスクが指導者の座に着き

1960年代から80年にかけての

24年間に渡りルーマニア共産党政権の頂点に

独裁的権力者として君臨します。

 

最初の頃は、ソ連とは距離を置き

西側諸国との交流をし

開放的な政策を取っていましたが、

経済開発のためにと西側諸国から

多額の融資を取り付けます。

 

しかし、

借りたお金は返さなくてはならず

この返済によって国家財政が苦しくなります。

 

国内では食料が配給制となり、

国民は冬の暖房用の燃料も不足し、

停電は当たり前になるなど

国民の生活は困窮していきます。

 

そのような中でチャウシェスクは、

首都ブカレスト市内に『国民の館』と呼ばれる

巨大な宮殿を建設し、党や国家の要職を

チャウシェスクの家族や親族30人以上が独占し、

国民には不満と怒りが渦巻いていきます。

 

そして、

1989年の12月にドッカーン!

ルーマニア革命が勃発し、

捕らえられたチャウシェスク夫妻は、

革命軍によって即決で死刑判決が下され、

公開処刑(銃殺刑)となりました。

 

物事には光と影の両面が有るのが常で

離婚や中絶を禁止を制定によって

経済的な理由から育児放棄による捨て子が増加し、

チャウシェスクの落とし子と言われる

ストリートチルドレンが街に溢れます。

 

しかし、1967年より3年間で

人口が40万人強増えており

その大半が成人を無事に迎えています。

 

それらの人達が、雇用の担い手となり

リーマンショック前年までの10年間において

隣国と比べるとGDPの伸び率は

突出して高かったようです。

 

独裁的権力者となると周りを信用できなくなり、

自分の地位や身を守るために

自分の周りを家族や親族で固めたくなるのでしょうし、

 

良かれと思ってやった政策が

失敗することもあるでしょうし、

それによって反感を持つ国民も出てくるでしょう。

 

国民の富を吸い上げ

贅沢な暮らしを謳歌している人物であり、

国民の苦しみの元凶だとして処断されましたが、

 

しっかりと国民に寄り添い、

国民の素直な声にも耳を傾けていたら

最後は違ったものになっていたかもしれません。

 

 

 

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柳生但馬守宗矩

2021年11月02日 | 人物

 

徳川家の御指南役だった柳生但馬守宗矩は、

道場の中で1匹の猿を飼っていました。

 

彼に弟子入りを望んだ者は、

まず道場の猿と立ち合って勝たなければ

弟子にはなれなかったそうです。

 

 

誰しもが剣豪柳生宗矩栁生十兵衛の名前は、

どこかで耳にしたことがあるとは思うのですが

上の話って初めて聞きました。本当の話?

 

宗矩の父、宗厳が、あの黒田官兵衛の息子であり

初代福岡藩の初代藩主の黒田長政の仲介で

父と共に家康に謁見し、

 

家康の前で父の宗厳が無刀取りを披露し、

父親の推挙で宗矩は、

200石で家康に仕えることになります。

 

ここから出世街道まっしぐらで

2代将軍の徳川秀忠の兵法・剣術指南役となり、

3000石の旗本となり、

 

3代将軍の徳川家光の兵法・剣術指南役にもなり、

数々の功績をあげて大和国柳生藩

立藩するまでになります。

 

家光の宗矩への信頼度はかなり厚く

宗矩は家光から私的な相談を度々受けることや

家光に強い意見を申し述べていたようで、

家光がヘソを曲げた宗矩の

ご機嫌を取るような関係だったようです。

 

また家光は、宗矩に対して度々「但馬、参りる!」

不意を突いた一撃を加えようとしていたらしく、

 

これは宗矩の腕前を確かめるというよりも

宗矩が見事に防ぐのを楽しんでいたもので

今で言うドッキリ的な感じの逸話もある位です。

 

豊臣秀吉の立身出世も凄いことですが、

一介の剣士の身から大名となった

歴史上唯一の柳生宗矩の

立身出世物語もかなりのものです。

 

いくら剣術が強くても

これほど立身出世が出来る訳がないので

栁生宗矩の男っぷり………男っぷりと言うと

最近では差別云々と言われそうなので止めておいて

人間ぷりが凄かったんでしょうね。

 

この世に生を受けた限りは、

自分に何が出来るのか、

自分がどこまで行けるのかと

立身出世も悪くありませんが、

 

せっかく生を受けたのだから

穏やかに和やかに日常を生きることも

なかなか乙なものかと。

 

どちらの生き方を選んだとしても

そこに喜びがあるなら

あなたが選んだ道が正解!

 

 

 

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チャーチル卿

2021年10月31日 | 人物

 

英国のチャーチル卿が可愛がっていた

赤茶色の毛色をした雄のトラ猫は、

第二次世界大戦中の閣議に

彼に連れられ何度も出席していたようです。

 

 

チャーチル卿は、かなりの動物好きで

犬、猫、狐、白鳥等を飼っていて

競走馬も多数所有していたようです。

 

なかでも猫が好きだったようで

私邸公邸を問わず必ず1,2匹の猫の姿があり、

 

電話で政治的な話をしている時にも

夕食時の時にも、首相就任の時にも、

最後の議会への登院の際にも

チャーチルの傍らには歴代の飼い猫の姿がありました。

 

政治判断を間違えば

英国が激震に見舞われるような

激動の時代にあって

英国の政治の中心にいた彼にとって

精神を和ませてくれる存在が

猫だったのかも知れません。

 

 

精神修行をして何事にも動じない心に

なんて言葉を聞くこともありますが、

逆に言うと

私達は何事にも動じない心に成るためには、

修行をしなければならないほど

簡単なことでは無いと言う意味にもなります。

 

何事にも心が動じなくなるのは難しくとも

そうしたその時、その時に

心を落ち着かせることは

まだやれるのではないかと思ったりします。

 

そして、心の中で処理をして

落ち着かせることが難しいようなら

チャーチルのように自分の外にある

何かを見ることで、何かを聞くことで、

何かに触れることで

心のざわつきを助けてくれるものを

探してみるのも良いのかも知れません。

 

それらが景色であったり、

誰かの声や音楽であったり、

ペットであったり、

タオルケットであったり、

縫いぐるみであったり、

アイドルや俳優であったり、

 

自分の健康や経済的に破滅に繋がらない

何かぴったりするものが見つかれば

しめたものです。

 

 

 

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ルイ14世

2021年08月26日 | 人物

 

フランスの富豪の息子セルドンは、

9歳の時に学校を訪れた

ルイ14世の剥げた頭部を笑ったことで

不敬罪に問われ刑務所送りになりました。

 

そして、その彼が釈放されたのは、

なんとなんとの69年後だった。

 

 

2021年1月 地元メディアによると

タイの刑事裁判所は、王室を批判する動画を

「ユーチューブ」に投稿したとして

元公務員の60代女性に不敬罪等で

これまでの王室批判に対する量刑としては

最長の禁固43年の判決を言い渡しました。

 

60代の女性に対して禁固43年。

女性にとっては終身刑と同じ意味を持ちますね。

酷く厳しすぎるような気もします。

 

不敬罪は日本の法律にもありますが、

私はこれまで不敬罪が適用された話を

聞いたことがありません。

 

不敬罪に相当する人や集団が現れた場合には、

躊躇することなく適用して

厳しく罰して欲しいと思ってはいるものの

あまりにも簡単に不敬罪を適用するのにも

大反対ではあります。

 

これまで日本では不敬罪を適用されるような人は

いなかったということと理解したいし、

皇族の方々もまた多くの国民の信頼と敬いに

応える姿勢であられたからだと思うのです。

 

他国の王室について

どうこう言いたくないのですが、

国民から信頼と敬われた前国王が亡くなり、

後を継いだ現国王は………。

 

国民が何か一言、二言、

言いたくなる気持ちも分かるんですよね。

 

 

さてですがルイ14世と言われて

多くの人が真っ先に頭に想い浮かぶのは、

あのヴェルサイユ宮殿ではないでしょうか。

 

ちなみにヴェルサイユ宮殿と同じく

有名な建築物のパリのエトワール凱旋門は、

あの皇帝ナポレオンが造らせたもの。

 

ルイ16世の時は、フランス革命かな。

 

ルイ14世は、父王ルイ13世の崩御により、

4歳の時に即位し在位期間は72年で、

中世以後の国家元首の最長の在位期間として

ギネス世界記録に認定されているようです。

 

ルイ14世は、1658年に病の為に

毛髪の大部分を失いました。

身長が160㎝程度と低かったこともあり、

頭頂部を盛り上げたカツラを使用して

履く靴は、ハイヒールを好み

自分を大きく見せようとしていたようです。

 

容姿にコンプレックスを感じていたと

考えることも出来ます。

 

なので自分の容姿(コンプレックス)を

嘲笑した者に対して不敬罪以上に

許すまじとなってもおかしくありませんが、

相手は9歳の子供ですからねえ。

 

おそらくですが、

ルイ14世は気分を悪くしたでしょうし、

顔を引きつりもしたでしょうけど、

ぐっとこらえてやり過ごしたのではと。

 

9歳の子供を刑務所にぶち込んだのは

ルイ14世を忖度した側近の人達。

つまりはルイ14世の知らぬところで

9歳の子供は刑務所にぶち込まれてしまった。

 

ルイ14世は、全く知らずで

側近の判断でぶち込んだ当事者は、

ルイ14世に釈放を提言し辛く、

 

この問題を次の責任者にと申し送りし続けたのか、

忘れ去られてしまった結果の69年後の釈放なのかなと

私が勝手に推察しています。

 

まあこれは私個人があれこれと推察して

楽しんだものでしかありませんので

誤解無きよう願います。

 

 

「えっあんなことまだ気にしていたの?」

 

言った本人が忘れてしまうほど

軽い気持ちでポロっと言ったことが

相手が重く受け止めて

その言葉の影響下に何十年。

 

親から子とか、上司から部下とか、

尊敬している人からとか、

愛している人からとか、

そんな間柄で起きがちですね。

 

そんな1つの軽い言葉や気持ちが

誰かにとって悪い影響となることもあれば

良い影響を与えることもあるんだと

心の片隅にそっと置いておきたいものです。

 

現在の私の身体がビックサイズなのも

子供の頃に親から言われた言葉を

私の心が間違った解釈をしたからなんですよね。

 

「お前は、きっと大物になる。」

 

 

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作家 山岡荘八

2021年08月06日 | 人物

 

作家、山岡荘八の小説『徳川家康』は

昭和25年より北海道新聞で連載を開始して

昭和42年まで続き、使用した原稿は17,400枚以上。

 

ギネスブックには世界最長の小説として記録されました。

 

 

この作品は、徳川家康の生母の於代の方(松平宏忠の正室)の縁談から

家康の逝去までの70余年を描いたもので、

家康の悪いイメージの改善に貢献したとのことです。

 

作品の細かな内容は知りませんが、あくまでも小説とのことなので

小説の中の徳川家康は、小説を面白くするために

山岡荘八氏が作り出したフィクションの徳川家康でしかありません。

 

よく真実の中に嘘を偲び込ませると

相手に嘘の部分も真実として受け取らせやすくなるとは言いますが、

史実にフィクションを混ぜると、小説の中の徳川家康の人物像が

実際の人物像として刷り込まれてしまうことが起きていたようです。

 

教科書から消えようとしている幕末の坂本龍馬の人物像も

司馬遼太郎作『龍馬がゆく』で描かれた坂本龍馬像の影響を

多くの人が受けているのと同じかと思われます。

 

1つの小説を17年かけて書いたのは凄いですよね。

連載の間に集めた資料や調べた資料なんかも

相当な量になるんでしょうね。

 

まあ連載開始の頃から「完結は17年後になるなこりゃ。」

と考えて書き始めたとは思えないので、連載小説の人気もあるしと

書き続けた結果、気が付いたら17年となったのでしょう。

 

イタリアの男性が、コモから歩き始めて気が付けば

450㎞のファーノまで歩いてたと同じ感じでしょうか。

 

山岡荘八氏の17年連載の『徳川家康』は凄いとは思いますが、

漫画の世界をみれば

40年間連載の『こちら葛飾区亀有公園前派出所』をはじめ

52年間連載中の『ゴルゴ13』、44年間連載の『浮浪雲』、

41年間連載の『あぶさん』、41年間連載中の『釣りバカ日誌』等々、

その他にも長期連載がズラッ並び、連載終了となった作品は、

ネタが尽きたり、作品の人気に陰りというものではなく

作家の高齢化によるところが多かったりします。

 

枯れることが無い湧水のようにアイデアを生み出すんですから

あの人達の頭の中はどうなっているんでしょうかね。

 

同じ相手と山あり谷ありで何十年の結婚生活。

山あり谷ありで同じ仕事をして何十年。

 

これもまた作家の人達に負けず劣らずの

凄いことでもあり素晴らしいことかも知れませんし、

実は、自分にとって素晴らしい人や仕事と

巡り合っているのかも知れませんね。

 

 

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作家 マクシム・ゴーリキイ

2021年08月04日 | 人物

 

ロシアの作家ゴーリキイは、

幼少の頃に母親が再婚したのが気に入らず

新しい父と母の椅子にヤニを塗り付けて

2人を動けなくしてしまったことがあるらしい。

 

 

例によって私はこの人の作品を読んだことはありませんが、

どうした訳か名前だけは知っていたんですよね。

なので今回を良い機会として作品ではなく人物に焦点を当てて

少しだけ調べてみると波乱万丈の人生だったようです。

 

ゴーリキイは、1868年(明治元年)に生まれました。

父親は早く死亡し気の強く美しい母親は再婚して家を出たので

幼いゴーリキイは祖父の家で育つことになります。

(母は子供は祖父母に預けて、自分は恋する男性の元へ………。)

 

残忍な祖父と質の悪い残忍な悪戯をする従弟たちと

近所の財産争いばかりしている小父達がいる環境の中で

昔話がとても上手で優しく接してくれる祖母だけが

ゴーリキィにとってたった一つの拠り所であり救いだったようです。

 

祖父の家が火事で丸焼けになり愛する祖母と自分の為に

稼がなくてはならなくなり、11歳の頃より靴屋、製図見習、皿洗い、

パン職人、漁業労働者、踏切番等々、色々な職業に就いたようです。

 

なのでゴーリキィは、中学はおろか小学校も卒業しておらず

生きることの苦しさからや政治への反発心から

16歳の頃には、革命運動に参加して何度か逮捕されたり、

19歳の頃には、祖母の死にショックを受けたのか

一度自殺未遂をしています。

 

レーニンと知り合い、革命がなされた後には、

レーニンに宛て「環境とものの見方、そして行動を変えるべきだ。」

と書いた手紙を送っています。

 

1921年に結核の療養のためレーニンの勧めに応じて

イタリアのソレントに移り住みますが、

イタリアの生活は貧しく惨めな暮らしであったためなのか、

故郷のことを懐かしく思ってなのか、

1928年以降は、何度かソビエト連邦を訪れるようになり、

1932年には、スターリンの求めによってロシアに帰ります。

 

その2年後に息子のマクシム・ぺシコフが亡くなった翌年に

ゴーリキイは、モスクワで亡くなることになるのですが、

この両者の死については、毒殺されたとも言われていますが、

確実なことは分かっていないようです。

 

 

群れで生活をしない動物は、子が一定の成長をすると、

やれなければ死を意味する環境に強制的に放り出されて

否が応でも母から擁護される子供であることから

決別しなければならなくなります。

 

11歳のゴーリキイにとって早かったのか適当であったのか、

私には断定することはできませんが、

頼れる者はなく自分で稼ぎ、色々と考え、生き抜いたことは

人間形成に何らかの影響を与えたことは間違いありません。

 

ゴーリキイは、その苦しみや怒りにも似た情熱が

反政府運動と言う行動となり、作品を生み出すための

文章力や情景描写力や表現力や説得力等を

高めることになったのだと思われます。

 

 

自分が置かれた酷い状況を、自分以外の所為にして

それだけにのめり込むと事態は良くなる所か、

悪化するばかりになります。

 

誰かが言っていましたが、

配られたカードについて愚痴や文句や運命を呪ったところで

カードが配り直されることはありませんし、

そのゲームは、始まり動き出します。

 

配られたカードに捉われ停滞することは、

ただ停滞するだけではなく気が付けば

より良くしようとする人達から取り残されてしまいます。

 

結局は、配られたカードで頭を捻り、

発見した状況を変える一手を見出し、行動し、

考え得る最高の役を作ることが重要なんですよね。

そして、

身体が傷ついたり弱った時には現代の医療で身体を直し、

心が傷ついた時には………。

 

自分の本当の力を発揮できるのは、

自分を本当に信じている時だけなんだ。

by ゴーリキイ

 

 

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雷帝

2021年07月31日 | 人物

 

16世紀ロシアのイヴァン4世(通称・イヴァン雷帝)は、

嫁選びに適齢期の娘を1500人集めて、

その中から后を選びました。

 

しかし、そうして選んだ2人の后に先立たれ

3人目の后も挙式後わずか16日後に亡くなりました。

 

 

イヴァン4世(通称・イワン雷帝)は、

少なくとも6人の女性と離別、死別していて

8人の子供がいましたが、

その殆どが若くして亡くなっています。

 

イヴァン4世は、統治する側に生まれて

3歳でモスクワ大公に即位してからだと約50年間、

16歳で皇帝に即位してからだと約37年間ですか、

 

専制政治のトップとして君臨し、権力も資金もお后も選び放題、

大抵のことは望めば叶えられる魔法使い状態だと思うのですが、

そんな彼の生涯を覗かせてもらうと

幸せって何だろうと考えさせられます。

 

 

彼が僅か3歳の時に父親が亡くなったことで

モスクワ公国の大公となったのですが、

3歳で国を治めることは出来るはずも無く

実権を握っていたのは貴族階級の有力者達で

また有力貴族達は権力闘争を繰り広げていました。

 

16歳の時に自ら皇帝と称して戴冠式を行い

実権を握っていた大貴族を次々と抑え

反対勢力を駆逐していき専制的な支配を行い

雷帝と呼ばれ怖れられました。

 

彼は3歳の時に父親を亡くし、8歳の時に孤児になり、

頼りにする貴族達の権力争いの陰謀が渦巻くドロドロした世界を

見て育ったことで猜疑心が強い人間となったようです。

 

彼の振舞いは一種の人格破壊者とも取れる酷い行動をしていて

宮廷では重要な地位にあった人や聖職者でさえも

陰謀事件や外敵との通謀や疑い、ちょっとした不敬などの罪をきさせて

残虐な処刑としていたようです。

 

またノヴゴロド市が敵に通じていると疑い、

親衛隊によって市民3万人以上を殺害し、

晩年には、我が子の皇太子を棍棒で何度も殴りつけて

殺害もしているようです。

 

こうした所業からイヴァン4世は、

流血を見るのが何より好きだったとする人もいますが、

人への猜疑心が強く、誰も信じられず、

また当時は、暗殺や毒殺も横行していたようなので

心休まることのない常に怯えた生活をしており

恐怖心からの行動であったと考える人もいます。

 

イヴァン4世の妻や子供達の殆どが若くして亡くなっているのは、

医療がまだ現代より未熟だとしても不自然ではあるので

自分がしてきた所業に対する神の罰と言う人もいますが、

 

当時は、暗殺や毒殺が横行していたので

何者かによって毒殺された可能性は十分あります。

 

1996年のイヴァン4世の妻や子供の遺体調査結果では、

毛髪から大量の水銀が見つかっているのですが、

当時は水銀は治療薬としても使われていたようなので

毒殺なのかどうかは断定できないようです。

 

また1584年にイヴァン4世は亡くなっているのですが、

1963年の遺体調査では、やはり砒素と大量の水銀が検出されていて

こちらも暗殺説もあるものの断定はされていません。

 

人間の数だけ価値観や想いがあるので

集団が大きくなればなるほど歪やズレも

大きくなってもおかしくありませんし、

人類の歴史を見ても集団が離合集散を繰り返すのは常ですが、

その際に血が流れるのが一番残念なことです。

 

こんだけの時間が流れても

私達人間は、何も学べていないかのように

今日も世界のどこかで血が流れています。

 

分からないんですけど、今この瞬間思うのは

自分一人が幸せだと感じられるだけでは

本当の幸せではないように思うんですよね。

 

 

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泉鏡花

2021年07月29日 | 人物

 

作家 泉鏡花(いずみ きょうか)は、

女性崇拝者だったらしく話し相手がうっかり「女」と

口走るとたちまち不機嫌になりました。

彼にとって「女」は「御夫人」でなくてはいけなかったようです。

 

 

泉鏡花は、明治後期から昭和初期にかけて活躍した小説家で

母親が次女を出産直後に逝去し強い衝撃を受け、

その翌年、12歳の時に摩耶夫人像に母の面影を重ねて以来

彼が亡くなるまで摩耶夫人を信仰していたそうです。

 

また、強迫神経症ではと思えるような、

かなりの潔癖症に陥っていたようです。

 

鏡花は、生ものは一切口にしない主義で

貰い物の菓子をアルコールランプで炙って食べたり、

手掴みで物を食べる時は、掴んでいた部分は必ず残し捨てました。

 

お辞儀をする時に畳に触れるのが汚いと手の甲を畳に付け、

お手伝いさんには階段の掃除をさせるのに

一段一段専用の雑巾を使わせ、

外出時の着衣は帰宅後に全て捨てていたほどですが、

 

多くの不潔恐怖症の方は、自分のルールがあって

健康を少しでも脅かす可能性のあるものを排除するなら

同じように駄目なはずのものでもOKするものがあって

鏡花も煙草は煙管で愛用し、神仏の前では必ず土下座したそうです。

 

鏡花の潔癖症はもちろんですが、女性を崇拝する態度も

母親の死によって心に昇華されないまま残る

負の感情の影響によるものだと思われます。

 

オーガニックしか口にしないとか、

耳にすることが増えてきている菜食主義者やヴィーガンのように

信仰する宗教の戒律に従ってとか、

自分の価値観を貫いている場合と違うのは、

 

潔癖主義や不潔恐怖症などは恐れの感情が

本人の行動を主導している所です。

 

一方は、その主義を止めることはできるけれども

止めるつもりはないというだけで

一方は、その主義を止めたくても

止めることが出来ないという違いがあります。

 

鏡花の場合は、潔癖症の行動がかなりだと思うのですが、

私が少し調べた情報の中には、自分の拘りによって

本人が苦しんでいたという話がないようなので

そこまで酷い状態ではなかった可能性もあります。

 

なので本人よりも泉鏡花のルールに気を配った友人や知人、

特に奥さんが一番大変だったのではないでしょうか。

 

 

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坪内逍遥

2021年07月12日 | 人物

 

シェークスピアを初めて訳した明治の文豪、

坪内逍遥(つぼうちしょうよう)は、

日記を英文でつけていたらしいのですが、

その日記の内容の殆どが妻の悪口だったようです。

 

 

例によって私は、

この方を御存じなかったのですが、

その道では、かなり有名な方のようです。

 

私が坪内逍遥なる人物に少し興味を惹かれたのは、

全く新しい小説の形を生み出したとか、

シェイクスピア全集の翻訳・改訂に取り組み

全作品を翻訳刊行したことよりも

 

美しい女性を表現する言葉として良く知られている

「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。」が

坪内逍遥の名言とされているのを見たからなんですよね。

 

何かの作品の中で練りに練って使用した言葉なのか、

何かの拍子に自然と口から出た言葉なのか分かりませんが、

犬も歩けば棒に当たるの言葉並みに

社会に馴染みのある言葉を残した人物って凄くないですか。

 

そういう意味では、

言語の表現力のチャンネルが違いますが、

バツイチとか、空気を読めとか、言葉を噛むとか、

瞬間的に言い得て妙の言葉を生み出したお笑いの人達の

言語の巧みさもまた凄いものがあるように思います。

 

『虎は死して皮を留め人は死して名を残す。』と言いますが、

言葉巧みな人は、言葉を残すんですよね。

 

さてですが、坪内逍遥の妻は根津遊郭の娼妓で

逍遥が遊郭に数年間通い詰めた後に結婚し、

元娼妓であったことをとやかく言う世間の声など気にせず、

貶めることもなく、学問も教え、妻を愛し続けたことが

美談として語り継がれているようです。

 

美談として語り継がれているようなことも

逍遥の妻に対する本心の現われですが、

物事には裏表両面があるようで

日記に英文で妻への悪口を書き殴っている気持ちも

妻に対する正直な気持ちの現われです。

 

よく奥様連中が集まって

亭主の悪口をさんざん言いながらも

その亭主のことを他人が悪口を言うと

怒るようなものかな。

 

妻が言うことは正しいし、

悪いのは自分だと納得するけれど、

日記に悪口位は書かせてくれよってな感じかな。

 

逍遥を知る人が日頃観た妻への態度や

最悪、日記を見られても妻が理解できない英文で

悪口を書いてあったのは、怒られない理由以上に

妻が傷つかないようにの想いからだと思うのです。

 

悪口を書き殴った英文で書かれた日記から

逍遥は妻のことを随分と惚れていたし、

同時に尻に敷かれていたことも想像できます。

 

 

私の全くの個人的見解ではあるのですが、

夫婦の関係は、夫が妻の尻に敷かれる関係が

一番自然な関係で

長続きする関係なのかなと思ったりもします。

 

それは妻が夫を自分の下僕のように扱うことではなくて

そこには夫への妻の愛情があり、

それが夫に伝わることが前提ではあるのですが、

 

夫は、海の水を切り裂く艦首となり

妻は、速度や舵を握っている状態のような感じ。

 

あるいは表面上は亭主関白の形を取っていようと

実際に実権を握っているのは妻である状態。

 

男性は、健全な母子関係の中で

子供の頃より母と言う女性に怒鳴られ、叱られ、

褒められ愛されて育った経験を持っているので、

妻に尻に敷かれることは慣れ親しんだ立ち位置に

戻るだけのような気もします。

 

威張りがちな男性でも健全に育った人であるなら

心のどこかで優しく叱られることを

ウエルカムの人って

そこそこいるんじゃないのって

思ったりするんですよね。

 

 

 

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