浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

構想力と描写

2020-07-05 15:23:30 | 芥川
 小説は読むだけで、書いたことはない。書いたことはないというのではない、書けない。
 小説を書く人は、どういう内容を書くか、まず構想を練って、その構想をもとに書き下していくのであろうが、その際、作家の脳裡には構想されたものが浮かんでいて、それを文として描写していくのであろう。

 だとすると、芥川のおどろおどろしい「地獄変」は、芥川の脳裡にあったものだろうが、よくもまあそうしたものを描くことができるのかと思う。

 「地獄変」は良秀という絵師の話であるが、「地獄変」という屏風絵を描く良秀の周辺に起こることを、これでもか、これでもかと構想する芥川に、私は彼のなかに精神的病理を感じてしまう。

 蛇といい、「耳木菟」といい、娘を入れた車を燃やすという所業など、常人では考えも付かないことを、それも残酷に、おどろおどろしく、描いていく芥川こそ、良秀の化身ではないかと思ってしまう。

 思うに、芥川龍之介は、みずからの構想した世界(そこには人間の精神世界も入る)の中に入り込んでしまい、そしてそれをことばとして表現していくのではないか。この場合、良秀というみずからが構想した絵師の精神のなかに入り込んでしまい、さらにその良秀を外から見つめるという芸当。

 読み手は、奇怪なその世界に誘われ、顔をしかめながら読み続ける。読み終わった後、読み手も、決して開放されたある意味の快感を覚えるのではなく、沈鬱な後味の悪い気持ちをもったまま、じっと振りかえる。

 芥川龍之介は、どのような内容のものでも描ける作家であることはしっかりと認識できた。
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