浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

東海本社の「中日新聞」

2024-06-26 08:08:27 | メディア

 浜松市で「中日新聞」を購読すると、通常、東海本社発行のものが届く。私は長い間、「朝日新聞」を購読していたが、小泉内閣の郵政民営化選挙(それ以後の郵便事業のサービス低下は目に余る!)の際の社説を読みびっくりして、購読を止めた。その後、しばらく購読しなかったが、新聞販売店から「中日新聞」を購読しはじめたが、これがまたすさまじく、一面トップや社会面に、地元の記事満載の紙面があるにもかかわらず、地方ネタが堂々とトップの位置を占める。それも、批判的な記事ではなく、ヨイショ記事、どうでもいいようなものばかり。そのため、「中日新聞」もやめた。とにかく地域のどうでもいいような記事が、満載。そういう記事を並べ立てて、購読者を増やそうという魂胆なのだろうが、新聞としてのあるべき姿なのか、大いに疑ってしまう。

 しばらく購読していなかったが、ネットで「東京新聞」(中日新聞東京本社発行)を読んでいると、なかなかしっかりした記事が多いので、新聞販売店が来たときに、「東京新聞」なら購読すると言ったところ、半日遅れで届けられる(当初一日遅れ)ということなので購読をはじめた。

 さて東海本社発行の「中日新聞」は、批判的精神はほとんどない。たとえば浜松市の行政運営に反対する動きが掲載されることはあるが、まったくのベタ記事。しかしたとえば、祭典に使う屋台を新調した、という記事は写真付きで大きく扱う。

 今日の東海本社発行の「中日新聞」の一面トップは、「鈴木知事誕生1カ月 「経営の方針」康友流」というヨイショ記事である。新しく静岡県知事になったSUZUKI康友をたたえる記事である。私が鈴木康友を表記するとき、SUZUKI康友とするのは、SUZUKIのトップである鈴木修の言うことをきかない北脇浜松市長を落選させるために、いわば刺客としてのSUZUKI康友が立候補したのであり、市長就任後は、鈴木修の言うことを聞きながら市政を運営し、たとえば浜松市の7区を3区にするという減区案(当初修は、区をなくせと言っていたが、指令指定都市には複数の区を置く必要があるために3区になった)は、修の要求であった。

 そしてそのSUZUKIと「中日新聞」は蜜月関係である。SUZUKIの発表記事は、まず「中日新聞」に掲載され、その後他紙が追うというかたちになっていた(現在は確認していない)。「中日新聞」がSUZUKIにおされて知事になったSUZUKI康友をもちあげるのは、いわば必然と言ってよいだろう。

 「中日新聞」を購読していた友人がもうやめる、と言ってきた。「読むところがない」というのである。そうだろうと思う。

 「東京新聞」は批判的精神が横溢している。東海本社の「中日新聞」は、批判的精神がほとんど見られない。そのような区別がどうしてかといえば、どういう記事を載せれば購読者が増えるのか、そのような経営的な観点からの紙面なのであろう。

 1930年代、戦争へとひた走る「大日本帝国」に、すべての新聞は追従していった。その理由は、国家による統制もあったが、国民が好戦化していくなかで、戦争の記事を国民が求めたからでもある。

 これも経営的な観点からである。メディアとは、そういうものであることを知っておく必要があるだろう。

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