ロシアによるウクライナ侵攻から目を離せない。
歴史研究を生業にしてきた私としては、なぜロシアがかくも残虐な侵略行為を働くのか、という問いをもち、それを歴史のなかから考えようとしている。もちろんそう簡単に解答が与えられるわけではない。いろいろな文献を読み始めている。
『現代思想』の2017年の10月号、特集「ロシア革命100年」におさめられている論考や座談会などは、とても大きな刺激になっている。とりわけ、沼野充義、大石雅彦、乗松亨平の「生の全面的更新を目指して」という座談会は有益だった。沼野の「ロシア革命の特徴として、それが単に政治の領域だけで終わらない、つまり政治における革命と連動して、生活/社会まで全面的に更新してしまおうというパトスに突き動かされていたこと」という発言に関わってのロシア・アヴァンギャルドなどの芸術や文化、生活に関わる「革命」についての言及は、大きな刺激を受けた。また浜由樹子「「ロシア=ユーラシア」という希望ーユーラシア主義者の見たロシア革命」もまた、最近言及されるようになった「ユーラシア主義」とはいかなるものであるのか、その輪郭を学ぶことができた。
しかしこれらは「ロシア革命」に関わっての言説である。プーチンの行動の起点は、彼がソ連のスパイであったことから、ロシア革命~ソ連にあるのではないかという問題意識に対応したものであった。
さて今日、『世界』5月号が届いた。もちろん緊急特集として「ウクライナ 平和への道標と課題」が掲げられ、最初に塩川伸明へのインタビューが掲載されていた。なるほど長年ロシア~ソ連の歴史を研究しているだけあって、とても参考になった。
塩川は「プーチンらの認識はイデオロギー的にはソ連時代と大きく隔たっています。共産主義イデオロギーに対しても、明確に否定的です。日本ではしばしば、ソ連時代の延長として現代ロシアの強権的政治を理解しがちですが、ソ連よりもロシア帝国の栄光に立ち返ろうとする傾向が強い」と語っている。
ならばロシア帝国について学ぶ必要がある、というものだ。
というのも、ロシア帝国の時代、ウクライナはロシア帝国の「地域」に過ぎず、行政単位でもなかった、ウクライナが行政単位になったのは革命後であり、ソ連が「ウクライナ共和国」をたちあげたのであり、ウクライナという単位はそこから動き始めているのである。
だからといって、プーチンがウクライナを軍事的に包摂することが是である、というわけではない。それなりの歴史をもって、ウクライナは現在に至っているからである。
ソ連が崩壊し、ウクライナが独立したあとの歴史を塩川は説明している。ウクライナの政権が、ウクライナのアイデンティティーを創り上げるために、各種の施策をいろいろ行ったこと、またNATOの東方拡大もあり、それがロシアとの対立を招くものとなったことが、具体的に語られている。
しかし塩川は、「ロシア軍によるウクライナへの攻撃は正当化する余地のない蛮行であり、ロシア国内を含む世界の多くの人たちからの強い非難は当然だということです」、「現在の戦争については、ロシアが一方的に始めたものである以上、もっぱらロシアに責任がありますが、そこに至る背景はもっと広く考える必要があるわけです」と言明した上で、説明を行っている。
こうでなければならない。
なぜプーチン=ロシアがウクライナに軍事侵攻したのか。当然そこには理由がある。その理由は議論されなければならない。私も、それを歴史の中から見出したいと考えている。
だが一部の論者は、「どっちもどっち」論、「ロシア=悪、ウクライナ=善という善悪二元論はおかしい」などと主張しながら背景説明をするが、塩川のように、きちんとロシアが悪であることを前提に説明しないと、それはロシアに対する免責になってしまうことを認識すべきである。
私もウクライナ側が絶対的に「善」であるとは思っていないが、しかしロシアの侵略は「極悪」なのだ。「極悪」のロシアを批判してはじめて議論は成立する。
「殺される側」の視点から事態をみること、そこでの主張は「殺すな!」である。
私のなぜ?の探究は続く。