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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「絶滅戦争」

2022-04-03 21:55:30 | 国際

 2019年、岩波書店から『独ソ戦 絶滅戦争の惨劇』(岩波新書)が刊行された。これについては紹介したことがあった。

 今日、友人との電話でこの本について話し合った。

 220頁にこういう記述がある。

 ドイツが遂行した対ソ戦争は、戦争目的を達成したのちに講和で終結するような19世紀的戦争ではなく、人種主義にもとづく社会秩序の改変と収奪による植民地帝国の建設をめざす世界観戦争であり、かつ「敵」と定められた者の生命を組織的に奪っていく絶滅戦争でもあるという、複合的な戦争だった・・

 「絶滅戦争」ープーチンによるウクライナ侵攻で展開されている戦争は、まさにナチスが行った「絶滅戦争」と言えるのではないかと思う。

 ロシア軍が引き揚げたところには、徹底的に破壊された生活の場と、民間人の屍体が放置されていた。ロシア軍の目的は、ウクライナに住む人々を「掃蕩」し、新たにロシア人を移住させてロシアの版図を広げることではないのか。ウクライナの人々は、プーチンにとって「敵」とされ、組織的に殺戮される存在であったのだと思う。

 「独ソ戦」の著者は「理性なき絶対戦争」という項目をたてている。まさにプーチンのロシア軍は「理性なき」集団となっている。

 「理性なき」軍隊が、ウクライナを破壊し、殺戮を行っているのだ。プーチンのロシアこそが、ネオナチなのだと思う。

 


忘れない ロシアの蛮行

2022-04-03 17:02:04 | 国際

 野蛮なロシア軍が去った街、瓦礫と屍体。

 ロシア軍は、なぜかくも野蛮なことができたのだろうか、と問う。しかし日本軍の中国などでの蛮行、ヴェトナムでのアメリカ軍の蛮行を思い起こせば、侵略軍はいつもこうした蛮行を働く。殺戮と破壊と。

 人間は、戦争の中では、いくらでも野蛮になれる。

 人間不信。

 友人のジャーナリストからの話。ロシア駐在の記者から聞いた話として、ロシア軍には常識とか良識とかは通じない、と。

 ここで私は、ロシア的なるものを、考え直す必要があると思うようになった。私の青春はロシア文学で覆われていた。

 2010年に発売された『現代思想』の「総特集 ドストエフスキー」を書庫からだしてきた。

 ドストエフスキーの小説に「死の家の記録」がある。吉岡忍は、ここの個所を必ず開くという。

 わがロシアではどれほどの力と才能が、ときにはほとんど日の目を見ずに、自由のない苦しい運命の中にむなしく消えていくことであろう!

 ロシアは帝政ロシア、スターリン体制、そして現在、どの時代も「自由のない苦しい運命の中」にあった。

 この抑圧が、ロシアの民衆にどういう影響を及ぼしているか。ロシア軍の蛮行の背景には、丸山真男が軍国日本について指摘した「抑圧の委譲」があるのかもしれない。

 今回のロシアの蛮行は、世界に、そして私に確かな衝撃を与えた。

 この世界は何が起こるかわからないという不安をつくりだした。他国の軍隊が、侵略してくることはあり得る、ということも。

 プーチンはすごいことを教えてくれた。戦後の国際秩序はあっという間に崩れ去るということ、そして核兵器の使用もありうる、ということを。この世界は、安心して生きていくことのできるところではなくなった、ということも。

 私は「ロシア的なるもの」だけではなく、プーチンが理想とするツァーリ、スターリンを勉強しようと思った。スターリニズムの本は何冊かある。

 しかし知ったからと言って、ウクライナ侵攻は止まらない。殺戮と破壊は続くのだ。

 

 


【本】『ユリイカ 総特集瀬戸内寂聴』(青土社)

2022-04-03 09:58:15 | 

 ひとりの執筆者を除き、全体としてとてもよい本である。瀬戸内寂聴について、いろいろな側面から知ることができる。

 目次は赤。そこに銀色の文字が並ぶ。読みにくいけど、斬新である。「99年の人生」、「瀬戸内寂聴の文学」、「愛した、書いた、祈った」、「乱調と諧調」、「出離者は寂なるか、梵音を聴く」、「庵主の物語」、「生きながら死ぬことを生きる」、「『源氏物語』まんだら」、「寂聴精華」、「瀬戸内晴美の時代」、「「女流作家」から遠く離れて」、「私小説と制度=批判」という項目にしたがって、多彩な人々が書いている。正直言って、「瀬戸内晴美の時代」以降は、そんなに面白い話はなかった。書いている人がほとんど日本文学研究者であるからかもしれない。

 私は寂聴さんの本をたくさん読んでいるわけではないが、いくつかの本は感動を以て呼んでいるから、寂聴さんを多方面から照射している文には教えられた。

 寂聴さんは作家ではあるが、宗教者でもあった。宗教者として、仏教者としての寂聴さんについての文は、とりわけ興味深かった。私は彼女が出家する時を描いた『比叡』を大きな感動を持って読み終え、これこそ文学だと思った記憶がある。

 また寂聴さんは『源氏物語』の現代語訳に挑んだ。私も『源氏物語』は好きで、研究書もいくつか読んでいるし、原文にも挑戦したことがある。文法的にも、解釈的にもいろいろ難しい『源氏』であるのに、現代語訳をなぜこなせるのかと思っていたら、やはり研究者の手を借りていたことを知った。

 寂聴さんが書いたもの、まだまだ読んだことのないものが多い。この本を読んで、読みたくなった作品がでてきた。それをリストアップした。順次読みこなしていこうと思う。

 寂聴さんは、私のような者であっても、分け隔てなく話していただいた。そういう経験があるので、寂聴さんは身近な存在であった。

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 ウクライナでのロシア軍の蛮行に心を痛めながら、農作業を行い、この本を読む。3・11の時と同様に、申し訳ないなと思いながら日常を生きている。