スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの本のなかに、他国の軍隊は捕虜が解放されるとその国の人々は彼らを喜んで迎え入れるが、ロシア軍の場合は、捕虜になることは不名誉で、捕虜になってはいけない、捕虜になることは「恥ずかしい」ことだという風潮がある、と記されていたことを思い出す。
「生きて虜囚の辱めを受けず」の大日本帝国の軍隊と、ロシア軍は同じメンタリティをもっていると、その時、思った。大日本帝国の軍隊は、南京虐殺、三光作戦、平頂山事件など、数え切れないほどの蛮行を働いていた。
さて、ウクライナでは、ロシア軍がひきあげたところがある。そこでは悲惨な状況が明らかになった。民間人の屍体が路上などに放置されている。まさに虐殺である。
その画像がTwitterなどにあげられている。紹介することはしないが、とても正視できない画像である。なかには後ろで手を縛られた民間人の死体もあった。
ウクライナの軍隊は、ロシア国内でそういうことをしていない。ウクライナ軍は、ウクライナ領土の中で、侵略軍と戦った。どっちもどっちも、という意見はもうやめにしたい。
ロシア軍は「極悪」である。もちろん命令をだし、蛮行を許容したプーチン政権は、言うまでもない。
ロシア側から流される情報を、フェイクチェックしないで「スクープ」として流すメディアがあるが、こういう時の情報は「垂れ流し」であってはいけない。メディアの信頼度が、いま試されていることを忘れてはならない。
ロシア側からの情報は、侵略する側の国家としてみずからを正当化するためのものであり、世界の世論を「どっちもどっち」へと誘う悪魔の声であることを認識すべきである。
私は、「殺される側」の立場から見つめることこそが重要であると思う。「殺される側」に、私は連帯したい。