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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

ロシア軍の蛮行

2022-04-02 10:15:32 | 国際

 スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの本のなかに、他国の軍隊は捕虜が解放されるとその国の人々は彼らを喜んで迎え入れるが、ロシア軍の場合は、捕虜になることは不名誉で、捕虜になってはいけない、捕虜になることは「恥ずかしい」ことだという風潮がある、と記されていたことを思い出す。

 「生きて虜囚の辱めを受けず」の大日本帝国の軍隊と、ロシア軍は同じメンタリティをもっていると、その時、思った。大日本帝国の軍隊は、南京虐殺、三光作戦、平頂山事件など、数え切れないほどの蛮行を働いていた。

 さて、ウクライナでは、ロシア軍がひきあげたところがある。そこでは悲惨な状況が明らかになった。民間人の屍体が路上などに放置されている。まさに虐殺である。

 その画像がTwitterなどにあげられている。紹介することはしないが、とても正視できない画像である。なかには後ろで手を縛られた民間人の死体もあった。

 ウクライナの軍隊は、ロシア国内でそういうことをしていない。ウクライナ軍は、ウクライナ領土の中で、侵略軍と戦った。どっちもどっちも、という意見はもうやめにしたい。

 ロシア軍は「極悪」である。もちろん命令をだし、蛮行を許容したプーチン政権は、言うまでもない。

 ロシア側から流される情報を、フェイクチェックしないで「スクープ」として流すメディアがあるが、こういう時の情報は「垂れ流し」であってはいけない。メディアの信頼度が、いま試されていることを忘れてはならない。

 ロシア側からの情報は、侵略する側の国家としてみずからを正当化するためのものであり、世界の世論を「どっちもどっち」へと誘う悪魔の声であることを認識すべきである。

 私は、「殺される側」の立場から見つめることこそが重要であると思う。「殺される側」に、私は連帯したい。

 


多様な意見(5)

2022-04-02 10:15:32 | 国際

 果たして「善悪二元論」なのか?

 もと朝日新聞記者が、「ウクライナに跋扈するネオナチを陰謀論で片付けていいのか? トランプ復活を恐れるバイデンと欧米メディア」を書いている。

 しかしロシアを批判している人々が「善悪二元論」に立っているかということを考えると、私はそうではないと考える。

 善悪二元論とは、「ロシア=悪、ゼレンスキー=正義」という図式で今回のウクライナ侵攻をみることを意味する。私はロシアは「極悪」だとみているが、「ゼレンスキー=正義」と見ているわけではない。しかし、侵略してきた「極悪」のロシアに抵抗するゼレンスキーは、その関係では「正義」の側にあるとみる。ゼレンスキーがまったくの「正義」であるとはみていないが、現時点、すなわちロシア軍が不法にもウクライナ民衆を殺戮し、生活の場を破壊し尽くしているこの時点では、それをやめさせようとすること、抵抗することは「正義」ではないのか。

 ベトナム戦争を振り返ってみる。あの戦争では、アメリカは「極悪」であったし、それに果敢に抵抗するベトナムは「正義」であった。

 私は、「善悪二元論」に陥るなという言説は、ロシアに一部の理を認める言説となりうると思う。今は、「極悪」のロシアの侵略を批判し、やめさせることが最重要の課題であり、一部であってもロシアの理を認めるべきではないのではないか。

 「正義」とは相対的な概念であって、絶対的な正義があるわけではない。

 ウクライナ軍にネオナチが紛れ込んでいるという情報に私も接するが、ウクライナ政権そのものがネオナチであるわけではない。

 なぜウクライナにネオナチが存在するのか、その歴史的背景その他に関する知識を私は少し知っているが、今、この問題をとりあげることにいかなる意味があるのだろうか。ウクライナ軍にネオナチが入り込んでいるから、ウクライナを支援するな、とでも言いたいのだろうか。

 もしこの問題を考えるのなら、ロシア軍が侵略をやめて撤退してから、ということになる。

 私は、鮫島氏の論は、傍観者としての上から目線の言説ではないかと思わざるを得ない。