ずっと昔の小説である。朝日新聞社を退職した外岡秀俊が大学三年の時に書いた小説が文芸賞を獲得した。それがこの小説である。
北海道出身の外岡の小説は石川啄木を織り交ぜながら、若き日の懊悩を知的にうたい上げた。若さ故の未だこなれていない豊かな語彙を、全体ではなく、各所にちりばめながら、ときにすっきりした文体で青春の懊悩を、啄木の生涯や作品を借りながら、書いたものだ。
石川啄木を取り上げるためには、この本は読まなければならないと思い続けてきた。やっと図書館から借りだして読んだのだが、すでに私はかなりの齢を重ねてしまい、すでに青春は振り返ろうにももう見ることができないほどの遠い位置に来てしまっている。そういう段階でこの小説を読んだのだが、やはり遅すぎた感が強い。
若い頃に読んだ小説、心を動かされたものは、その読後感が残っているのものだが、しかし齢を重ねてから読み返してみると、その時の読後感とはまったく異なる感想を持ってしまうことがある。心が動かされないのである。新鮮な驚きがないのだ。
そんなとき、やはり、若い頃に読むべき本は若いときに読まなければならないとつくづくと思う。
この本も、そういうものなのだろう。
北海道出身の外岡の小説は石川啄木を織り交ぜながら、若き日の懊悩を知的にうたい上げた。若さ故の未だこなれていない豊かな語彙を、全体ではなく、各所にちりばめながら、ときにすっきりした文体で青春の懊悩を、啄木の生涯や作品を借りながら、書いたものだ。
石川啄木を取り上げるためには、この本は読まなければならないと思い続けてきた。やっと図書館から借りだして読んだのだが、すでに私はかなりの齢を重ねてしまい、すでに青春は振り返ろうにももう見ることができないほどの遠い位置に来てしまっている。そういう段階でこの小説を読んだのだが、やはり遅すぎた感が強い。
若い頃に読んだ小説、心を動かされたものは、その読後感が残っているのものだが、しかし齢を重ねてから読み返してみると、その時の読後感とはまったく異なる感想を持ってしまうことがある。心が動かされないのである。新鮮な驚きがないのだ。
そんなとき、やはり、若い頃に読むべき本は若いときに読まなければならないとつくづくと思う。
この本も、そういうものなのだろう。