2012年に刊行された本である。昨日静岡に行く予定があったので、本棚から取り出したのがこの本であった。昨日はとても風が強く、乗った電車は途中で停まったり、徐行したりして、いつもより20分も多くかかった。
その間、ひたすらこの本を読み続けた。他の方々がスマホに目をやっているとき、誰も本を読んでいない電車の中で、本を読み続けた。頭をフルに働かせて読まなければならないような内容ではなかったので、すらすらと読めた。
著者は、著書で現代日本に対する鋭い問題提起を行っている。この人の本は、かなり読んでいるが、新書ははじめてである。
著者は、1910年に「満洲」と朝鮮を訪問したイギリス人女性が書いた本をもとに、その足跡をたどりながら旅をした。もちろん、1910年は南北朝鮮は分割されていないから、「満洲」から朝鮮半島の南まで行くことができた。しかし、著者は、廻り道をしなければならないし、また北朝鮮への旅行は自由がないから、足跡をたどるといってもそう簡単にはいかなかった。
だが著者は、とにかくたどった。
1910年に旅行した女性は、朝鮮・金剛山に行った。とりわけてその周辺にあった寺院を訪問した。著者は、その女性が書いた内容を紹介しながらたどるのだが、しかし今はそれらの寺院はない。朝鮮戦争の際に破壊されたようなのだ。
ずっと前、釜山に行ったとき、梵魚寺を訪問したことがある。日本の寺院とは異なるたたずまい、とりわけて建物の屋根につけられた鐘にこころを奪われ4つ買ってきた。わが家の四隅につけようと思ったのだが、家人に反対されてそれはできなかった。最近その鐘を探したところひとつだけあった。あとは捨てられてしまったようだ。
朝鮮半島の寺院について見てみたい、という思いが強い。私は、梵魚寺を含め韓国では3つの寺院を訪問している。この本を読み、北朝鮮にあるかもしれない寺院の跡を訪ねたいと思った。
北朝鮮では、仏教はどうなっているのだろうか。
東アジアの危機は、北朝鮮に関わることが多い。当事国は、アメリカ、日本、韓国、中国、そしてロシアである。それ以外の国について、著者は、こう記している。
「そのほかの世界は、最後のスターリン主義国家の奇怪なありさまを、冷笑的嫌悪感とともに見物をきめこんでいる。冷笑的な嫌悪感は無関心の都合のいい口実である。」(220頁)
そうだな、何ごとにも、冷笑的な嫌悪感を示す人がいるよな、と読みながら思った。考えてみれば、そういう人たちの視線を感じながら、私は生きてきたような気がする。この引用部分は、北朝鮮に関わっての記述なのに、我がことと関連させて考えてしまった。
冷笑的な嫌悪感は、物事をなにも良くはしない。そういう視線を感じながらも、愚直に生きるしかないな,と思いながらこの本を読み終えた。
赤鉛筆をもちながら読んだが、赤鉛筆が働くことはなかった。
北朝鮮、一度は行ってみるべきところなのかな。
その間、ひたすらこの本を読み続けた。他の方々がスマホに目をやっているとき、誰も本を読んでいない電車の中で、本を読み続けた。頭をフルに働かせて読まなければならないような内容ではなかったので、すらすらと読めた。
著者は、著書で現代日本に対する鋭い問題提起を行っている。この人の本は、かなり読んでいるが、新書ははじめてである。
著者は、1910年に「満洲」と朝鮮を訪問したイギリス人女性が書いた本をもとに、その足跡をたどりながら旅をした。もちろん、1910年は南北朝鮮は分割されていないから、「満洲」から朝鮮半島の南まで行くことができた。しかし、著者は、廻り道をしなければならないし、また北朝鮮への旅行は自由がないから、足跡をたどるといってもそう簡単にはいかなかった。
だが著者は、とにかくたどった。
1910年に旅行した女性は、朝鮮・金剛山に行った。とりわけてその周辺にあった寺院を訪問した。著者は、その女性が書いた内容を紹介しながらたどるのだが、しかし今はそれらの寺院はない。朝鮮戦争の際に破壊されたようなのだ。
ずっと前、釜山に行ったとき、梵魚寺を訪問したことがある。日本の寺院とは異なるたたずまい、とりわけて建物の屋根につけられた鐘にこころを奪われ4つ買ってきた。わが家の四隅につけようと思ったのだが、家人に反対されてそれはできなかった。最近その鐘を探したところひとつだけあった。あとは捨てられてしまったようだ。
朝鮮半島の寺院について見てみたい、という思いが強い。私は、梵魚寺を含め韓国では3つの寺院を訪問している。この本を読み、北朝鮮にあるかもしれない寺院の跡を訪ねたいと思った。
北朝鮮では、仏教はどうなっているのだろうか。
東アジアの危機は、北朝鮮に関わることが多い。当事国は、アメリカ、日本、韓国、中国、そしてロシアである。それ以外の国について、著者は、こう記している。
「そのほかの世界は、最後のスターリン主義国家の奇怪なありさまを、冷笑的嫌悪感とともに見物をきめこんでいる。冷笑的な嫌悪感は無関心の都合のいい口実である。」(220頁)
そうだな、何ごとにも、冷笑的な嫌悪感を示す人がいるよな、と読みながら思った。考えてみれば、そういう人たちの視線を感じながら、私は生きてきたような気がする。この引用部分は、北朝鮮に関わっての記述なのに、我がことと関連させて考えてしまった。
冷笑的な嫌悪感は、物事をなにも良くはしない。そういう視線を感じながらも、愚直に生きるしかないな,と思いながらこの本を読み終えた。
赤鉛筆をもちながら読んだが、赤鉛筆が働くことはなかった。
北朝鮮、一度は行ってみるべきところなのかな。