昨日、Amazonで注文していた中古本、『別冊太陽 石川啄木 漂泊の詩人』が届いた。6月まで、長い時間をかけて啄木をみつめることをみずからに課した。
ぱらぱらと眺めていたが、この本には政治性や社会性がないなと思った。啄木にとって、彼が生きた明治という時代の後半(彼は明治45年に26歳で亡くなっている)は、彼にとって大きなものだったはずだ。
もちろん、大逆事件への言及はある。だがそれも表面的な紹介でしかない。まあいいさ、私は『全集』を読んで、啄木のなかの政治性や社会性をみる。
岩手や北海道にも行ってみなければならないようだ。私は何らのテーマを追究しようとするとき、いつも「現場」を訪れる。
不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて
空に吸はれし
十五の心
旧盛岡城の草の上にごろりと寝ころんで、空を見たい。十五の時でなくとも、空は心を吸うはずだ。
若い頃、空ばかり見ていた時期があったことを想いだす。
今日は雨。戸外では雨交じりの強風が音を立てている。
最後に。この本の編集後記。啄木のうたを噛みしめると、「いま、最も必要とされる〈生きる力〉が沸き起こってくるような気がする」のだそうだ。「生きる力」、文科省が学習指導要領に書き込んだ、何を意味するのかわからないようなことば、色あせたことば。啄木にはもっとも似つかわしくないことばだと思う。これを書いた人が「編集人」だって。
ぱらぱらと眺めていたが、この本には政治性や社会性がないなと思った。啄木にとって、彼が生きた明治という時代の後半(彼は明治45年に26歳で亡くなっている)は、彼にとって大きなものだったはずだ。
もちろん、大逆事件への言及はある。だがそれも表面的な紹介でしかない。まあいいさ、私は『全集』を読んで、啄木のなかの政治性や社会性をみる。
岩手や北海道にも行ってみなければならないようだ。私は何らのテーマを追究しようとするとき、いつも「現場」を訪れる。
不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて
空に吸はれし
十五の心
旧盛岡城の草の上にごろりと寝ころんで、空を見たい。十五の時でなくとも、空は心を吸うはずだ。
若い頃、空ばかり見ていた時期があったことを想いだす。
今日は雨。戸外では雨交じりの強風が音を立てている。
最後に。この本の編集後記。啄木のうたを噛みしめると、「いま、最も必要とされる〈生きる力〉が沸き起こってくるような気がする」のだそうだ。「生きる力」、文科省が学習指導要領に書き込んだ、何を意味するのかわからないようなことば、色あせたことば。啄木にはもっとも似つかわしくないことばだと思う。これを書いた人が「編集人」だって。