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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

石川啄木

2018-01-16 13:11:09 | その他
 某所での全二回の講座、ひとつは石川啄木にした。実家の書斎にある全集のひとつが、石川啄木のそれである。筑摩書房。若い頃読まなければと思って購入してもう何十年。ずっと書棚に鎮座していた。

 今年は「明治150年」と言うことで、安倍政権は「明治150年」を称揚しようとしている。私はもちろんそんな気持ちはない。明治という時代を批判的に捉える。それは昨年も大逆事件をとりあげることで、人びとの前に示した。そのとき、聴衆の一人が、明治は良い時代だと思っていたがそうではなかった、というような感想を話された。

 歴史は、どういう立場から見るかによって、その歴史像は異なってくる。私は、つねに底辺から見るように心懸けている。底辺からは、その社会全体をみることが可能だ。

 果たして石川啄木の眼で、明治という時代を見抜くことができるか。

 6月までの間に、啄木を読みあさる。

 今日、『別冊太陽』が届いた。

 昨年11月には、伊藤野枝を取り上げたが、二人に共通すること、それは孤独である。野枝も、早い時期からそれを感じていたようだ。孤独を自覚すると言うことは、おのれ自身を見つめるということでもある。ひとは、成長するにしたがい、孤独を孤独として感じなくなる。つまりみずからを見つめることすらしなくなる。

 だがひとりの人間が生きるということは、孤独を背負って、いや孤独をいきるということに他ならない。その孤独をどのようにみずからが引きうけるか、それがひとりひとりの個性となる。

 それが社会とどう関わるか、。私が啄木から導き出そうとするのは、社会である。

 少しずつ、啄木を読む。また新しいノートが必要となる。