晶文社が1996年に刊行した『鶴見俊輔座談 近代とは何だろうか』を読んでいる。そのなかで、色川大吉、竹内好との座談、「明治維新の精神と構想」を読んだ。
来年も某所で講座を引きうけている。来年は、安倍政権が「明治150年」ということで、明治の時代を美化し、11月3日の「文化の日」(明治時代の天長節=明治天皇の誕生日)を「明治の日」にしようと画策している。
講座では、そうした動きに抵抗する内容にしたいと思って読んでいるのだが、この座談はちょうど佐藤栄作内閣が行った「明治百年祭」の頃になされたようで、「明治百年」で維新の精神を復活させたいなら、「攘夷」であり、「攘夷の精神」は、基地闘争だという指摘が鶴見によってなされている。
明治百年から50年経って、現在も「攘夷」を主張しなければならない。「攘夷」とは、夷を攘(はら)うという意味であるが、それは「自主」ということでもあった。対米隷属は、50年前よりも強化されている。明治維新の精神である「攘夷」を打ち出すことは、現在でも必要なのである。
来年も某所で講座を引きうけている。来年は、安倍政権が「明治150年」ということで、明治の時代を美化し、11月3日の「文化の日」(明治時代の天長節=明治天皇の誕生日)を「明治の日」にしようと画策している。
講座では、そうした動きに抵抗する内容にしたいと思って読んでいるのだが、この座談はちょうど佐藤栄作内閣が行った「明治百年祭」の頃になされたようで、「明治百年」で維新の精神を復活させたいなら、「攘夷」であり、「攘夷の精神」は、基地闘争だという指摘が鶴見によってなされている。
明治百年から50年経って、現在も「攘夷」を主張しなければならない。「攘夷」とは、夷を攘(はら)うという意味であるが、それは「自主」ということでもあった。対米隷属は、50年前よりも強化されている。明治維新の精神である「攘夷」を打ち出すことは、現在でも必要なのである。