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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「攘夷」

2017-12-27 20:36:41 | その他
 晶文社が1996年に刊行した『鶴見俊輔座談 近代とは何だろうか』を読んでいる。そのなかで、色川大吉、竹内好との座談、「明治維新の精神と構想」を読んだ。

 来年も某所で講座を引きうけている。来年は、安倍政権が「明治150年」ということで、明治の時代を美化し、11月3日の「文化の日」(明治時代の天長節=明治天皇の誕生日)を「明治の日」にしようと画策している。

 講座では、そうした動きに抵抗する内容にしたいと思って読んでいるのだが、この座談はちょうど佐藤栄作内閣が行った「明治百年祭」の頃になされたようで、「明治百年」で維新の精神を復活させたいなら、「攘夷」であり、「攘夷の精神」は、基地闘争だという指摘が鶴見によってなされている。

 明治百年から50年経って、現在も「攘夷」を主張しなければならない。「攘夷」とは、夷を攘(はら)うという意味であるが、それは「自主」ということでもあった。対米隷属は、50年前よりも強化されている。明治維新の精神である「攘夷」を打ち出すことは、現在でも必要なのである。

司法の現状

2017-12-27 20:35:40 | その他
 今日はとても寒い、冷たい。戸外を粉雪が舞っていた。強い西風は頬を打つ。いちど用があって外出したが、車の窓には粉雪がはりつき、道路には車がいっぱい。これは外出しないほうがよいと思い帰宅。昼頃郵便が届いた。自動車メーカーの宣伝など。なかに『法と民主主義』12月号があった。

 今日はその後外出せず、ずっと活字とにらめっこ。

 『法と民主主義』の特集は、「憲法施行70年・司法はどうあるべきか」である。司法制度研究集会の報告である。

 基調報告は、「司法はどうあるべきかー戦後、戦前、そしていま」というテーマで、内田博文氏の講演内容であった。氏は、最近、岩波新書で『治安維持法と共謀罪』を出したばかりである。この文を読みすぐに注文を出した。
 
 内田氏は、他にも『刑法と戦争』、『治安維持法の教訓』(いずれもみすず書房。高額本である)を刊行するなど、この分野での第一人者である。

 さて、明治期にヨーロッパの法を学んでつくられた日本の近代刑法は、治安維持法などの戦時治安法が覆い尽くし、近代刑事法は戦時刑事法の中に消えていったというのである。

 そして今、戦時治安法制が甦りつつあるというのだ。特定秘密法、安保法制、共謀罪・・・

 現代日本国家は、欧米諸国に比べて犯罪発生率が非常に低いのに、新自由主義的な「自己責任・事故決定」論のもとで「刑罰国家」になりつつあることが指摘されている。

 戦時刑事特別法が、「日本国憲法の施行に伴う刑事訴訟法の応急的措置に関する法律」を介して戦後の新刑事訴訟法に継受されているという指摘に、刑事訴訟法を勉強した私は、びっくりした。そういうことを学んだことがない。

 学ばなければならないことが多い。

無責任と責任

2017-12-27 07:36:41 | その他
 管理職の意向を忖度しないで生きている者はあまり多くはない。管理職が強い姿勢を示せば、多くの者はなびく。そういう姿を私は見てきた。なぜか。管理職とことを構えたくはない、管理職によく思われたい、などの俗情があるからだ。また管理職によく思われないと「出世」(昇進)していかないからだ。

 私は労働者の権利を守る闘う組合の一員であったから、当初から「出世」はありえず、管理職の意向を忖度することなど一切してこなかった。ストライキにも参加し、処分も何度かされてきた。おかしなことはおかしいと指摘し、こうすべきであると思ったことはそう主張してきた。

 そういう組織や個人がいたから、管理職の意向が組織全体を覆うなんてことはなかった。

 JRとして民営化される前、日本国有鉄道には、国鉄労働組合というそういう組合があった。そこで働く人びとは、日本の輸送の基幹を担う者としての誇りと自覚、同時にその安全を維持する使命を抱いて仕事をしていた。

 ところが、日本全体の新自由主義化(私企業の最大利益を最大化する考え)にとって、そういう組織が邪魔であると判断した支配層は、国鉄労働組合に最大限の攻撃をしかけた。その手段となったのが国鉄の分割民営化であった。日本国有鉄道は民営化され、国民の財産であったものが私企業化され、株主のものとなった。そして国鉄は分割された。日本の鉄道は、ばらばらにされた。

 昨日、北海道の鉄道が寒波襲来により運休が相次いだというニュースがあった。ただでさえ人口が減り、路線が廃止される中、北海道単独では鉄道事業が維持できないようになっている。だからさらに路線を減じ、労働者も減らしていく動きを示す。地方の交通網は急速に消え去っている。地方では生活することがむつかしくなってきている。

 他方、カネもうけできる場を承継した、JR東日本、JR東海、JR西日本。彼らはカネもうけを最大限の原動力にしている。利用者の便益よりもみずからの利益を、というのが会社の方針である。

 JR西日本は大きな事故を起こした。経営者の、スピードをあげろ、他社に負けるな、経営者の思い通りにならないと懲罰だ、などと労働者を駆り立てた。それに抵抗する組織はもうなかった。そして事故が起き、多くの人が犠牲になった(JR西日本に殺された)。事故の中で運転手は亡くなった。経営者は自分たちに責任はない、悪いのは労働者だというスタンスをとり続けた。それは今も変わらない。『朝日新聞』がその責任者にインタビューした。

 そのなかで彼は、事故原因について、「運転士が悪い。『脱線していいから走れ』と言ったことはない」と述べた、という。こういう厚顔無恥の経営者が、国鉄の分割民営化のなかで育成された。

 JR東海は、リニア新幹線建設を強行し、日本の大自然を破壊し始めた。自然は、きっと報復することだろう。しかしその際、日本の歴史が物語っているように、ほんとうに責任を負わなければならない者が責任を負わない。「無責任の構造」というが、「無責任」は支配層に分けられ、「責任」は庶民に分けられる。

 こういう社会を、日本人は許してきた。今もである。