goo blog サービス終了のお知らせ 

浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

水道の民営化

2017-12-20 22:44:47 | その他
今年3月に書いた文である。今日、この問題に関して講演会があった。

 水道の民営化


「民営化」

「国や自治体の非効率な公営事業を民営化すれば、公共料金がもっと安くなるうえにサービスも充実する」という宣伝文句を聞いたことがあるだろう。民間委託、指定管理など、そうした方法で、今まで自治体など公共団体が行ってきた事業が、次々と民間企業に引き渡されていく。民間企業は、いろいろな事業を展開しながら、利益(利潤)をより多く獲得しようとする。

 今までの公営事業の民営化によってどういうことが生じてきたか。自治体は公営事業を民営化することによって経費削減を行う。その事業を委託された民間企業は、その自治体が行ってきたときよりも、安い経費で事業を展開しなければならないし、役員報酬や株主への配当も支出しなければならない。ではどうするか、きわめて安い賃金で働く労働者を雇用することである。「官製ワーキングプア(working poor)」、すなわち公営事業による低賃金労働者の創出である。

水道の民営化

今国会には水道法の改正案が提出されている。改正案の内容は、民間企業による水道事業への参入と、複数の水道事業を併合して広域化するというものだ。現在日本の水道事業は、ほとんど自治体などによる公営である。改正案は、水道事業を広域化し、民間企業に儲けの場を提供しようとしているのだ。この水道事業の民営化は、2013年4月、麻生太郎がアメリカのCSIS(米戦略国際問題研究所)で語ったことである。「例えばいま日本で水道というものは世界中ほとんどの国ではプライベートの会社が水道を運営しているが、日本では自治省以外ではこの水道を扱うことはできません。しかし水道の料金を回収する99.99%というようなシステムを持っている国は日本の水道会社以外にありませんけれども、この水道は全て国営もしくは市営・町営でできていて、こういったものを全て民営化します。」つまり、アメリカで日本の水道事業の民営化を宣言し、外国企業も参入可能であることを示したのだ。

 そして昨年の『日本経済新聞』の記事(2016年10月23日)。「政府は地方自治体が手掛ける水道事業への企業の参入を促すため、2017年にも水道法を改正する。災害時の復旧を自治体との共同責任にして企業の負担を軽減するほか、料金の改定も認可制から届け出制に改めて柔軟に変更しやすくする。政府は11年に民間への運営権売却を認めたが、災害発生時の膨大な費用負担のリスクを企業が懸念して実績はなかった。」

民営化がもたらすこと
この民営化政策の中で出されているのが、「コンセッション方式」である。浄水場などの施設の所有権は自治体に残しながら、運営権を民間企業に売却する。これにより、自治体が定めた上限・下限の範囲内で、民間企業が水道料金を設定できることになる。浜松市は真っ先に手を挙げた。浜松市上下水道部は3月21日、下水道施設の維持・運営にコンセッション方式を導入する全国初の事業「公共下水道終末処理場(西遠処理区)運営事業」の優先交渉権者をヴェオリア・ジャパン(代表企業)その他で構成するグループに決めた、という情報が流れた。ヴェオリア(VEOLIA)という会社は,フランスを拠点とする多国籍企業である。

 今回は下水道だけだが、上水道もいずれそうなるだろう。海外で民営化されたところでは、水質悪化、料金の高騰を招き、ヨーロッパでは再公営化が進んでいるという。

新鮮な発見

2017-12-20 08:41:44 | その他
 私は高杉一郎の『極光のかげに』、『征きて還りし兵の記憶』を読んでいる。前者はずっと前、後者は市原さんに薦められて読んだ。しかしただ読んだだけだった。シベリア抑留のことが書いてあったということくらいしか思い出さない。

 しかし、今『あたたかい人』(みすず書房)を読んでいて、高杉が児童文学や、エロシェンコ、クロポトキン、スメドレーなどに関する伝記、翻訳を著していたことを知った。クロポトキン、スメドレーについて書いた文章、これが実によいのだ。クロポトキン、スメドレー、そしてそれにまつわる人びとを書いているのだが、その筆致は愛情にあふれ、その二人について書くべきことを簡にして明確にまとめているのだ。

 スメドレーの『偉大なる道』を読んだこともあるが、しかしこれも問題意識をもつこともなく何気なく読んだような気がする。高杉の、スメドレーについて書いたものを読んだ後に読んだならば、おそらくその感慨は異なるものであったろう。

 私は、高杉一郎の本を積極的に読むべきであった。そして彼が翻訳したものも、意識して読むべきだと思った。

 もっと若いときに、世界が新鮮に目に映っていた頃に読んでいたなら、もっと違った知の蓄積ができたかもしれない。

 今、私は高杉を読み、その世界に浸りたいと思う。書庫には、彼の本があるだろう。それを持ち出してこようと思う。図書館にも、2冊予約した。しなければならない仕事はあるが、高杉の牽引力があまりに強いのだ。