今年は家永三郎氏の生誕100年であるという。家永三郎という研究者は、教科書裁判で有名であるが、学者としても様々な研究を行い、ボクも家永氏から学んだものも多い。
家永氏は岩波新書も多数書いていて、そのなかに田岡嶺雲の生涯を書いたものがある。『数奇なる思想家の生涯』である。ボクはそのなかに書かれていた文、以下に掲げるが、それをいつも胸に秘めて生きてきた。当初、田岡の文だと思っていたが、石川啄木のことばであることがわかった。
歴史の進展に一髪の力でも添えうれば満足なのです。添えうるかどうかは疑問だとしても、添えようとして努力するところに僕の今後の生活の唯一の意味があるように思われるのです。
これは、今はつけてはいないけれども、若い頃につけていた日記の巻頭に記していたものだ。
そのほか、以下のようなものを記していた。
真理と正義と善意のために(ロマンロラン)
今日の自分が昨日の自分と変わらず、その生活が慣習の中に生気を失ったとき、その自分は過去の自分の奴隷にほかならない。(ニーチェ)
すべての人間はまず人間であらねばならない。ほかの人間に対しても、人間が人間に対するようにしなければならない。(ドストエフスキー)
これらのことばは、いまだボクのこころのなかに生きている。
これを、8月から働き始める君に贈る。
家永氏は岩波新書も多数書いていて、そのなかに田岡嶺雲の生涯を書いたものがある。『数奇なる思想家の生涯』である。ボクはそのなかに書かれていた文、以下に掲げるが、それをいつも胸に秘めて生きてきた。当初、田岡の文だと思っていたが、石川啄木のことばであることがわかった。
歴史の進展に一髪の力でも添えうれば満足なのです。添えうるかどうかは疑問だとしても、添えようとして努力するところに僕の今後の生活の唯一の意味があるように思われるのです。
これは、今はつけてはいないけれども、若い頃につけていた日記の巻頭に記していたものだ。
そのほか、以下のようなものを記していた。
真理と正義と善意のために(ロマンロラン)
今日の自分が昨日の自分と変わらず、その生活が慣習の中に生気を失ったとき、その自分は過去の自分の奴隷にほかならない。(ニーチェ)
すべての人間はまず人間であらねばならない。ほかの人間に対しても、人間が人間に対するようにしなければならない。(ドストエフスキー)
これらのことばは、いまだボクのこころのなかに生きている。
これを、8月から働き始める君に贈る。