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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

歴史の進展

2013-07-31 10:54:29 | 日記
 今年は家永三郎氏の生誕100年であるという。家永三郎という研究者は、教科書裁判で有名であるが、学者としても様々な研究を行い、ボクも家永氏から学んだものも多い。

 家永氏は岩波新書も多数書いていて、そのなかに田岡嶺雲の生涯を書いたものがある。『数奇なる思想家の生涯』である。ボクはそのなかに書かれていた文、以下に掲げるが、それをいつも胸に秘めて生きてきた。当初、田岡の文だと思っていたが、石川啄木のことばであることがわかった。

 歴史の進展に一髪の力でも添えうれば満足なのです。添えうるかどうかは疑問だとしても、添えようとして努力するところに僕の今後の生活の唯一の意味があるように思われるのです


 これは、今はつけてはいないけれども、若い頃につけていた日記の巻頭に記していたものだ。

 そのほか、以下のようなものを記していた。


 真理と正義と善意のために(ロマンロラン)

 今日の自分が昨日の自分と変わらず、その生活が慣習の中に生気を失ったとき、その自分は過去の自分の奴隷にほかならない。(ニーチェ)


 すべての人間はまず人間であらねばならない。ほかの人間に対しても、人間が人間に対するようにしなければならない。(ドストエフスキー)
 


 これらのことばは、いまだボクのこころのなかに生きている。

 これを、8月から働き始める君に贈る。

【本】新崎盛暉ほか『「領土問題」の論じ方』(岩波ブックレット)

2013-07-31 09:54:25 | 日記
 今、部屋の片付けをしている。7月は、いろいろな講演があったので、そのテーマに関する書物や資料が、床の上に散乱しているからである。秋からの新しい歴史講座の準備のために、これらを整理しておかなければならない。

 ボクに求められる講演の内容は多岐にわたるため、それに関する資料や書物、一応は整理してあるのだが、講演の直前になるとクシャクシャになってしまうのである。

 先ほどから進めているが、本の山から、読んでいなかった本などが見つかるたびに読むので、なかなか進まない。ちょうどでてきたのが、この本。

 最近は新聞も尖閣諸島付近の動きをあまり報道しないためか、ナショナリスティックな国民の反応も少なくなっているようだ。しかし、この問題に関しては、マスメディアや政府の自国に都合のよいような議論ではなく、冷静な議論に今こそ耳を傾けるべきなのである。

 領土問題で、今まで各所で話してきたが、この問題に興味関心を抱いている人々ですら、双方の主張や国際法、あるいは歴史的経過など、ほとんど知っていないし、知ろうともしていないようであった。

 この問題では、すでに多くの本が出版されており、ボクもかなりたくさんの本を読んだが、忙しい日常生活を送っている方々には、それは難しい。しかし、この岩波ブックレットはうすいし、読みやすいので。是非読んでいただきたい。

 新崎氏の、「領土」という観点ではなく、「地域住民の生活圏」という視点からのとらえ方はとても新鮮である。

 また岡田充氏のこの問題についてのマスメディアのあり方についての言及も捨てがたい。本来なら、政府がナショナリズムを煽っても、それをできるだけ沈静化させるというのが、過去の歴史的経験から導き出す教訓であると思うのだが、メディアは「「思考停止」と「絶対的価値」を側面から補強する」ものとなり、「「国策」を監視し、批判的に見つめる視点は欠落している」という。その通りだと、ボクも思う。

 だからこそ、メディアではなく、きちんとした本を読んで、正しい知識と冷静な議論を学ぶべきなのである。

 本書の基本的な視点は、武力を用いた解決ではなく、冷静な双方の話し合いにより解決に向かっていくべきだというものだ。当然の姿勢である。

 本書の最後には、国際法学者の最上俊樹氏の論考があるが、そこに書かれていた文が、とくに印象に残った。

 戦後日本が最も誇ってよいことの一つは、一度として武力で紛争を解決しようとしたことがないという事実である。

 もちろん日本国憲法の平和主義、第九条の存在がそうさせたのであるが、であるが故に、この領土問題をめぐっても、現憲法の意義はとても大きいと言うべきなのである。

 ぜひ本書を読んでいただきたいと思う。


オスプレイが東京の空を飛ぶ

2013-07-31 07:35:51 | 日記
 米空軍のオスプレイが横田基地に配備されるという。すぐに地元では反対の声があがった。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013073002000230.html


 しかし日本政府は、アメリカの言われるとおりにするのがならいになっている。

 普天間に追加配備されるオスプレイを、防衛省は諸手を挙げて受け入れる。オスプレイは輸送機。どこかへ海兵隊を運ぶためのもの。いったいどこへ運ぼうというのか。

  http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130730/plc13073019590016-n1.htm

 以下は、『中日新聞』の今日の社説である。こういうまっとうな意見が通らない日本社会。ほとんどの人は関心がなく、良識ある人々の気持ちを無視してことは進んでいく。そういうことができる国なのだ、日本は。


オスプレイ 民意顧みぬ配備強行だ   2013年7月31日

 沖縄県の米軍普天間飛行場に追加配備されるMV22オスプレイ十二機が山口県の米軍岩国基地に搬入された。仲井真弘多知事ら沖縄県民の多くが配備強行に反対している。なぜ民意を顧みないのか。

 外国軍である米軍機が日本の空を自由に飛び回る。その軍用機は安全性に疑念が残るから、配備をやめてほしいと基地周辺住民が再三求めても聞き入れられない。これが安倍晋三首相が思い描く「主権」国家なのか。

 垂直離着陸輸送機MV22オスプレイは、八月上旬にも岩国基地から普天間飛行場(宜野湾市)に移動し、配備済みの十二機と合わせて二十四機態勢が整う、という。

 住宅地に囲まれ、かつて米国防長官が「世界一危険」と認めた普天間飛行場に、開発段階から実戦配備後まで墜落事故を繰り返す軍用機を、なぜ配備できるのか。日本政府もなぜそれを許すのか。

 事故の危険性が指摘される飛行方法を米軍施設上空に限定し、人口密集地上空の飛行は避けるなどの日米合意も守られていない。

 仲井真知事は九日、菅義偉官房長官らに追加配備の見直しを要請した。沖縄県議会も十一日、全機撤収を求める意見書と抗議決議を全会一致で可決している。二十一日の参院選では、配備に反対する糸数慶子氏が当選したばかりだ。

 日米両政府は直近の民意がオスプレイ配備反対であることを、重く受け止めるべきではないか。

 米国内ではオスプレイの低空飛行訓練計画に周辺住民から懸念が出て、中止や見直しが行われたという。米国内では住民の意見に耳を傾け、国外では聞く耳を持たないというのでは二重基準だ。

 これでは自由と民主主義を「人類共通の価値観」と位置付ける米国が世界の民主化の先頭に立とうと意気込んでも、信用されまい。

 米太平洋空軍のカーライル司令官は、空軍仕様のオスプレイCV22の、嘉手納基地(沖縄県嘉手納町など)や横田基地(東京都福生市など)への配備に言及した。

 CV22は陸軍特殊部隊の輸送など特殊作戦機として運用されるため、MV22に比べて事故率が高いという。昨年六月には米国内で訓練中に墜落事故を起こしている。

 危険な軍用機が日本中を飛び回り、その配備も止められない。オスプレイは沖縄にとどまらず、「国の在り方」にもかかわる重い課題だ。日本国民全体が自らの問題として考えなければならない時機に来ているのではないか。


 残念だが、そういう「時機」が来ているのに、自らの問題として考えないのが日本社会なのだ。