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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

この本を読んだ 好井裕明『差別原論』(平凡社新書)

2011-03-08 19:52:01 | 日記
 現在あちこちの出版社から新書という形態の本が出版されている。僕の若い頃には、岩波新書、中公新書、講談社現代新書くらいしかなかった。そのうちでも、僕らの世界では、月に3冊刊行される岩波新書は、教養のためにすべて読むべきだと思われていた。自然科学であろうと社会科学であろうと、文学であろうと、とにかく読むことがあたりまえだと思われていた。だから僕は、すべての岩波新書を買い、時間があればとにかく読んだ。そのおかげで、どのような人とでも、どんな分野であろうとも、一応の話はできるようになったし、今もそのときの知識が生きていて助かっている。

 当時、岩波新書は若者にとって、身につけるべき教養の源泉であるとみなされていた。今でも、刊行されている岩波新書はよくかう。全部ではない(近頃刊行点数がなぜか多くなっている)が、何冊かは購入して読んでいる。

 大学というのは、専門的な学問を学ぶところだ。しかし専門的なことだけを勉強していてもだめだ。幅広い教養の裾野があってはじめて専門的な研究が可能となるのだと、僕は思っている。

 歴史学というのは、僕もその分野の研究をしているが、総合的な学問だ。広い分野にわたっての知識がどれほど役に立ったかしれない。

 昔は、大学1、2年生で教養をみにつけ、3、4年生で専門的な学問を修めるというのが一般的な考え方だった。僕はこれは正しい考えだと思っている。しかし今、そのような教養を豊かにするという発想が、大学からなくなっている。しかしできるだけいろいろな本を読んで、幅広い知識を身につけよう。


 さてそのための本として『差別原論』をあげる。この本は以前も記したが、静大人文学部の推薦入試の課題となった本だ。こういう本を読ませることは、静大もなかなかではないかと思った。

 僕は差別についてよく話した。近代における差別の歴史について研究したこともあるからだ。

 僕は差別について二種類あると話した。
 一つは日常的に泡のように出現しては消えたりする差別。この本でも「差別は私たちの日常に息づいているんのである。私たちの日常に、ふつふつと湧いては消える泡のように充満しているのである」(37ページ)と書いている。私たちは差別されたり差別したりする。たとえば最近はつかわれなくなったが、「ブス!」(あるいは「ハゲ!」)ということばがる。これなんか日常的な会話の中で話され、差別・被差別の関係の中に私たちを投げ入れる。しかしこれについてはそんなに問題にすることではないと、私は思う。もちろん差別を生み出す源泉ともなりうるから、考えなくても良いというわけではない。

 もう一つの差別は、社会的差別というものだ。恒常的に、差別する側とされる側が固定している関係。在日朝鮮人(最近の韓流ブームで改善はされたが)、被差別、ハンセン病患者、外国で言えば黒人・・が、恒常的に差別される側だ。そして僕はこういう恒常的な差別は、何らかのかたちで公権力が差別を公認している、あるいは公権力が差別的な制度をつくっている、それらが人びとの差別意識を正当化し、差別を恒常化させるのだと話した。

 この本はそういう区別をしていない。言及はあるが(180ページ)、公権力による差別については問題視していない。

 この本で注目した点はこの記述だ。「差別はまさに、「わたし」が他者と繋がろうとするベクトルを完全に遮断する力といえる」(59~60ページ)。差別する側とされる側が、まさに差別という行為によって、つながることができる人と人との関係を断ち切ってしまう、というのだ。その通りだと思う。「わたし」は多種多様な人びととつながることによって豊かになることができる。しかし差別は、それを拒否する。

 もうひとつ。「完全なる共感不可能性を十分にわかったうえで、被差別の“痛み”“現実”への想像力をできる限り働かせることは、私たちが差別を考えるうえで、必須の営みなのである。」(53ページ)。

 「想像力」ーこれはとても大切だ。たとえば、自分が差別されたら・・・ということを想像する力、自分が朝起きたら兵士に銃剣を突きつけられていることを想像する力・・・こういう想像力をバネにして差別や戦争に対する認識を豊かにしていくことは、決して無駄ではない。社会科学を学ぶ上では、この想像力はきわめて重要だ。

 この本は、差別を考える上で様々な示唆を与えてくれる。僕もこの本に出会ってよかったと思っている。たくさんの「本との出会い」をしてほしい。

 付け足し。この本に「権威主義的性格」についての言及がある(190~191)。私がもっとも嫌う人間である。これがなかなか多いのである。

 本書の巻末にあげられた推薦本は、良いものが多い。歴史を学ぶもの、心理学を学ぶもの、国際関係を学ぶもの、どのような学問を学ぼうとも、差別の問題は考えるべきことである。