公明党は、何故自民党の下僕になり下がっているのだ。再可決に必要な3分の2は、公明議席がないと届かない。つまり、参院審議以降の決定的権限を有しているのは、公明党なのに。彼らは、本当に重大さが分かっていないのだな。安倍降ろしの大チャンス到来なのに、自民は人材ゼロとは情けない。
一度奴隷に堕ち、その後も被支配を継続されると、奴隷根性が備わってしまうものなのだろうか。確かに、お前や家族の立場がどうなってもいいのか、明日から食うや食わずになっても耐えられるのか、と言われれば、それに靡くか受け入れざるを得なくなることは、世の中たくさんあるのだろう。
多くの不正の片棒担ぎや、日本の裁判所や検察といった世界とか、銀行の世界とか、大きな組織の一員になったりすれば、居場所を失わない為には、仕方なく手を染めるということがままあるということなのだろう。だから、金や地位や立場に左右されず、公正や正義という理想を求めるのは極めて困難なのだ。
信念を貫く戦いというのは、苦しく、貧しく、自分以外の家族にさえ、不自由で嫌な思いをさせてしまう。でもそれは、自己満足に過ぎないのではないか?何の意味があるというのか?家族を不幸に陥れてまで、逆らわねばならないことなのか?
人間が歴史上で戦って獲得してきたものは、犠牲の上にある。
金に跪けばよいではないか、地位や色恋だって与えられよう、それでよいではないか。そういう人間だけだったなら、理想を追求する高潔で偉大な人々がいなかったら、今の世の中はずっと凄惨で少数支配者の栄える社会になっていたことだろう。だが、犠牲を厭わず公正と正義の為に戦ってきた人がいてくれた
生きてゆく為には奴隷にならざるを得ない、もし、そうであるなら、それは心が奴隷となり、支配されているのだ。
気高き意志と悪事や不正や不正義に加担しないという強い決意があれば、奴隷で生きるより、はるかにましな生き方ができるのではないか。たとえそれが自己満足であろうとも、意志は継がれる
残念ながら、日本の裁判官や検察官たちには、そうした正義というものは絶滅してしまったらしい。同じく、霞が関においても、良識派の真の闘士たちは絶滅危機に瀕している。政治の世界は言うに及ばず。だが、まだ希望はある。理想を求めてやまない人々の姿を目にすることができたからだ。
支店長がやれと言うのでやった、社長がやれと強く命じたのでやった、事務総局や赤レンガがやれと言うのでやった、総長がやれという顔をしたのでやった、どれもこれも同じ構造。買収される人間というのは、同じようなものなのだよ。何かの為に手を貸す。自分の責任・分担範囲は小さいと過小評価して。
その結果が、組織ぐるみに起こる特異な現象だ。裁判官の世界であろうと、銀行界であろうと、官僚世界であろうと、大会社であろうと、大差ない。保身である。守っているのは、正義でも顧客でも国民でもない、ただの己の虚栄心だの栄達だの金だの、そういったものなのだ。買収される人間と同じ。
メキシコやギャング支配の昔のシカゴみたいなものだ。買収が有効だから、買収自体がなくならないばかりか、それが横行する社会となるのだよ。だが、みんなが一律に買収されない世界だと、ごく一部の寝返り者は逮捕され「買収失敗」が基本原則となるのだ。日本の特定世界は、そうじゃないということ。
「ギャングの買収に逆らえない」世界なのかどうか、ということ。ギャングが勝つなら、法や正義は無視され敗北する。それと同じ。「社長の命令に逆らえない」世界なら、社長命令に反抗した者が遵法で正しくとも、飛ばされ出世はなくなる。事務総局に逆らえない世界でも同じく、閑職へと追いやられる
このような愚かで下劣で卑怯な世界を、当然と思っている連中が、今の日本でも、司法界や経済界や官界やマスメディアなんかに、堂々と蔓延っているのだよ。穢れた上の方と、その奴隷となっている連中だ。麻薬ボスと手下ども、そして買収される連中と同じ構図。奴らの前では法も正義も無視され敗北する。
俺達の村は過疎地で寂れる一方だ。国がどうにかして欲しい。
そういう依存心旺盛な意見が圧倒的大多数であると、日本は破綻するな。原発立地の過疎地も金で縛っているようなもの。麻薬的効果を持つわけだ。「切れると苦しい」
産業もなく不便だと文句を言うなら、便利なヨソへ行けばいいだけでは。
例えば、炭鉱が閉山したら食っていけなくなる、どうしてくれるんだ、と言われても、炭鉱以外の仕事に従事して下さい、炭鉱町は廃墟になるので移住して下さい、としか言いようがない。住み続けたければ、自由意思で不便を甘受して下さい、というのが普通では?住みたいので補助金付けろ、は疑問。
他地域では道路族や年金族が公共事業でいい思いをしてる、自治体の支援でリゾート開発で潤ってる、みたいな話も、過疎地全部に金を入れろという話にならない。自分の過疎地が貧しい理由にすらならない。無駄な高速道路はやめようね、とか、無駄なグリーンピアはやめようね、というだけ。
炭鉱だけではなく、昔は人口も多く栄えていただの潤っていただのという話は、全国ごまんとあるだろう。かつてあったものが、今はなくなる(orない)なら、それに適応するよりないわけで。どうしてくれる、とか、お門違い。ヨソは金入っていいなあ、というのも羨んでるだけ。まずは自助努力すべき。
テキサス州にある陸軍基地の都市Killeenは、キャンプがあった後に撤退となり、一時不況に陥ったそうだ。
>ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD…
人口約12万人、うち約半数が基地のフォートフードで勤務しているらしい。世帯数よりも多いので、夫婦で勤務とか普通かも。
フォートフッドだったわ、ごめん。で、1人当たり所得は全米平均より大幅に低く(約7割)、犯罪率は高い。まさしく、基地依存経済。キャンプ廃止の後、基地が来たから持ち直した、と言えなくもない。が、過疎地の将来の姿が、これを理想とするつもりなのだろうか?必要なのは、依存心の脱却では。
炭鉱が潰れたら別の何か、繊維会社が撤退したら、製鉄会社が、造船会社が、電器会社が…って、何だって同じだろう。昔の栄華は、今ないなら、自分たちでどうにかするしかないのだよ。ダメなら、他に住むしかないのだ。そうやって生きてきた。沖縄の基地に本土が依存しない方法=沖縄から撤去すること
ノビー的言い回しなら「おねだり」らしい。だったら本土も沖縄に依存するな、というのは正論だし、その実現とは沖縄に基地がない状態にすること、ではないか?沖縄に押し付けるな、が地元の意思なら、当然に撤去すべきというのが結論となろう。撤退した後にはどうしてくれるんだ、は、やや難しい。
元に戻して、失業対策(具体例:炭鉱閉山地)か、移住促進、となろうか。不便でも住みたい人は少数派だろうけど、自然や郷里に愛着があるという人もいるだろうから、普通は自力で頑張るが基本ではないかと。これが現実的では。何でも、誰かに何かをどうにかして欲しい、というのは難しいかと。
国民安保法制懇:「安保法案」反対、その論理は…会見詳報 - 毎日新聞 mainichi.jp/select/news/20…