hakuunの未来ノート

将来のため、人生やビジネスに関して、考えたこと、感じたことを綴ります。

高校時代の教え

2013-05-19 | 社会現象

高校時代の先生から教えていただいたことで、覚えていることの一つに

「真実と事実」

がある。

この「真実と事実」をよくわきまえること

と言われたことを鮮明に記憶している。

世の中には、事実ではあるが、真実でないことがある。

そのことをしっかり見抜ける人間に育ってほしい。

当時の先生は、このようなことを生徒に教えていた。

 

この言葉について、最近の新聞・雑誌・TV等の報道をみると、

当時の先生は素晴らしかったと、心から思う。

 

「真実と事実」

 

別な言い方をすれば、「全体と部分」に近いかもしれない。

部分は全体に含まれているが、全体を表すものではない。

例えば、某知事の発言のごく一部を大々的に報道した海外の某新聞社。

確かに、部分は事実であるかもしれないが、全体を表しているものではない。

本来、取材する側は、事実という情報をたくさん集めて、

真実は何か、

ということを報道するのが役目だと思う。

取材した情報を発表するのであれば、

重箱の隅を突っつくのではなく、

本当の真意は何か、

ということを言うべきであろう。

それが、取材した側の責務である。

某知事の件に関して、今のマスコミの報道手段として当然だ、

だから某知事が気を付けるべき、と某新聞でみたが、

そのモラルの低さには驚かされる。

 

話す方は、信頼関係の中で、様々な話をしていると思う。

1時間2時間と話していれば、多少の脱線もあるだろう。

その点、昔の報道は、偉かったと思う。

多少の脱線があっても、取材側の判断で適切に処理したり、

真意を質して、真実を報道していた。

そこには、両者の信頼関係が成り立っていたと思う。

そのため、読者は新聞等の主張は、真実と受け止め、信じていた。

しかし、最近の報道をみると、上げ足をいかにすくうか、

それを競っているようで情けない思いがする。

部分ばかり、それもほんの一部分だけを大々的に報道している。

視聴率さえ稼げればよい。そんな風潮なのか。

本当の真実なんて、視聴率がとれないから、関係ないのであろうか。

これこそ、ごく一部の事実であって、真実ではないと願いたい。

これからは、

真実か、事実か、

受け止める我々が、しっかり判断しなければならない。

そのような時代になっている。

高校時代の先生は、本当に素晴らしいアドバイスをくれたと感謝している。

 


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