国際武道空手道 白心塾 (愛知県 名古屋市西区 北名古屋市)

国際武道空手道 GLOBAL BUDO KARATE  AITI NAGOYA KITANAGOYA 

照千一隅 白心塾 名古屋市西区・北区・北名古屋市・岩倉市・小牧市・清須市・豊山・春日井市近郊の空手道場

自分自身の今出来る事を一生懸命に取り組む。

非日常的空間・・・空手の稽古

2010年05月08日 | 空手稽古日誌
空手の稽古は挨拶、作法、稽古内容(簡単に言えば殴る蹴る)等、一種独特な現代社会とかけ離れた部分が多々あると思います。

ただそれが日本武道の空手であり、その非日常的空間の武道空手に私は憧れて足を踏み入れ現在に至っています。

空手の挨拶に「押忍」と言う言葉があり、「はい」「わかりました」「こんにちは」「さようなら」も全て一言に集約されています。

元々は「耐え難きを耐え 忍び難きを忍ぶ 押さば押せ 引かば押せ これぞ自己滅却 これぞ押忍の精神なりけり」 尊敬、感謝、忍耐、の意味を込めて押忍と言います。

これらの言葉は例えば学校とか会社では使うことはありません。

学校、会社は日常的空間なので言葉も必然と「はい」「わかりました」「こんにちは」「さようなら」と使います。

空手は先ずは武道であるとの前提で殴る蹴る等の非日常的な稽古をする訳であるので、あいさつも返事も非日常的な「押忍」で良いのではないでしょうか?

最近では「押忍」を排除して、「はい」「わかりました」「こんにちは」と言う言葉を使って空手を日常に溶け込ませるように指導してみえる道場も増えているみたいです。

私は全て空手を日常に溶け込ませて考えるのでなく、日常(心構えは武道的に考えても)と非日常の切り替えスイッチがあった方が、私は良いと考えるのですが・・・どうでしょうか???

考えは色々あって良いと思います。

どちらも間違っているとは思いません。

後は習う方達が選ぶ事だと思いますので。

似ている部分もありますが、武道とスポーツは違うと思います。

一時期キックボクシングとテコンドーを少し習った事もありましたが、キックは若い練習生が後輩の50代(たぶん)くらいの柔軟をしているおじさんに対して、「お前、邪魔になるからあっちでやれ」と言うのを目の前で見てとたんに嫌になりました。

やはりいくら後輩の練習生でも年上の方には敬意を表した言い方があると思いますが・・・

程なくして私は退会いたしました。

テコンドーもとてもスポーツ的で、私の所属していた道場は全く疲れる事無く、追い込む稽古も無く、とてもさわやかな感じで終わるので、一度も辛さを感じたことがありませんでした。

韓国では軍隊でもテコンドーを習うみたいなのでもっと厳しいと思っていましたが、稽古で疲れた記憶(他の道場は解かりません。あくまでも私の習っていた道場がです。)がありません。

いつもさわやかすぎて・・・とても・・・稽古し足りない感があって・・・

子供が疲れたと言いながら床に座っていても何も先生は注意する事無く・・・終わっていきます。

それはそれで良いのかも知れませんが・・・何か私の空手的武道感と違う違和感を覚えて、やはり退会したしました。

今は三浦師範の空手を知りました。

三浦師範に、にらまれるとメデューサに見られたように固まります。(正確には、にらまれていませんが固まります)

今は充実した稽古の日々を白心塾の他の指導者達と門下生達と共に送っております。

素晴らしい非日常空間・・武道空手

押忍
コメント
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