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伊豫軍印(1) 土居町天満八雲神社の銅印の由来を探る

2023-03-05 21:13:20 | 趣味歴史推論
 四国中央市土居町天満(てんま)の八雲神社(やくもじんじゃ)には、先祖伝来の銅印「伊豫軍印」がある。天満は、別子銅山開坑後、荒銅を運んだ(一次)泉屋道の終点で、荒銅の積み出し港があった所である。この銅印は、愛媛県の県指定有形文化財(昭和31年指定)であり、県のweb上の紹介文は、以下のとおりである。1)

1. 「伊予軍団の印、土居町天満の八雲神社伝来品である。銅製鋳造印で印面は、方36.9mm、全高24.6mm、重さ50.8gで、背面中央部に直立した高さ19.6mm、幅16.3~17.2mm、中央上部に6.2mm×8.3mmの楕円形の穴のある把手がある。印面は角がやや丸みをもち、右肩部及び左右の辺に鋳崩れした欠損部が少し見られる。印面両端部の厚さは3.6mm、中央部では約5mmとなっている。文字は六朝風(りくちょうふう)の温雅な書体で「伊豫軍印」と鋳込まれている。文字の高さは約1.4mm程度である。大和時代律令制によって諸国に配置された軍団は、延暦11(792)年に廃止され、一部を除き健児(こんでい)の制となる。この印は、他に現存する軍団印とは様式を異にしている。理由は不明であるが、何らかの時代背景が想定される。」
由来がはっきりせず、現物の観察からでは、何時の時代のものかも決められないようである。

2. インターネット検索によれば、最初の記録報文は、大正8年(1919)の景浦稚桃「伊予史談」であった。2)→写
それによると、印影と共に、
「先般(大正8年5月)本会(伊予史談会)の主催によりて県立松山農業学校に於て開かれたる伊予史料展覧会は江湖の深厚なる同情を辱うし、陳列品数約5千点の多きに及び予想外の好果を収めたるは吾人の感謝に耐えざる所なり。-----就中、吾人を驚異せしめしものは、---八雲神社の出品にかゝる伊豫軍印なりき。---」として、持統天皇期~平安時代の軍団について考察し、伊豫軍印との関係を論じている。

3. またネット上で、筆者は由来について興味ある仮説を見つけた。それが本当なら、歴史上の重要な証拠となると思ったので、先ずこの仮説を検証することにした。それは、阿部周一の仮説で、2015年にgooブログ「古田史学とMe」で提示され、2017年のホームぺージで最終更新されている。3)
 阿部説は、「印の大きさ、方1辺36.9mm、全高24.6mmが中国の南朝(六朝)時代の南朝尺(1尺246mm)で、それぞれ1.5寸、1寸に相当し、推測する南朝の規格に合致し*1、銅印環鈕(かんちゅう 綬*2を通す孔あり)である*3ことなどから、南朝(宋)のものではないか。「宋書」倭國伝には、5世紀に「倭の五王」の遣使が来たことが記されており、五王の配下の将軍や軍郡も南朝から印綬を授けられたのではないか。伊豫軍印はそのうちの一つである。」というものである。
「倭の五王が、「印綬」の規格に合わせて「倭国」で作成し配布したものの可能性もある」としている。
詳しく正確には、引用文献3に記したホームぺージを見てください。

*1「隋書」後周 には「北朝」の印の規格は、「方一寸五分,高寸」とある。「北朝」は基本的にその制度や朝服等を「魏晋朝」及びその後継たる「南朝」に学んだと考えられるので、「伊豫軍印」が「南朝」の規格に沿ったものと考えることができる。北周(北朝)556~581年、宋(南朝)420~479年
*2「隋書」陳には、「銅印環鈕」が将軍や司馬、都督など軍を率いる立場の者達に授けられるとある。陳(南朝)557~589年
*3 綬(じゅ):古代中国で、官吏の身分を表す印の鈕(ちゅう つまみ)の穴に通して身におびるための組紐。官位によってその色が異なる。

4. 「伊豫軍印」は、紙の文書へ押印して、文字が朱文となる陽刻である。秦漢晋の官印は、封泥(貴重品を収めた箱や竹簡・木簡文書の封緘 (ふうかん) に用いた粘土)に押印する用ものであり、陰刻である。朱肉を付けて、紙に押印すると、文字が白文となる。「漢委奴国王」金印は封泥印であり、古代中国の印のほとんどはこの陰刻である。

・ブログ「sanmaoの暦歴徒然草」によれば、南朝尺グループの宋氏尺は、24.568cm、唐の小尺は、24.691cm、唐の大尺は29.630cmである。4) 
天平尺は奈良時代に常用された尺で、唐の大尺に等しい。約29.6cm。

まとめ
 阿部周一は、銅印環鈕の「伊豫軍印」が南朝尺の規格で作られていることを見付け、「印は5世紀「倭の五王」時代に南朝(宋)から、伊予軍に授けられた」という仮説を提示した(2015)。


今後の検討
1.  鈕の部分の写真がないので、先ず 現物を見る。(現在 神社から四国中央市歴史考古博物館-高原ミュージアム-へ貸し出し、展示中)
2. 博物館の中国古印コレクションの図鑑や印譜をネット上で探す。南朝尺の印が実際にあるか。「印」の字体が正字なのはあるか(おおくは篆書体)。同じような鈕の印はあるか。
3. 神社の宮司様に出所の情報を伺う。

注 引用文献
1.  Web. 愛媛県の文化財>県指定文化財>有形文化財>工芸品>銅印(伊予軍印) 印面の写真あり。
2.  景浦稚桃「伊豫軍印に就て」伊予史談 第5巻2号(18号)p1(大正8年9月 1919)
3.  ホームページ:「「倭国」から「日本国」へ ~ 九州王朝を中核にして ~」>五世紀の真実>「倭の五王」について>「伊豫軍印」について (作成日 2015/03/21、最終更新 2017/02/19)
著者:阿部周一 札幌在住の技術者(1955年生) gooブログ「古田史学とMe」の著者である。
4. ブログ「sanmaoの暦歴徒然草」>古代尺を考える(2021.8.20)

写.  伊豫軍印の印影、景浦稚桃「伊豫軍印に就て」伊予史談(大正8年9月 1919)より



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