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伊豫軍印(11) 楷書の「印」という字は 日本古印に見つからない

2023-05-14 08:30:45 | 趣味歴史推論
 伊予軍印の印文の書体について、多くの日本古印(奈良平安時代)のものと比べてみる。ほとんどの古印には、「印」という字が刻まれているので、この「印」の字の書体で比較検討することにした。会田富康は、古印の「印」という字を便宜上、二種に分け、篆体様のものを第一種、隷体様のものを第二種とし、現存する印と印影のみの印を合わせ、印の分類をした。1)→写1
古印の例として、「日本の古印」2)に印影があるものを主に書き出した。

 会田富康「日本古印新攷」(1947)
第一類(篆体様)に属するもの →写2
・中央公官の印  「神祇官印」「太政官印」「大蔵省印」等
・地方公官の印  「左京之印」「右京之印」「各国印」「隠伎倉印」「駿河倉印」「但馬倉印」「太宰府印」「遠賀団印」「御笠団印」「遣唐使印」
・定額寺(官寺)の印 「法隆寺印」「東大寺印」「延暦寺印」「造崇福印」
・皇室関係の印   「嵯峨院印」等
・宗廟関係の印   「大神宮印」「豊受宮印」

第二類(隷体様)に属するもの →写3
・神社関係の印  「内宮政印」「賣神祝印」「大和社印」「静神宮印」
・寺院関係の印  「鵤寺倉印」「立石倉印」「四王寺印」
・私印      「東厩私印」「申田宅印」「曽吉私印」

第一類に属するものは、そのすべてが官公印であって、第二類に属するものには官公印が無い
・第一類に属する印の鈕は、必ず弧鈕である。中に郡印などにおいて、第一、第二両方に属するものがあるが、これは前述の郡印、私印には何らの規定がなかったためであろう。→写4
・次に第二類に属するものには、官公印がないと同時に、遺品より推して、その全ての鈕が皆莟鈕と見られる。但し郡印については変形のものもあって、一様でない。

検討
書体の成り立ちについては、注にメモとして載せた。3)
1. 郡印が第一類、第二類の両方に属するものがあることの原因として、平川南は、「古代郡印論」において、以下のように指摘している。4)
「年代の明確な文書の印影を編年的に並べてみると、郡印は天平宝字年間前後(750~765)に全て楷書体に一変し、宝亀年間(770)以降、再び篆書体に復している。これは国(国司、国印)が上、郡(郡司、郡印)は下という秩序を明確に示した、藤原仲麻呂の施策であったといえよう。仲麻呂の死後、篆書体に復している実例があることからわかる。」
2. 伊予軍印の「印」という字の書体は、楷書体である。これは、第一類の篆体様でないことは明らかであり、第二類の隷体様の端に入るのであろう。3)
軍団や軍の印であれば公印なので篆体様であるはずだが、伊予軍印は篆体様でないので、奈良平安時代の公印ではない可能性が高い。伊予軍印のような楷書体の「印」という字は、会田が挙げた第二類の隷体様のうちにも認められない。
3. 松平定信編「集古十種 印章之部 上」(郁文舎 明治36-38年)の全古印を見たが、楷書体の「印」という字は一つも見つからなかった。5)
4. 長谷川延年編「博愛堂集古印譜」(1~15)(安政4年)の全古印を見たが、楷書体の「印」という字は一つも見つからなかった。6)
5. 以上のことを総合的に考え、楷書体の「印」という字は古印には見つからないことから、この印はずっと後の江戸や明治に作られた可能性も出てきたと筆者は考える。

まとめ
 伊予軍印の楷書の「印」という字は、日本古印には見つからない。篆体様でないので、奈良平安時代の公印でない可能性が高い
。 

注 引用文献
1. 会田富康「日本古印新攷」p117(宝雲舎 昭和22 1947) web. 国会図書館デジタルコレクション
2. 木内武男編「日本の古印」(二玄社 1965) web. 国会図書館デジタルコレクション
3. 篆書・隷書・楷書の成り立ち
平川南「古代郡印論」 国立歴史民俗博物館研究報告 第79集p471(1999) web. 国立歴史民俗博物館学術情報リポジトリ より
「始皇帝が全国の標準となる書体として制定したのが小篆という書体で、小篆はもともと秦の地域で使われていた大篆を簡略化したものといわれている。小篆は皇帝の命によって制定された国家の標準書体だから、皇帝の詔勅のような正式な文書にはもちろんその書体が使われた。ところが小篆はもともと曲線が多く書くのには時間がかかり、短時間に多くの文字を書かねばならない場合には、かなり不便な書体だった。そこで小篆の字形の構造を簡単にし、曲線を直線にあらためて、より速く書けるように工夫した書体として隷書が考案された。実際秦代の官吏たちが文書作成の時に使用したのは、小篆ではなく隷書であった。次の漢代になると,隷書がますます普遍的に使われ、一方、小篆の方はほとんど使用されなくなる。そして、六朝を経て隋代には楷書体が確立する。」
4.  平川南「古代郡印論」 国立歴史民俗博物館研究報告 第79集p457(1999) web. 国立歴史民俗博物館学術情報リポジトリ 
5. 松平定信編「集古十種 印章之部 上」(郁文舎 明治36-38年 1903-1905) web. 国会図書館デジタルコレクション
6. 長谷川延年編「博愛堂集古印譜」(1~15)(安政4年 1857) web. 国会図書館デジタルコレクション

写1. 「印」字考 会田富康「日本古印新攷」(1947)より

写2. 「印」字体第一類(篆体様)に属する印 印影は木内武男編「日本の古印」(1965)より

写3.  「印」字体第二類(隷体様)に属する印 印影は木内武男編「日本の古印」(1965)より

写4.  4郡印と1郷印 印影は国立歴史民俗博物館「日本古代印集成」(1996)より
 


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