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芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

八幡宮から登米神社へ、そしてその八幡宮跡地は

2010年03月26日 | Weblog
伊藤久くんの住んでいる八幡崎は、本来、八幡前と書くべきなのであろう。というのは、現在、道場の山の上にある登米神社は、源頼義、義家親子が辺室山地区に造った八幡宮が慶長11年に伊達宗直によって遷座されたので、その八幡宮が以前にあったところということで八幡崎というからだ。(『登米物語』より)
その八幡前の八幡宮があったところに、昨年、北上園という、特別老人ホームが造られた。北上園は、それまで、他の老人ホームのあるとこころにまとめられていたのだが、八幡前に移転して新築された。
それと同時に登米病院が廃院になった。そればかりではなく、今年に入って、その廃院になった登米病院の建物を取り壊すのだそうだ。その取り壊しに応募した企業が談合をしていたという記事が河北新報に載ったので、分かったことだ。北上園の理事長をはじめとして、その理事たちは、前町長と役場職員たちで占められている。病院と学校は、町づくりの中核である。その病院を廃院にして、今までの老人ホームを移築し、さらに、病院の建物を壊して、その跡地をどうするのであろうか。町づくりとは逆の利権転がしをしているとしか見えない。それに対する町の人の批判が聞こえないから、みんなが認めているということか、それとも、不審の眼でただ見ているだけなのか。いずれにしろ、町は壊れて行く一方だ。このようなやり方が全国至る所にあるのかもしれないが、これで地方分権もないものだ。