芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

北上川遠漕を期す

2008年08月31日 | Weblog
谷村氏は、みちのくコカコーラとホテルを二つ経営しているのだから、他にもあるかもしれないが、今が一番の仕事に載っているときでもあろうが、その上に岩手県のボート協会の会長をしているようで、登米市の長沼にも良く来ているようだ。体力があるからなんでもないかもしれないが、本来の仕事以外に公務もあるのだから、相当忙しいはずだ。登米市の長沼に来た時に芳賀邸にも来てくれるようには誘っているが、「登米の場所は分かりました」と言いつつ、実際には中々来られないのであろう。尤も来ていただいたからといって、それほど歓待できるわけでもないから、お世話になりっぱなしには変わりないかもしれないが。
尋ねなかったが、ギリシアのボートのオリンピック・ティームが田瀬湖で練習したのも彼の尽力によるものであろう。
こちらは、気楽に今回のように長沼でボートを漕いだり、早池峰山に登ったりでその拠点になる宿を提供してもらうばかりで申し訳ない限りである。
次回のボート仲間たちとの集まりは、彼の持ち場の岩手県にわたる北上川を遠漕してみたいと思っている。


鶯宿梅ホテル

2008年08月30日 | Weblog
今日は、パソコンの調子がおかしく、ブログを2回書いて投稿に失敗した。
要するに鶯宿梅ホテルに着いたら、オウナーの谷村氏が玄関前に出迎えて下さり、歓待された。私は、『竹取物語』の原画展を銀座の画廊で開いたときも彼にカフェラテやお菓子を沢山送ってもらい、今回もお酒を差し入れて下さったり、贅沢な食事を出して下さったり、我々早池峰山組が下山して帰ると、バーベキューをしつらえて下さり、お世話になりっぱなしであった。角館観光組は、やはり谷村氏所有の田沢湖を一望するホテル眺湖苑に招待されて硫黄泉に入って来たと言う。この鶯宿梅は、アルカリ泉の掛け流しだ。私は温泉好きだからみんなと会えた上に温泉にも入れ、この上なく満足であった。


北上川の石巻/一関間を漕ぐ提案をする

2008年08月29日 | Weblog
二十七日5:00前に、外語大端艇部OBたちが到着した。25日に『珍品』というブログをもう、斎藤攻君は見ないであろうと思って書いたが、意外や意外、先輩の吉島重秋氏が読んでいて、銀座空也の最中を30個も買ってきて下さった。何でもこの時期は、暑いので、それほど売れないらしく、手に入ったのだそうだ。まさか先輩がブログを読んでいるとは知らず、しかも断ったのだからまさか買ってくるとは思わなかったのだが、わざわざ買って来て下さったのであるから、喜んでいただいた。斎藤攻君は吉島重秋氏から電話で『珍品』のブログのことを言われ、とらやの最中を買ってきてくれた。彼は、学生の頃から年に100冊の読書を自らに課して読み続けている人だから、大変な物知りだが、『空也』の最中は知らなかったらしい。2時間程仮眠を取っていただいてから、上品の郷でお花と線香を買い、ついでに『登米物語』を納品してから石巻駅に行き、広谷氏、相沢悦氏の子息正義氏夫妻と落ち合い、石巻ボート協会の会長だった故相沢悦氏の墓参をした。禅昌寺という駅から近い臨済宗のお寺だった。墓前で外語大端艇部の遠漕歌を合唱した。北上川でボートを漕ごうという提案をしたら、日本ボート協会理事長の館氏がその気になってくれたから、実現するのではないか。先ず、コースを下見してほしいとのことだ。
続いて、後輩で日航に入社して訓練中に飛行機事故で亡くなった佐々木司君の実家、佐々木陶器店を佐沼に訪れ、二階でお茶と白松が最中をご馳走になり、先導していただいて、墓参し、そこでも遠漕歌を歌った。このご一家は、ロシア正教であることが分かった。故佐々木司君のお兄さんに先導していただき、長沼でナックルフォアを3杯出艇して漕いだ。日本ボート協会の理事長である館君が連絡をしておいてくれたお陰で、艇を簡単に借りられた。私たちの艇は、脇坂氏が整調で、3番わたし、2番後輩の好広精也氏、バウ先輩の吉島重秋氏、コックス広谷氏という組み合わせで、佐々木司君のお兄さんが同乗した。古代蓮を見ながら、広いコースを500メートル地点まで行って戻った。
佐々木司君のお兄さんは、そのあとも、ヴィーナスの湯に先導して下さったばかりでなく、16人全員の入湯料を払って下さり、東北自動車の若柳インター乗り場まで案内して下さった。
登米に来た時に我が家に寄って下さるように誘ってお別れした。

早朝起きて皆を待つ

2008年08月27日 | Weblog
ボート仲間たちは、戸田を11時に出発して早朝5時前につくというから、こちらは、2:45に起きた。到着すると直ぐ、仮眠を取るらしいから、布団を用意しなければならないが、昨日まで、忙しくて、充分に準備していないので、その準備などで何となく落ち着かない。それにしても、70歳前後の人達が、夜行で車を運転してくるというのも、元気なことだが、大丈夫だろうか。そのあと、石巻市に大先輩の墓参、佐沼に飛行機事故で亡くなった後輩の墓参、そして、長沼でボートを漕ぐというのだから、お疲れになるであろう。若くても結構疲れる行程だ。夜は、後輩で、みちのくコカコーラの社長をしている谷村氏が経営する鴬宿温泉の鶯宿梅に皆で泊まるのだから、宴会になるであろう。そして翌日は、早池峰山に日帰り登山である。こちらの2:45起床など楽なものだ。

いよいよ明日ボート仲間たちが

2008年08月26日 | Weblog
今日、朝から雨が上がり、一日日差しが見られた。今までは、最高気温最低気温ともに20度前後だったが、家の中で、24度くらいである。明日の早朝に昔のボート仲間たちが14名来るというので、先日来掃除やら、草取りやらして、今朝、まずまず終わらせた。14名が到着すると直ぐ、便所だろうから、外便所の小便所のだら汲みもした。雑草は、背丈になるほど、山のように引っこ抜いた。
インゲンだけは良く生っているので、皆に朝食に食べさせる為、ざる一つに取った。それでも、早朝に里山の散歩はした。
タダ、困ったことは、雨合羽が、古くて、防水がもう効かないことが、昨日、一昨日の雨に試着して分かったのだ。
早池峰山で大雨に遭わない事を願うだけだ。無理はしたくない。


珍品

2008年08月25日 | Weblog
いよいよ、二十七日に東京方面から、東京外国語大学のボート部OBたちが来る。その一人で、学生時代にいっしょに漕いで、全日本ジュニアー選手権大会の舵手付きフォーで優勝した仲間の斎藤攻君から電話で、お土産に何が良いかなどという問い合わせが来た。このブログの愛読者だそうで、「良く同級生たちと呑んでいるようだから、焼酎はどうか」などと聞かれたが、焼酎も酒もワインも飲みきれないくらいあるので、「良い」と断っていおいた。ここで手に入らないのは、東京で、しかも予約でしか売っていない、「空也」の最中くらいだ。
最近の傾向は、美味しいという物は、全国どこでも買えるから、殆どの物が珍しいことではないことだ。これからは、そこでし買えない物が価値あることになるであろう。空也などは、予約して手に入るのが、翌週のこともある。ある一定の数しか作らないのかもしれない。そのような面倒な買い物をさせるわけにはいかないから、断ったのだ。
トヨマの同級生の女たちは、家に呼んでご馳走したとき、銀座のウェストの菓子を出したら、他の鳴子の菓子や鎌倉の鳩サブレなどには手を延ばさず、「銀座の菓子」に一斉に手を伸ばしたものだから、たちまちなくなった。
観光も同じで、特色が大事なのに、わが町の遠山の里で売っているものは、売れ筋の仙台産の飴などが一番目立つところにおいてある。ここには、美味しい米、野菜、魚があるのにである。

賽の河原に税の投入

2008年08月24日 | Weblog
前回の呑み会に続いて、今回の呑み会にも守んツアンは来られなかった。彼は、電話工事会社を経営していて、このところ忙しいそうだ。この登米市もご他聞に漏れず、公共工事の多いところだ。壊しては作っている。今も、裏に有る公民館の敷地に児童館を作る為の基礎工事に入っている。大きな木を重機で倒している。児童館は、現在、国の重要文化財の小学校の敷地の中にあるが、そこが、道路拡張に引っかかるから移転するというのだ。
そもそもが、国の重要文化財の前の通りを拡張すること自体がそれによって観光振興することを阻害する要因なのだが、道路を拡張して車に便宜を図るつもりということだ。今でもその通りを大型車が沢山通り、小学校は毎日地震に遇っているのと同じ状況だ。国の重要文化財と言っても、傷みを速めることは請け合いだ。登米市の政治家たちはその上でまた補修工事をしたいのだろう。
守んツアンに、児童館の工事が始まったことを知らせて、その電話工事の仕事を請け負うように勧めてみようかと思う。或は、すでにそのことは知っていて、申請しているかもしれない。
壊したり、造ったり、賽の河原の石積みをしているのと同じだ。日本中で、それに税は使われ続けているのだから、気の遠くなるような話だ。

同級生と自宅で呑み会

2008年08月23日 | Weblog
今日は、朝、秀夫ちゃんが牛乳を配達に来たとき、「今夜ヤッペす」といったので、早めにやっぺとうことになり、我が家で18:30から22時過ぎまで呑んだ。照るちゃんは、いらないのに、焼酎を一升瓶で持って来たし、秀夫ちゃんはホットプレートと焼き肉、野菜を持って来てくれた。たん、ハツ、レバーと野菜炒めだ。
昼間、私は、庭の草取りをしたが、取っても取っても中々終わらない上、前に取ったところにまたドクダミが生えて来るから永遠に取りつづけることになる。畑のほうも同じだ。朝、5:00過ぎから始めて、夕方までしゃがみ続けても終わらなかった。菊を移植したり、笹を抜いたりするから時間がかかる。夜に備えて昼寝というか夕寝をちょっとしたが、米をついていないことに気づき、夕方になってからついてきたら、18:30に炊けなかったので、今日は、ご飯なしになった。そのかわり、秀夫ちゃんが持って来たうどんを食べたので、腹の足しになった。
同級生たちの、最近の動静を知ることができる。

鈴隆こと鈴木隆彦氏が、『登米物語』を書評

2008年08月22日 | Weblog
鈴隆こと鈴木隆彦氏が、『登米物語』の書評を友人のブログに書いて下さったという。それを打ち出して、印字したのを下さった。「郷咄書評」というので、yahoogroups.jpに8月8日に送信してある。その文中で、隆彦氏の母上が、山形県尾花沢市の芭蕉が宿泊した鈴木清風の家の近くが生家であることを知った。鈴木清風の家がどんな家か今度聞いてみよう。
好意的な書評である。
先日仙台に行く機会があったので、書店を見て歩いたが、『登米物語』は着実に売れている。
やはり、『登米物語』を好調のうちに売って下さっている「上品の郷」は、先日、道の駅として国交省の道路係りから、表彰されていた。宮城県では、岩出山の道の駅に次いで好調の道の駅だそうだ。

悲しいアゲハ

2008年08月21日 | Weblog
日本政府は、米国のせいで値上がりした石油高騰にもかかわらず、日本国民がいくら石油高騰で困っても米国艦船にインド洋で油を補給している。日本は、蜘蛛に絡めとられたアゲハ、あるいは、トンボかもしれない。しかし、トンボのような戦闘機や巨大航空母艦を作った挙げ句に、米国のB29戦闘機などに散々な目に遭わされ、無条件降伏した結果がいまだに続いている。インド洋での給油の名目がたたなくなったら、今度は、アフガーニスターンに派兵するという。これも、国際貢献という名目の米国への朝貢だ。
アフガーニスターンは、かつて、ソ連に侵攻されていたが、米英両国の支援でソ連は、多数の戦死者を出してから撤退した。この地域は、占領しても占領しても抵抗をしつこくする人達が住んでいて、アフガーニスターンに侵略した人達は、結局大きな損害を払わされて撤退に追いやられるところなのだ。蜘蛛将軍様の命令といっても、関わらないほうが懸命である。私もかつて、アフガーニスターンになんどか行ったことがあるが、その人たちにその感を強く持たされた。最初に行った1970年から十年以上経ってもその地域の人達の、特にパシュトゥーン族は変わっていない。その同じ民族で、パーキスターンとの国境地帯に独立している人たちのテントをも訪れたことがあるが、戦闘意欲は戦国時代と同じだと思った。
そこに派遣された自衛隊員は無駄死にするだけだ。