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芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

細切れの田畑

2010年03月06日 | Weblog
日本の農業が大東亜、あるいは太平洋戦争敗戦後、民主主義的に小作人に田畑が細切れに分け与えられたから良かったと今でも思われているのが根本的におかしい現状である。分け与えられた小作人たちは、数の上では、多数を占めるのだから、民主主義的と言えば、民主主義に合致している。今、良くアンケートを取ってその数が多いのがあたかも正しいかのように報道しているのと同じ伝である。
それでは、米国の農場がそこで働く黒人たちに民主主義を標榜している国なのだから、細かく分け与えられたかと言うと、そうではなく、黒人は労働者のままで、大規模農業のままではないか。
日本の小作人たちは、細切れながらも、地主になったので、喜んで農業に携わったが、それもつかの間で、国際競争力を失って、というより、米国の農業政策に服従させられて、他方、日本側では、国税庁というか財務省の政策に乗って、農業をする後継者がサラリーマンになり、今農業、特に米作に携わっているのは、つかの間の幸福感を味わった世代だけである。その後継者は、大学に進学して、都会に出かけて就職してしまい、田舎にはいなくなった。それでも都会に近い小作人たちはその貰った田畑を宅地にして売ったり、貸し地にしたりして潤ったからまだしも良かった。
後継者がいないのは、農業だけではなく、商店主たちの後継者もいないのは、田舎ばかりではなく、都会の場合も同じで、商店街がシャッター街となっている。商店街が寂れているのは、東京にもあり、地方都市にも無惨と言える程に見られる。
これは、米国によって日本にもたらされた車社会化と切り離せない、安易に米国化している政治の問題である。