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芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

ご報告

2021年08月25日 | Weblog
皆様、ご無沙汰しております。
今日は、妻である私が代筆させていただきます。

夫 芳賀明夫は、かねてより闘病中でありましたところ、令和3年7月8日、79歳にて逝去いたしました。

葬儀は故人の意思により家族葬にて相済ませました。故人が生前賜りましたご厚誼につきまして深謝申し上げます。

このブログ内に私が踏み込むことに躊躇いもありましたが、今日は四十九日ということもあり、私自身、気持ちの上でひとつの区切りをつけるためにも、遅ればせながらご報告させていただきました。

2005年から書き続けたこのブログは、日々主人が見て感じ考えたことを書き綴ってきたものです。それは主人の存在そのものであり、生きた証でもあります。亡き後も、このブログを残すことで、皆様にその存在を感じていただければ、主人もさぞかし嬉しいのではないかと思っております。

これまで、この『芳賀明夫の思いつくままに』をお読みいただき心よりお礼申し上げます。そしてこれからも引き続きよろしくお願いします。
          
              令和3年8月25日 妻 和泉

追伸:『 印 河 明 文 居 士 』という戒名を授かりました🙏








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3 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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謹んで哀悼の意を表します (鈴木隆彦)
2021-08-29 11:21:22
登米市登米町の鈴木隆彦です。知人から逝去の報を知り、ブログ拝見しました。薬のスズリュウです。生前は大変お世話になりました。長い間の看病、お疲れさまでした。メールでの弔電、大変失礼かと存じますが、ご容赦願います。三浦永年さんとティニ夫妻が、宮城芸術文化館を開館して、美術と音楽の大学院大学開校の準備中です。これから登米町と登米市が蘇生しようとしている時に、明夫様の帰郷と復帰活躍を期待していた時に、無念の気持ちでいっぱいです。落ち着きましたら芳賀邸の活用も含めてご主人様の遺志を実現できればと切に願っております。先ずは心身御自愛いただきますように祈念申し上げます。
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辻潤の気仙沼時代を拝見して (今泉直喜)
2021-10-24 16:55:21
2011年4月26日「辻潤の気仙沼時代」に記載された菅野青顔の孫(長女の長男)です。この度「虚無思想研究20終刊号」が発行され、青顔の「空々くろろん」が掲載されました。ネット検索をして、芳賀明夫さんが
寂聴と青顔宅を見られたことを知りました。この時の事は後日知らされ、3年前に亡くなった母が「三陸新報が連絡をくれたら中をご覧頂いたのに」と、とても残念がっていました。ブログを残して頂き、当時のことがわかり感謝致します。明夫さんのご冥福をお祈り申し上げます。
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龍源寺へ参りました (藤島嘉昭)
2022-08-18 08:11:15
一周忌を過ぎて閉鎖されると思いましたが、謹んでコメントさせていただきます

龍源寺にお参りしました。
闘病中に一度お参りしましたが、寺内で墓所がわからず心残りでありました。
今回はお住持様とお話も出来て辿り着けました。
墓碑には大叔父である芳賀(藤島)嘉道の名もあり、新しい木目の卒塔婆には
「印 河 明 文 居 士 」とあるものが2柱ありました。
叔父は生前に自分が死んだらガンジス川に遺灰を流してもらうのが良いと語っていたのを思い出しました。

令和3年の2月に小豆沢の病院を訪ねましたが、折りからのコロナ禍により入口で門前払いでした。職員はかなり緊張して本人の携帯に直接連絡してくれとの一点張りで、品物もダメだとの事でやむなく見舞い品と花を持って退散した次第です。携帯を持っているとは聞いていないので仕方がありません。
大叔父が慶應の柔道部員であった事は家中の口伝として伝わっておりますが、
大正年間の慶應柔道部の対戦表を入手し、この中に名が見つかったのでこれを是非見て欲しかったのです。

登米町は以前と変わらず、芳賀邸もそのままでありました。また機会があれば訪れてみたいと考えております。
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