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芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

生活形態の決め方

2010年10月31日 | Weblog
小牧さんから、メールが来た。多分、彼について、触れたからであろう。
今、白神山地のお友達の家にいるという。去年もそこにっていたはずで、そのあと,いつものように東南アジアに行き、2月頃に帰って来て、スキーをするという生活形態のようだ。
私のほうは、インドに毎年行っていたのだが、このごろは、ヒンディー語訳の関連でしか、インドに行かなくなった。インド旅行のときは、毎年行く時期を決めていたが、今は、先方から言って来てそれに応じて行くから、決まっていない。田舎の農業は、まだ頭に入っていなくて、種を植えて、それを見るのにいついなければならないか解らないから、もう少し農業が頭に入って来たら、年間の予定が決められるであろう。それに加えて、北上川でボートを漕ぐことになったから、予定の組み立てが必要になる。
この数年何となく、過ぎて来たが、そろそろ予定を立てて生活する必要が出て来た。

貰ったビニールハウスの解体が終わる

2010年10月30日 | Weblog
朝9時過ぎに佐藤元大工さん、守んツアン、高橋信太郎さんが来た。コーヒーを飲んでから、出かけた。守んツアンは、照るちゃんを拾って、築館の千葉さんの家に再度集合。郵便局の千葉さんが待っていて、ビニールハウスに案内されたら、前扉は既に取り払われ、縦棒と横棒の交差点には、すでに噴霧器で右は赤、左は青、後扉は黒と色が塗られていた。先日、マジックペンんで色を付けにいくと予告しておいたので、先んじて千葉さんが噴霧器で色を付けてくれていた。継ぎ手のねじも緩めてくれていて、作業は、思ったより早く11時半に終わった。駅トラックで運ぶには長過ぎる棒が多いので、取りあえず、部材だけ高橋信太郎さんの軽トラックで運んで来た。千葉さんのおふくろさんに白菜などの野菜をお土産に貰って来たので、分けた。お茶を飲んで、今後の話しをして、遠山の里の食堂クララーで、五目ラーメンをみんなと食してから別れた。あとは、ビニールハウスの骨組を運ぶトラックを安く調達すればいい。その上で、組み立てをいつするか決めることになる。その前に植木屋が入ったりするから、それが終わってからだ。

茸談義

2010年10月29日 | Weblog
郵便局の千葉さんの家のビニールハウスを貰うことになっているが、いつ引き取るかで、都合が折り合わず、みんななかなか動けずにいたら、明日、土曜日に、新しいビニールハウスが来ることになったから、古いのを早く持っていってほしいという電話があった。
早速、出かけられる人だけで行くことにしたが、明日は、台風14号が来るのであまり天気がよくないらしい。しかし、いつまでもぐずぐずしていて、下さる方に迷惑をかけてもいられないので、雨でもビニールハウスの解体をしなければなるまい。
昨日は一日雨だったが、今日は、雲はあるが、晴である。西の空に半月が見える。先日、満月だったばかりだから、早いものだ。
昨日仙台で会った柔道部後輩達2人は、今年は、不祝儀が多いとこぼしていた。年齢的にもそういう場面にあうことが多くなる歳である。人間と限らず、玄関の上に巣食っていた働き蜂達も大量死していた。命あるものの運命である。葬式は、別れの儀式を考えたものだ。それによって思い切るのであろう。
午後になって、佐藤元大工さん、続いて照るちゃんが来た。2人は、今年それぞれの最愛の人をなくしたばかりだ。彼らに茸採りに連れて行ってもらっている。それぞれの茸の場所で昔いかに採ったかという茸談義を熱心にしていた。私は、そこまでは話しに入っていけないから聞き役に徹した。来年は、岩手県にまで茸採りに遠征しようと言っていた。

庭木の手入れ

2010年10月28日 | Weblog
庭にヒバリが来ている。ヒバリといえば、麦畑にいるという子供の頃の記憶だが、よく、庭で見かける。庭で小鳥を見かけることはあまりなかったように思うが、興味がなかっただけのことで、実際は色々来ていたのかもしれない。ただ、最近は、山も切り開かれ、田んぼに農薬がまかれ、虫が減っているから、人家にも出没するのは、熊と同じかもしれない。
それで、アカゲラが柿の木の枯れ枝を良く突ついているので、枯れ枝を落とせずにいる。枯れ枝は、そこから腐っていって、本体も腐るから、元のところから切ったほうが良いと、佐藤元大工さんから言われているのだが。
先日、コメリに頼んだ植木屋は、古川という結構遠方から中鉢という植木屋が見積もりに来たが、今日は、そこから電話で、若柳の加藤造園というところから見に来ると言う。間に2社が入って、利益を抜くのだろう。昔は、登米に何軒かの植木屋があったが、その弟子達が、今は、遠方で植木屋をしていて、町には植木屋がいない。何から何まで、不便になっていく現状だ。造園を名乗っているから、職人がやるのかもしれないが、仕事ぶりを見るしかない。

『登米物語』のなかの俳名、東月の俳句

2010年10月27日 | Weblog
昨日、冷たい西風が吹き、今日は、室内でも石油ストーブを焚かないと寒い。
昨年の冬は、寒さがひときわ厳しく感じられた。これから寒さがまだまだ厳しくなるから、その準備をしなければ。
このごろになってやっとおがってきたゴーヤが、まだ小さいうちに、寒さが来てしまった。この辺の言葉で言えば、おがりこちけてしまうべ。
佐藤元大工さんが、焼き芋を持って来てくれた。ホクホクとして美味しい。
私の母の昨年作った俳句は、
焼き芋は、ホクホクとして うまいです
であった。
しかし、去年から、今年にかけていた老人保健施設、豊里スマイルで、ちょっと吐いて隣りの豊里病院に入れられて点滴ばかりで1週間ほどすごしてから、急激に痴呆症が進んで、先日九十四歳の誕生日を祝ってもらった、新しく移住した特別老人ホームでは、俳句を創れる状態になかった。これまで芭蕉祭と文化祭の年二回、3句ずつ俳句を創っていたのに、もう創れないかもしれない。
『登米物語』の東月の俳名で披露されている俳句は全て、母のものだ。

ブックセンター湘南に『登米物語』を追加納品

2010年10月26日 | Weblog
昼前に、直ちゃんが突然来た。登米高校同期の会が、飯坂温泉であり、そのあとこちらに廻ったのだそうだ。糖尿病が相当進んでいるようで、玄関から靴を脱いで上がるのに難儀していた。左手が握れないので、近いうちに手術をすると言う。12時20分のバスで帰ると言ってまた帰りがけに靴を今度は履くのに難渋している。長い靴べらを貸してやっと履けた。それでも、昨夜も一昨夜の同級会でも相当飲んだと言う。インシュリンを自分で打っていて、数値は120程度だと言い、それほど高くはないのだそうだ。糖尿病というものを知らない私としては、なんとも言いようがない。酒がいいか悪いかも分からないからだ。糖尿病について知っているのは、糖分が足りなくなって返って気を失ったりするらしいということくらいだ。彼とは、子供の頃から一緒に遊んでばかりの友達だった。だから、寄ってくれたことが嬉しく、畑のズッキーニを採ってやると、いきなり、それをかじって、ウマイと言って半分くらい食べて、放り投げた。私としては、お土産のつもりであったが、その場で味わったので、それでも良かろうと思った。
同時に佐藤元大工さんが来たが、先に帰り、帰りがけに、午後から佐沼病院に保険のための診断書を医者に書いてもらったのを貰いにいくというので、午後から一緒に乗せてもらって、加賀野にあるブックセンター湘南、佐沼店に寄ってもらい、『登米物語』を納品して来た。この店が書店では一番売れていて、店の係に店のベストセラーですと、喜ばれている。書店での書籍の販売が思わしくないこのごろ、私としても、店の売り上げに貢献できて嬉しい。

検察審査会のあり方

2010年10月25日 | Weblog
先日記した三井環が、大林宏検事総長以下数名の検察首脳を告発したと新聞に出ていた。告発理由など記されていないので、ここでも新聞を始めとするマスコミの出鱈目さ加減が出ている。
以前やはり、政治家に検察審査会の告発は向かないと記したが、検察を告発するのが難しいのであるから、検察審査会の告発が一番、必要なのは、検察に対してであろう。三井環のように、検察出身で、検察のあり方を告発しようとして、微罪で逮捕、長期拘留、司法職剥奪の上、投獄という過酷な刑罰ゆえ、検察首脳を告発する気にもなるであろうが、一般には、検察を敵に回すのは、得策でないと、西松建設社長のように、検察のいうなりなって、小沢一郎を売るような挙に出るのが普通である。であるから、検察審査会が一番必要なのは、検察を告発する機能としてである。
私の祖母は、良く、世の中で目立つ立場になれば、味方ばかりではなく、敵も出て来るというようなことを言っていた。
権力を背景にそのような敵対行為を受けた弱者は、怨みながら死んでいくことになる。中国人は、その恨みを幾つもの漢字で表現している。中国人の中には、権力を怨みながら死んだり、殺された人物が数えきれないくらいいるであろうが、他方、そのような目にあっても仕方ないおぞましい人物達も相当いたであろう。

国家権力と国づくり

2010年10月24日 | Weblog
権力というのは腐敗するものと相場が決まっているが、今の政権は素人集団故に、まだ腐敗していないであろうが、国民がきれいごとばかりを要求するように、検察特捜部に誘導されて、その検察特捜部が今、腐敗していることが明らかにされてしまっている。
明治維新以来、富国強兵を進めるために、殺生を禁ずる不殺生の仏教を廃仏毀釈にし、天皇家を守る神道のみを国家の護持宗教として、本来天皇家に捧命した兵士達を祭っていた靖国神社を国家神道の中心に据えたのは、明治維新の推進者が、薩長、土肥の蛮勇を誇りとする若者中心であったため、命を軽んずる人物達が国づくりをしたので、やむを得ないところがある。
しかし、その帰結である、300万人の日本国民戦死をもたらした前の大戦での敗戦に鑑み、根本的にその国づくりを考え直さなければならない時である。

働き蜂はみんな雄?

2010年10月23日 | Weblog
今日も、館山に登り、栗拾いをしたが、この前ほどには、拾えなかった。そのまま、軍場山に行ってみたが、カボチャは全然生っていないし、ジャガイモも1cmほどの直径のがぱらぱらと見えるだけである。今度、シャベルを持って来て掘ってみることにして、空身で帰った。
軍場山の柿は、葉っぱがまだ青いが、実はかなり赤らんでいて、取ってもいい時期だ。実もそれなりに大きい。今年は、我が家のも含め柿だけはいいようだ。
夜、照るちゃん、守んツアン、秀夫ちゃんが来て、呑み会になった。冒頭、照るちゃんが事故で車を壊されて、先方の不注意で100%先方が悪いということなのに、照るちゃんが、台車を借りているマツダの代理店が、20万円を照るちゃんに払わせたというのに対して、そんなのはおかしいということになったが、もう払ったものは仕方ないということで終わった。そもそもが保険の話しに車屋が入って来て金を払わせるというのが変だという。マツダの代理店がよほど金がないのであろう。他の2人は、ホンダの車で、ホンダの代理店はこの地域に一軒だけで威張っているが、それでもそんなことはさすがに言わないと言う。私は、車を持たないことにしているし、ないから、なんとも云いようがない。他の2人はそれぞれに車の事故を経験していて、保険に詳しいようだ。照るちゃんにはそれなりの生き方の美学があるのであろう。
スズメバチの生態について、コメントで、KAZU さんが千葉県のホームページを紹介してくれたので、読んだ。
働き蜂は役割を終えると、女王蜂を残して皆死んでしまうというが、それが自殺行為なのかどうか分からない。それと女王蜂の開いての雄は働き蜂の中にいるのか、それとも別なのか、春になると働き蜂を沢山産むと言うのも、女王蜂なのか他の雌鉢なのか、また、働き蜂は皆雄なのかも分からずじまいであった。

明日、呑み会

2010年10月22日 | Weblog
守んツアンが、午後に柿をもぎに来た。数日前に、守んツアンに柿をもぎに来るように言っておいたのだ。真菰たけを持って来てくれた。先日、テレビで真菰たけを転作していると言っていた木村さんに貰ったのであろう。以前、木村さんに植木を頼んでいた時、私も真菰たけを貰っていたが、何ヒバか分からないが、高さ5メートルくらいのヒバを2本枯らされてからは、植木を頼んでいないので、貰っていない。元々の植木職でなく、年をとってから、シルバー人材の仕事で覚えた仕事だから、植木食に弟子入りして若い時から叩き上げた職人ではない。日本では、何でも、機械化で、誰でもできるような仕事が多くなっているが、そのために、職人が軽視され、職人がどんどん少なくなっている。税金を取りやすい、電気、自動車の輸出産業ばかり後押しするのはなく、職人芸が尊重される社会を、政府が後押ししなければならないのだが。
秀夫ちゃんから電話で明日、土曜日に呑み会をしようと言われていたので、伝えた。夜になって、電話で照るチャンにも伝えた。明日は、水沢の競馬には行かないらしい。
岸田光祐さんが17日になくなったらしい。昨年の北上川、平泉から石巻までの漕ぎ下りの下調べに最初にいらして、その実現に貢献され、とよま漕艇場開所に尽力してくださった方だ。かねてから、癌であるとは聞いていたが、それを押して、我が家に来られて、艇を乗れるように調整してくれたり、オールを下さったりした。なぜ、その訃報が今まで流されなかったのか分からないので、これからどうすればいいか、待機することにする。合掌。